お父さんの仕事の都合でずっと東京に住んでいたけれど、両親ともに元々関西出身だった我が家はわたしが中学に入るのと同時に兵庫に引っ越すことになった。小学生の頃の友達と離れ離れになるのはとても寂しかった。特に幼稚園の頃からずっと好きだった京治くんと離れるのが悲しくて、生まれて初めて書いたラブレター引越し前日に押し付けるように手渡した。もちろん返事はもらっていないし、今となってはほとんど黒歴史に近いけれど。
引越しと同時に建てた庭付きの新築一戸建てには家族全員がワクワクしていた。東京ではずっと手狭なマンション暮らしだったから余計に。夢のマイホームってやつだ。そうして引っ越したマイホームの隣の家に住んでいたのが、この辺りではちょっと有名な「宮兄弟」だった。引越しの挨拶に行った母親が家に帰るなり「隣の家にイケメンが2人もいた!双子!イケメンの双子!」と興奮気味に帰ってきたことを、わたしは多分一生忘れない。うちの母はミーハーである。

「お前ん家のテレビ、そんなでかいん?」
「はい?」

引っ越して割とすぐの頃、家の前で双子の、侑くんか治くんかどちらか分からない片方に突然話しかけられた。テレビがどうかした?とわたしが聞く前に「オカンが、お隣さんのテレビがデカくて羨ましいって言うてたから!」と、目の前の男の子は続けた。声が大きい。そういえばいつのまにかうちの母親と仲良くなったお隣のおばさんが、我が家で楽しそうにお茶をしているところを最近たまに見かける。ほんまなん?と言ってずいっと顔と身体を近づけて来た男の子に、慌てて一歩後退る。初対面なのに距離感おかしくない?関西の人ってみんなこうなの?えぇ、こわ。

「まあまあ大きいとは思うけど…」
「でっかいテレビでバレーの試合観たらおもろそうやなぁ」
「バレー?」
「バレーボール。打つ方な」

そりゃ踊る方のバレエではないだろうと思いながら、いやこんな先入観よくない。もしかしたら宮くんがクラシックバレエを習っている可能性もあるじゃん。あぁでもそういえば昨晩テレビでバレーボールの日本代表戦をやってたな、と思い出す。「なぁ、聞いとる?」と言われ、ハッと我に帰る。「じゃあ観にくる?」と言った言葉に深い意味はなかった。というか9割、いや9.9割ぐらい冗談というか、社交辞令のようなもののつもりだったのに「えっ、いいん!?ほなあとでサムと行くわ!」と宮くんは目を輝かせた。いや、サムって誰よ。あとからこの話をしたら「俺は初対面でそんな馴れ馴れしく話しかけへん」と治に呆れたように言われた。

うちのリビングには、引っ越しを機に父が張り切って買い替えた65インチのテレビが置いてある。今でもたまにバレーの試合があると「ナマエの家に観に行ってもええ?」と言う侑と治のせいでうちの家族はもれなくみんなバレーボールに無駄に詳しくなったし、我が家のハードディスクに何年も前の試合の録画が残っているのはうちの母親が侑と治の顔に弱いからだ。面食いめ。息子が欲しかったと常々言っていた父も2人が来るたびに嬉しそうにしている。最初に誘ったのはわたしだけど、正直もう来るなよと思っているわたしはちょっと肩身が狭い。
そんなことをしているうちに出会ってからあっという間に5年が過ぎて、幼馴染と呼ぶには些か短い付き合いだけど、ただの友達というには近すぎる関係をいつのまにか築き上げていた。

