title by Bacca


同じ会社の3つ上に、三ツ谷隆という先輩がいる。今年で27歳らしい。営業一課のエースで仕事もできて、誰からも頼られる人柄。おまけに顔も良いときた。先輩曰く、声までかっこいいらしい。秘書課の綺麗なお姉さんや、企画部の可愛いって評判のあの子も狙っていると聞いた。が、わたしはこの人のことがどうも苦手だった。というのも、入社して割とすぐの頃に同期から良くない噂を聞いてしまったからで。

「営業の三ツ谷さんっているじゃん?仕事できるし優しくて人当たりも良いし顔もすっごくかっこいいんだけど……かなり女癖悪いらしいよ」

前に取引先の女性とトラブル起こしたんだって〜と話す同期は一体どこからそんなネタを仕入れてくるんだろうか。受付嬢のわたしと営業の三ツ谷さんとの接点はほぼないに等しい。あったとしても三ツ谷さんが受付前を通ったときに軽く挨拶をするぐらいだ。毎日受付に立っているんだから顔ぐらいは認識されているだろうけど、恐らく名前は覚えられていないと思う。ほとんど話したこともない人に苦手意識を持つのもどうかとは思うけれど、そんな噂を聞いてしまうと余計な先入観を持つなという方が無理な話だった。

そんな三ツ谷さんが、今わたしの隣に座り、ビールが注がれたジョッキ片手ににこにこといつも通り人当たりの良い笑みを浮かべている。なんで、と思うより先に「そこの唐揚げ食ってい?」とわたしの近くにあるお皿に手を伸ばした三ツ谷さんの身体がぐっと近くに寄せられて、同時にふわりと香水の匂いが鼻を掠めた。

今日は会社全体の飲み会で、まだまだ若手に分類されるわたしはもちろん欠席するわけにもいかず。貸切にされた居酒屋の座敷で、お偉い上司へのビールを注ぎ回った後、同じ受付の先輩の隣に座りちまちまと度数の低いお酒を飲みながら食事をつまんでいた。しかし時間が経つにつれて席を立つ人がちらほら現れて気が付けば隣にいたはずの先輩はいつの間にか姿を消していて、空いたそこに三ツ谷さんがやってきたのだ。

「隣いい?」
「あ、はい。どう、ぞ…」

げ、と隣に来た人物に思わず顔を顰めそうになったのを必死に堪える。受付で身に付けた営業スマイルを浮かべつつ、誰か来たのかも確認せずにどうぞ、と言ってしまったことを後悔した。まぁ三ツ谷さんだと確認したところで断ることはできないんだけど。

「ミョウジさん、私服だと雰囲気変わるね」
「えっ、」
「受付に立ってる時は大人っぽくて綺麗な子だなって思ってたけど、私服だとやっぱ若いなー」

「あと髪下ろしてんのカワイイ」そう言って目を細めてにこっと笑った三ツ谷さんに不覚にもドキッとしてしまった。わたしの名前を知っていたことにも驚いたけれど、それよりもスラスラと出てくる褒め言葉に頬がひくついた。噂通り、なんというか…チャラい。しかしこんなイケメンに綺麗だとか可愛いだとか言われて嬉しくないかと言われたら、それとこれとはまた別の話だ。というか普通にめちゃくちゃ嬉しい。きっと三ツ谷さんは「可愛い」なんて言い慣れていて、わたし以外の女の子にもいっぱい言っているんだろうけれども。あまり三ツ谷さんの方を見ないようにしながら、失礼にならない程度に会話に相槌を打ちつつ目の前の料理に手を付けていたら、「ミョウジさんてさぁ、俺のこと苦手でしょ?」とふいに言われた言葉にギクっとして、背中に嫌な汗が流れる。「顔に出てるよ」と、三ツ谷さんは意地の悪そうな笑みを浮かべた。

