title by サンタナインの街角で
※12年後、22巻軸のお話です。
「ドラケンさん、こんにちは!差し入れ持ってきました!」
「おう、いつも悪いなナマエちゃん」
「いえいえ」
うちの両親が営む精肉店のすぐ近くにあるD&Dmoters。男性2人で経営しているバイクショップに今日も今日とてわたしは差し入れのコロッケを持ってやってきた。
「ナマエちゃんとこのコロッケうめぇんだよな」
「本当ですか?」
「親父さんにお礼言っといてよ」
「はいっ」
差し入れの内容はコロッケだったり唐揚げだったり、はたまたうちのお母さんが作りすぎたおかずだったりと中身は日によって違うけど、わたしがこのバイクショップに差し入れを届けるのはもうほとんど日課になっている。
最初はガラの悪いお兄さん2人がやっているバイクショップに行くなんて、うちの親は年頃の娘になんてことを頼むんだ!と思っていたけど、何度か訪れるうちにそんなことは一切思わなくなっていった。
いかつい見た目をしているが、2人ともとっても良い人だ。ドラケンさんは話しかければ気さくに返してくれるし、愛想も良い。だからうちの両親もなにかと世話を焼きたがるんだろう。最近ではむしろ迷惑じゃないかと思うぐらい、しょっちゅう食べ物を差し入れしている。
「イヌピーさんもどうぞ」
「ん、ありがとう」
奥から出てきたイヌピーさんにもコロッケを渡す。
わたしが毎日のように差し入れを持って行く理由はこのイヌピーさんに会いたいから、だったりする。
ドラケンさんのように愛想は良くないけれど、とにかく何と言っても顔が良い。うちのお母さんもお墨付きだ。
イヌピーさんの顔を見ているだけで胸がドキドキする。
これはあれだ、推しだ。わたしの推しはイヌピーさんなんだ。そこらへんの芸能人よりもよっぽどかっこいい、わたしの推し。わたしは今日も推しのためにせっせと差し入れを持って行く。
それを言えば「なにそれ、恥ずかしいからやめて」とイヌピーさんは照れながらわたしから目を逸らした。え、待って推しの照れ顔やばくない?ドラケンさんはそんなわたしたちを見て苦笑いしていた。
イヌピーさんがいない時にドラケンさんに聞かれたことがある。
「ナマエちゃんはさぁ、イヌピーのこと好きなの?」
「好きっていうか、推しです」
「いや、その推しって言うのはさ、予防線だったりすんのかなって」
「予防線…」
そう言われるとそうなのかもしれない。だってわたしはその辺のどこにでもいる女子高生で、イヌピーさんはずっと年上の素敵なイケメン。わたしだって、不毛な恋はしたくない。
いつもは無表情なイヌピーさんがたまに笑いかけてくれたら胸が苦しくなるし、仕事中の真剣な横顔にはドキドキするし、うちのコロッケを頬張る姿にはたまらなく胸がときめくけど。
でもそれはあくまで彼がわたしの推しだからであって、これは恋じゃない。そう自分に言い聞かせていた。
そう、だから今のこの状況も全然辛くなんてない。
バイクショップに用なんて無さそうな綺麗なお姉さんがイヌピーさんの腕に触れているのも、「これ、良かったらどうぞ」とお洒落な箱に入ったお菓子を差し入れしているのも、女の人の大きく開いた胸元をチラッと見たイヌピーさんが顔を赤くして目を逸らしたのも。
こんなの、別に全然気にならない。だってこれは恋じゃないし、イヌピーさんはただの推しなんだから。
綺麗なお姉さんが店の入り口で立ち尽くすわたしの横を通って出て行った。なんだか良い匂いがした。負けた、と思った。いや負けとかないんだけど、だってイヌピーさんはただの推し、だし…。
「あ…来てたの?」
「えっと、これ、持ってきたんですけど、」
入り口に突っ立ったままのわたしにイヌピーさんが声をかける。ふと我に帰り、持ってきた差し入れを慌てて手渡した。
今日の差し入れは唐揚げだった。わたしが大好きなお父さんの揚げた唐揚げ。地元でも美味しいと評判で、イヌピーさんもドラケンさんもいつも美味しいと言ってくれる。わたしは2人が「ナマエちゃんとこの唐揚げが1番美味しい」と言って食べてくれるのがいつもとても嬉しかった。
でもさっきのお姉さんが持ってきたお菓子と見比べてしまったらもうダメだ。なんで唐揚げなの。なんでお洒落なイタリアンとかフレンチじゃないの。だってこんな普通の唐揚げじゃあ、あのお姉さんには太刀打ちできないじゃん。
「いつもありがとな」
「いえ…」
「…なんか今日元気ない?」
どうした?とわたしの顔を伺おうとしたイヌピーさんから思わず顔を逸らす。だってこんな泣きそうになってる顔見られたくない。今のわたし絶対不細工な顔してる。
「だ、大丈夫です!わたし帰りますね!」
イヌピーさんの方を見ずにそう言って、わたしは店を飛び出し走り出した。
ローファーの底が滑って何度か転びそうになったけど走った。とにかく全速力で走った。だってそうじゃないと、追いつかれる。ずっと見ないフリして逃げてきたわたしの気持ちに、追いつかれてしまう。
◇
逃げるように帰ってしまった次の日、別に何にも気にしてませんよって顔をしてまた差し入れを持って行った。本当は行きたくなかったけどお母さんが当たり前のようにわたしにおかずを持たせたから仕方なかった。