朝からどんよりと曇っていた空は午後の授業が始まる頃から雨が降りはじめ、放課後になると地面のあちこちに大きな水溜まりができていた。朝の天気予報でも今日の降水確率は80%を越えていたからか、ほとんどの生徒が傘をさして帰っていく。きっとろくに天気予報なんてチェックしていないであろうあの双子は傘なんて持って来てなさそうだな、と一瞬思ったけれど、そんなことはわたしには関係ないと小さく頭を振る。部活が終わるのを待ってあげる義理もないしさっさと帰ろうと、最近買った水色のストライプの傘を広げた。校舎を出てローファーをなるべく濡らさないようにと水溜りを避けて歩いていると、「ナマエ」と後ろから呼ばれた。振り返るよりも先にわたしの手から傘を奪った治が「入れて」と隣に並んだ。

「…部活は?」
「テスト前やから休み」
「えぇー…自主練していきなよ」
「そんな嫌そうな顔すんなや」

ツムに見つかる前にはよ帰ろ、と小さく傘を傾けた治の言葉に渋々頷いて歩き出した直後、「ナマエー!」と大きな声とばしゃばしゃという足音が後ろから追いかけて来た。

「傘入れて!」
「やだよ」
「ええやん、同じとこに帰るんやし」
「ねぇ、誤解を生む言い方しないで」
「もう満員やねん。ツムは濡れて帰れや」

無理やりわたしの隣に身体を押し込んできた侑を傘を持っていない方の手でぐいぐいと押し出す治の身体が、無遠慮に肩にぶつかる。雨の匂いに混じって制汗剤と汗と、それから2人の家の匂いがした。

「サムが濡れて帰れや」
「なんでやねん、早い者勝ちや」

頭の上でいつまでも言い争う双子に、だんだん周りからの視線が集まる。そうでなくても普段から目立つ2人なのだ。女子からの視線がちくちくと刺さって痛い。「もういいから、3人で帰ろ」と、治から傘を奪い返し、1人で歩くときよりも随分高い位置で持った。2人とも左右の肩が濡れることになるだろうけれど、それは我慢してもらおう。

「今度マック奢ってよね」
「傘入れたぐらいで図々しいな」
「てかいい加減マクドて言えや気持ち悪い」
「角名くんだってマックって言うじゃん」
「出た、『じゃん』!ほんま鳥肌立つわ」
「侑の標準語弄りほんと腹立つんだけど」

「関西弁使ったらそれはそれで怒るくせに」そう言うと「ナマエの下手くそな関西弁聞いたら、いー!ってなる」と言われてしまった。さっきまで興味のなさそうな顔をしてわたしたちのやりとりを見ていた治まで侑の言葉に同意する。前に試しに「なんでやねん」と言ってみたら「イントネーションなんかちゃうで」とあの北さんにすら変な顔をされてしまったから、わたしのエセ関西弁は相当ひどいらしい。
わたしよりもずっと足の長い2人に合わせていると、自然に早歩きになる。水溜りをうまく避けることもできず、結局ローファーはしっかりと水分を含み靴下までじっとりと濡れてしまった。学校を出たときよりも強く降り注ぐ雨が、傘にぶつかり大きな音を立てる。2人の頭に当たらないようにと何度か傘を持ち直していると、わたしの手からそれを取り上げた侑が真ん中で持ってくれた。いつもこういうことに先に気付いてくれるのは治の方なのに、珍しいこともあるものだ。治の優しさはいつも温かいけれど、侑に優しくされるのは少し擽ったくなる。

「ありがと」
「さっきから頭に当たっとんねん」

そんなはずはないのに。前を向いたままそう言った侑の耳が赤いのは多分気のせいじゃないけれど、さっきまでより近くなった背中に感じる侑の体温に少しドキッとしてしまったのは気のせいだと思いたい。

「なぁ、俺めっちゃ濡れてんねんけど」
「我慢せぇよ」
「ツムが後から入ってきたせいやろ」
「わたし挟んでケンカするのやめて」

「元はと言えばお前が…っ、」と何かを言いかけた侑の口を治が手で塞いだ。その後に続く言葉が何か分からないほどわたしも子どもじゃない。でも今はまだ3人で並んで歩いていたかったから、傘を叩く雨の音にかき消されて聞こえなかったふりをした。

きっとこれは恋じゃない

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