玄関でキャップを被り、ノースリーブのTシャツのまま出掛けようとするナマエに「持って行った方がいいんじゃない?」と手渡そうとした薄手のカーディガンは外暑そうだからいらない、と言って突き返されてしまった。その言葉に小さくため息を吐きながら、自分用のパーカーを手に取った。

「あとでやっぱり寒いって言っても貸さないから」
「そんなこと言わないよ」

あ、クーラーつけっぱなしでもいい?という言葉に頷きながら、履き古したスニーカーに足を突っ込む。先週末、久々に一緒にショッピングモールに行ったときに、ナマエが「可愛いからお揃いにしようよ」と言って半ば無理やり買わされたサンダルはテープを外したり止めたりが面倒でまだほとんど履いていない。そのことに文句を言わない辺り、多分ナマエも同じようなことを思っている。それでもマジックテープをビリビリと外して止めて、俺の肩に掴まりながらもたもたとサンダルを履くナマエは一応気に入ってはいるらしい。履き終えると「やっぱり白にして正解だった」と満足そうに笑った。

玄関にかけられた鍵と、小さく畳まれたエコバックを手に取り一歩外に出た途端、むわっとした湿気に全身が包まれる。もはや熱気に近いそれに思わず眉間に皺を寄せたのは隣にいるナマエも同じだった。マンションのエントランスを出ると容赦なく照りつける太陽の日差しにジリジリと肌を焼かれるような感覚。アスファルトからの照り返しが体感温度を更に上げて、スニーカーを履いた足に熱が篭る。やっぱり面倒でもサンダルにすれば良かったかもしれない。

「あっつ…」
「ほんと暑いね」

今日最高気温38度らしいよ、と体感温度をさらに上げるような余計な情報を与えてきたナマエと手を繋ぐ気にもならないぐらい暑い。今住んでいるマンションは目の前にはドラッグストア、エントランスを出て左の角を曲がり3分歩けばコンビニ、更にそこからもう2分ほど歩いた先に小さめのスーパーがある。夕飯の買い出しの為にクーラーのかかった居心地の良い部屋からわざわざ出たけれど、もうすでに家の目の前のドラッグストアに売っている冷凍食品か、コンビニ弁当で夕食を済ませられないかと考えてしまうほどに8月の日差しは強い。しかし我が家の財布の紐を握っているのはナマエなのだ。俺にその決定権はない。

家から歩いてたった5分足らず。住宅街の中にある、食品とほんの少しの日用品が置かれたスーパーに着く頃には背中は既にじっとりと汗ばんでいた。ひっきりなしに開いたり閉まったりを繰り返す自動ドアをくぐり抜けると突然の冷気に汗ばんだ身体が一気に冷えて、手に持っていたパーカーを羽織った。キンキンに冷えた店内の更に冷えた生鮮食品売り場の前をカートを押しながら歩く。「今日何作るの」「まだ決めてない」そんな会話をしていたとき、ふるり、とナマエが小さく身体を震わせた。

「京治、」
「だから持っていけばって言ったのに」
「だって外暑そうだったから」

もう一度甘えるように、けーじ、とパーカーの裾を引っ張るナマエにわざとらしく溜息をひとつ吐いてから羽織っていたパーカーを脱いで渡す。「ちょっと汗かいてるけど…」と伝えたけれどそれは気にしないらしい。「えへへ、ありがと」とへらりと笑って袖を通した。

ナマエにはずいぶん大きいパーカーの袖を2、3回折ってやる。それでも少ししか出てこない手が、小さな身体が、かわいいなぁと思う。あーナマエってこんな小さい身体でいつも俺を受け止めてくれているんだなぁ…と謎の実感が湧いてくる。昨夜の、やけに積極的だったナマエの姿が脳裏に浮かんだ。今度俺の服を着せてするのもいいかもしれない…なんて昼間から、それもスーパーで一体何を考えているんだと小さく頭を振る。暑さで頭がやられてしまったのかもしれない。どうしたの?と顔を覗き込むナマエになんでもない、と返すけれど、一度頭に浮かんだやたらリアルな妄想はなかなか消えてくれないから困る。

俺が昼間のスーパーでイカガワシイ妄想を膨らませていることなんてもちろん知らないナマエは「わたしの服と同じ柔軟剤の匂いがする」と裾を鼻に当ててふへ、とだらしなく口元を緩めている。今更だなあとは思うけれど、ふと相手の服と同じ匂いがするのがどうしようもなくむず痒くて、でも嬉しくなるのはなんとなく分かる。


これが安いとかあれも買わなきゃとか言いながら俺が押すカートのカゴに次々に食材を放り込んでいく。手当たり次第にいれているようでその実頭の中では来週の献立がちゃんと組み上げられている。普段はふわふわしているけれど、こういうところは俺よりもナマエの方がよっぽどしっかりしていたりする。

「冷蔵庫の中身覚えてる?」
「あんまり」
「だよねぇ」

卵いくつ残ってたっけなあ、という彼女の問いかけはほとんど独り言だ。申し訳ないとは思うけれど仕事柄なかなか家に帰れないこともあって、家事はほとんどナマエがやってくれている。親子丼かオムライスならどっちが良い?と聞きながら10個入りの卵のパックを手に取った。どうやら今週の何曜日かの献立がどちらかになるらしい。どっちでもいい、という返答は彼女の機嫌を損ねることを既に学んでいるので「親子丼かな」と答えておいた。

結局1週間分の買い溜めをしてしまい、持ってきていた大きめのエコバッグは持ち手が千切れるんじゃないかと思うほどずっしりと重い。スーパーから一歩出ると、玄関を出たときと同じくむわっとした湿気に全身を包まれる。しかしパーカーを着たままのナマエに暑くないかと聞くと、まだ少し冷んやりしてるから、とそのまま歩き出した。そういえば日用品も買うと言っていたことを思い出し、帰る前にドラッグストアにも寄る?と聞いてみると「アイス溶けちゃうから一回帰ろ」と冷たい指先が俺の指をきゅっと掴んだ。

「一回帰ったら絶対出掛けないと思うけど」
「うん、それはそう思う」
「いいの?本当に寄らなくて」
「…うん」

早く帰って涼しい部屋で京治にぎゅってしてもらいたいから帰る、とこちらを見ることなく言ったナマエの冷えた指先を柔く握り返したと同時に、さっきの色めく妄想が再び頭を過った。エアコン、つけっぱなしで出てきて良かった。

38度で蕩ける思考

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