「いつも受付前通るときもそっけないなーって思ってたんだよな」
「え、」
「なんか噂聞いた?」
「いや!えっと…はい、その…」
「ふは、どっちだよ」

「あの噂なー、ほんと勘弁してほしいわ」とビールを飲み干した三ツ谷さんは追加のお酒を注文して「なんか頼む?」とわたしの方へメニューを差し出した。

「えっと、じゃあ烏龍茶で」
「もしかして俺警戒されてる?」
「…普通にお酒弱いだけです」
「そうなん?じゃあこれは?飲みやすいよ」

まぁもう一杯ぐらいなら…と、一応上司にあたる人からのお酒を断ることもできず、三ツ谷さんが勧めてくれたほとんどジュースみたいなカクテルを頼んだ。それを飲みながら、取引先の女性に"なぜか"気に入られて言い寄られたけれど、三ツ谷さんにその気はなく、誘いを断ったことで悪い噂を流されたのだという話を聞いた。「へぇ、大変ですね」と返しながらも正直嘘くさいなぁと思った。というかそれ絶対三ツ谷さんが思わせぶりな態度取ったでしょ、なんて考えていると「ミョウジさん信じてねーだろ?」と苦笑いされた。

「そんなことないですけど…」
「だから、顔に出てんだって」

わたしってそんなに顔に出やすいんだろうか。うーん、と自分の頬を触っていると三ツ谷さんが少し火照った顔で「ていうか、俺がミョウジさんのことよく見てたからかも」とまた笑った。

「気付いてなかった?」
「え、」

気になってる子にそういうヤツだって誤解されたままなのは嫌じゃん、と甘く垂れ下がった目尻に思わずドキッとしてしまう。今、何かとんでもないことを言われた気が、する。いやいやいや、絶対これも他の女の子にも言ってる。わたしだけじゃない。だから今わたしの顔が赤くなっているのは苦手なお酒のせいであって決して三ツ谷さんの言葉とか、ちょっと熱っぽい視線にときめいたからじゃ、ない。違う。断じて。騙されてたまるか。

それから飲み会が終わるまで三ツ谷さんはずっとわたしの隣にいた。話してみると思った以上に気さくで話題も尽きないし、ファッションの話題にも難なく付いてきてくれる。これはモテるはずだわ、と思いながら勧められるがままに頼んでしまった本日4杯目のお酒に口を付けた。いつもならこんなに飲まないのに、三ツ谷さんが勧めてくれたカクテルが本当に飲みやすくて美味しくて、ついつい飲みすぎてしまった。ちょっと電話、と言って席を立った三ツ谷さんが「ただいま」と当たり前のようにわたしの隣に戻ってきてくれたことを嬉しいと思ってしまうほどには酔っていた。お開きになる頃にはすっかり出来上がっていたわたしの指に三ツ谷さんの長くて綺麗な指がゆっくりと絡められる。

「ナマエちゃんが良かったらだけど、」

「2人で飲み直さない?」

ほんのり赤く染まった顔で下から見上げられるのも、いつのまにか「ミョウジさん」から「ナマエちゃん」に変わった呼び方にも思わずきゅんとしてしまった時点で多分わたしの負けだった。正直もうこれ以上飲めるような状態じゃなかったけど、絡められた指にほんの少し力を込めて握り返して頷くと、三ツ谷さんはどこかホッとしたような顔で嬉しそうに笑った。今まで見たことのない笑顔に、たまらず胸の奥がぎゅうっと締め付けられる。まずい…この笑顔、破壊力が半端ない。


一緒にお店を出たところで、「ちょっと挨拶だけしてくるから待ってて」と言って三ツ谷さんは営業部の人たちが集まっている方へと行ってしまった。外の冷たい空気がアルコールで熱くなった身体を冷ましていくけれど、頭の中はまだほわほわしていて、どこか夢の中にでもいるみたいな気分だった。あ、わたしも帰る前に先輩に挨拶しなきゃ、とその場を離れようとしたときに聞こえてきた会話に思わず振り返る。