イヌピーさんの態度はやっぱりいつも通りだった。わたしはそれが悲しくて悔しかった。だってそれはイヌピーさんが昨日のわたしのおかしな様子になんて一切気付いてないってことだから。
「あ、ナマエちゃん、ちょっと待って」
いつも通り差し入れを渡して帰ろうとしたわたしをドラケンさんが呼び止めた。
ほら、と彼は白い箱を差し出した。それはこの近くでも美味しいと評判のケーキ屋さんのものだった。
「たまにはこっちからも差し入れしねぇとな」
「わぁ、ありがとうございます!」
「それになんか最近元気なかったみたいだし」
そう言われドラケンさんからケーキの箱を受け取ろうとした手が一瞬止まる。
「なんかあった?」
「…別に、大したことじゃないですよ」
あぁもう、こんな言い方、何かあったって言っちゃってるじゃん。
構って欲しそうな言い方をしてしまった自分が嫌になる。こういう子どもっぽいところが余計にイヌピーさんと釣り合わない気がしてしまうから。
「俺でよければ話聞くけど?今イヌピーも外出てるし、ちょうど休憩しようと思ってたところだから」
「ありがとうございます…」
本当にこの人はいかつい見た目と違いどこまでも良い人だ。明日はお父さんに唐揚げいっぱい揚げてもらわなきゃ。
「本当にね、大したことじゃないんですよ。ただ気付いちゃったんです」
「うん?」
「やっぱり予防線張ってただけだったんだなぁって」
「いや、まぁそうだろうな」
ドラケンさんは面白そうに笑ってわたしの頭をポンポンと叩いた。あー恥ずかしすぎる。自分でも気付いていなかった気持ちに、この人はもうずっと前から気付いていたなんて。
「じゃあイヌピーはもうナマエちゃんの推しじゃなくなったわけだ」
「そうなりますねぇ…」
「…それどういうこと?」
突然後ろから聞こえた声に慌てて振り返ると、イヌピーさんが無表情で立っていた。
えっ無表情でもかっこいいのズルくない?って今そんなこと考えてる場合じゃなくて!
「い、イヌピーさん!?」
「俺のこと、もう推しじゃないってどういうこと?」
「や、えっと…」
「他に好きなやつでもできたの?」
「えっ!?そ、そんな人いませんよ!」
「じゃあなんで?」
「な、なんでって…」
じりじりとわたしに詰め寄るイヌピーさんに戸惑う。なにこれちょっとイヌピーさん顔近い!!待って待って!近くで見てもやっぱり顔が良いな!?
「おい、イヌピー落ち着けって」
ドラケンさんが苦笑いしながらイヌピーさんをが制止してくれた。そして「とりあえずお前ら2人でちょっと話してこい」そう言って店の外に出されてしまった。
えぇ、なにこれ…なんでこんなことに…。
「…ちょっと歩こうか」
「は、はい…」
イヌピーさんにそう言われ、2人で歩いた。無言で。わたしはイヌピーさんの一歩後ろをひたすら歩いた。沈黙が痛いけど何を話せばいいのか分からなかった。
しばらく歩いているとイヌピーさんが突然立ち止まってわたしを振り返った。
「さっきの…」
「え?」
「俺がもう推しじゃないって」
「あ、う、それは…」
感情の読めない表情でイヌピーさんがこちらを見る。
「俺嬉しかったんだけど」
「…え?」
「いや、まぁ、ちょっとは恥ずかしかったけど…あんたに推しって言われるの、結構嬉しかった」
「それって…」
「こんなおっさんにこんなこと言われても困るかもしれないけど」
「…イヌピーさんはおっさんじゃないです」
「女子高生からしたら十分おっさんだろ」
イヌピーさんからの想定外な言葉に心臓がどきんどきんと大きく鳴りだした。
「この前お店に来てた綺麗な女の人いたじゃないですか…」
「あ?あぁ…バイクに興味ないやつに来られてもなぁ」
「実はわたしもバイクとかそんなに興味ないです」
「マジで?今度後ろ乗せてやるよ、絶対興味出るから」
「…ねぇ、イヌピーさん」
「ん?」
「そんな風に言われたら、わたし勘違いしちゃいますよ…?」
「いいんじゃない?勘違いしても」
ふっと笑ったイヌピーさんは無言でわたしの手を取ってまた歩き出した。イヌピーさんの骨張った大きい手をじっと見つめる。
「わたしなんてまだガキですけど…」
「それ言ったら俺はおっさんだけど」
「可愛いお菓子差し入れできないし」
「あんな腹に溜まらないお菓子より唐揚げの方がずっといいよ」
「わたしあんなに…む、胸も大きくないし…」
「…俺は制服の方が正直グッとくるけど」
「えっ」
「や、ごめん、今の変態っぽかったな…」
イヌピーさんが片手を口元に当てて少し顔を赤くしている。照れて顔を赤くしてても、変態みたいな発言しててもイケメンなの、ほんとずるい。
「…イヌピーさんのこと、これからは推しじゃなくて好きな人って言っても良いですか?」
「そこは彼氏って言ってくれないの?」
「…本当にいいの?」
「俺はさっきからそう言ってるつもりなんだけど」
いつもはあんまり喋らないイヌピーさんがこれだけ言葉にしてくれて、もうそれだけで胸がいっぱいになる。
わたしの17年の人生で、確実に1番嬉しい出来事だ。推しがわたしの彼氏になるなんて。まだ全然信じられない。
「てかさぁ…これってもしかして犯罪?」
「えっ、どうでしょう…?」
「まぁいっか。いざとなれば籍入れればいいし」
「へっ!?」
「こんなおっさんだけど、俺結構本気だから」
覚悟しろよって小さく笑ったイヌピーさんは、わたしの人生の推しになりそうです。
恋する17歳