恋煩い【蛹】
数週間前に折った鎖骨の経過観察として、師範に処置室に呼び出された。
時期を見て経過を見せに来いとは言われていたものの、この怪我は任務の失敗に伴うものであり、顔を合わせるのに気兼ねしていた。
その一方で二人きりで話せる時間に心躍らせている。
胸元を師範が指圧しながらじっくりと観察する。
師範の肌はきめ細かく、日本人形のようだ。
化粧はしっかりしているけれど、肌はあまり塗らないらしい。
「ううん、」
師範が小首を傾げつつ触診を進めると、藤の甘い香りが濃くなる。
心臓がどくどくと早鐘を打つのを、呼吸が乱れるのを、必死で押さえつける。
平静を保とうとすると汗が出る。
汗を止めようと落ち着こうとすれば一層心臓が早くなる。
人の身体にじっくりと触れているのに、変化に気づかないことなどあるだろうか。
気づかれたくないのに、気づいてほしい。
もしこの動悸の理由を知れば、師範は焦るだろうか。
嫌悪するだろうか。
「右の鎖骨…押さえると痛みますか?」
「大丈夫です。」
「経過は問題なさそうですね。」
処置の記録に書き込みをする指先は白く儚く、鬼を殺す猛毒を日々作りだしているとは到底思えないほど美しい五指をしている。
「貴女は周りを見下す癖がありますね。」
今日の夕飯を相談するような口ぶりで、ざくりと人の心に斬り込んでくる。
どんな言葉を舌に乗せようと、たおやかで優美な顔の侭だ。
「……。」
「無表情のフリがヘタクソです。カナヲのようにはいきませんからね。」
「低い方に合わせるのは愚かです。足を引っ張るのが悪い。今回も私がひとりで行ったほうが早かったはずです。お陰で鬼を取り逃がすし、骨は折る。そうでしょう?」
「そんなに怒った顔をしてはいけませんよ。綺麗なんですから勿体ないです。」
「師範だって腹の内では私と似たように考えているでしょう。エゴイズムの塊です。」
「……。」
「師範と私は似ています、多分。師範に昔、何があったかを隊員から少しだけ聞きました。身の上が似てるから……だから私を屋敷に入れてくれたんですか。」
「…人の話を勝手にするなんて、その方は感心しませんね。今度治療に来たときには毒でも盛って、お仕置きをしてあげなくてはいけませんね。」
「……師範、」
薄く微笑み、私の手に薄羽のような掌を重ねて、幼い子供に言い聞かせるようにする。
「貴女は頑張り屋さんですね。」
家族を失って、しばらく悪夢を見たときも師範はこうしてくれて。
でも今ほしいのは「優しい姉」ではない。
彼女の心は「死んだ姉」が占めている。
喪った姉を演じることで己を保っている。
「姉」を模した鉄面皮で素顔を覆い隠し続けている。
「……しのぶ」
「師範を呼び捨てなんていけませんよ。それに、女の子なんですからもっと丁寧な言葉遣いをしなくては。」
彼女の鉄仮面に覆われた皮膚に触れる隙は微塵もないのだと、痛いほど思い知らされる。
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