「三ツ谷も二次会行く?」
「あー…どうすっかな」
「三ツ谷さんが行くなら二次会行きまーす!」
「あ、わたしも!」

三ツ谷さんの周りを秘書課の綺麗なお姉さんたちが囲んでいて、その腕に華奢な腕が絡められている。え、三ツ谷さん二次会行っちゃうの?と呆然と立ち尽くすわたしに、飲み会の最初だけ隣に座っていた先輩が話しかけてきた。

「ナマエちゃんはどうする?二次会」
「あ、えっと…今日は、帰ります」
「そう?気を付けてね」
「はい。お疲れ様でした」

先輩に頭を下げると、わたしはその場から逃げるように立ち去った。2人で飲み直そうって言ったくせに、なんなんだよもう。結局『そういうヤツ』なんじゃん。三ツ谷さんに乗せられて1人で盛り上がっていたのが恥ずかしいし、悔しいし。とぼとぼと歩いていると急に寂しくなって、じわじわと涙が滲んできてしまうのは慣れないアルコールのせいだと思いたい。駅までの道をふらふらと歩いていると後ろから腕を掴まれた。びくっと肩が大きく跳ねて、反射で顔を上げると息を切らした三ツ谷さんがいて「なんで先帰んの?てかそんな酔ってんのに1人で帰ろうとすんなって」と、怒ったような声で言われてしまう。さっきまで怒っていたのはこっちなのに。なんで、追いかけてきちゃうの。

「だ、だって…三ツ谷さん二次会行くのかと思って、」
「それで拗ねて先帰っちゃった?」
「………」

いい大人が拗ねたなんて、改めて言葉にされるととんでもなく恥ずかしくなって顔に熱が集まる。何も言わずにいると「ナマエちゃん」と呼ばれ、観念したように小さく頷いた。わたしの頭に手のひらを乗せた三ツ谷さんが、垂れ目を細めて「素直なのかわいい」と優しく笑う。きっと三ツ谷さんは可愛いなんて言い慣れていて、多分わたし以外の女の子にも言っていて、そんなこと分かっていたはずなのに。さっきまでとは違う甘ったるい声で言われてしまうと、もうどうしようもなかった。もう一度「ナマエちゃん可愛い」と言った三ツ谷さんの手がわたしの頭を優しく撫でて、頬に添えられた。軽く上を向かせられてゆっくりと目を閉じると唇に柔らかいものが触れる。

「…一応聞くけど、泊まりもいける?」

もう帰すつもりねーけど、と続けた三ツ谷さんの腕が腰に回されて、熱を持つ身体が引き寄せられた。

「え…明日も仕事…ん、」

わたしの言葉を遮るように、もう一度軽く触れるだけの口付けが落とされる。

「そのまま出社すればいいじゃん」
「…き、着替えとかなにもないし…、ンっ」
「ある程度コンビニで買えるでしょ」
「ふ、ぁ……、でも今日と同じ服だったら何か言われるかも…」
「ナマエちゃん制服だから分かんないって」
「んぅ…」

このまま流されてはいけないと思い必死に言い訳を探すけれど、何か言おうとする度に啄むような口付けで唇を塞がれてしまう。仕舞いには軽く触れるだけだったキスがどんどん深いものに変わっていって、唇が離れる頃には身体の力は抜けてほとんど三ツ谷さんに寄りかかっていた。

「…言い訳は終わった?」

もう一度触れ合った唇がちゅ、と小さく音を鳴らして離れる。こつんと額をくっ付けて至近距離で見つめてくる三ツ谷さんから目が逸らせない。首を縦に振ると「ん、じゃあ行こっか」とわたしの手を攫って歩き出した三ツ谷さんの半歩後ろを酔って覚束ない足取りで追いかけた。



(古の夢女子企画提出物)

甘い罠とスパイスをひとさじ

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