更新「システムエラー/藤木遊作」
2017/06/18 23:28

前の日記で「就職活動」をしていることをちらりと書きました。
考えあって、研究の道は私のやることじゃないと思い、別の道で生きていこうと考えを改めたのです。
研究嫌いになったわけでもなく、文章嫌いになったでもありません。
いまの研究室でいまの先生の元では将来が見込めないと気づきました。
方向性を改め、仕切りなおしです。
専門は保持していた方がいいと思うので、安易に妥協できないのですが。

躁鬱状態に陥ってぐるぐると思考は酩酊状態。
私の存在は夢か現かと苦しむ時期が長らく続きました。
そんな精神状態に陥って物事を面白いと感じることが減り、趣味も楽しくなくなる。
もう文章書くのも気が乗らないな…と思っていました。
ですが、バイトで書評を書く機会を頂いたので書いたのですね。
顔には出しませんでしたが、元新聞社のおじさまにべた褒めしてもらったんです。
かなり他の人にも褒めて貰いました。
うれしかったです。
それで相変わらず文章書くのは好きなんだなあと、自分の感情を肯定することができる「まとも」な状態に戻れました。

鬱から躁鬱へと発展しているので、精神病の大枠は経験しました。
うつ病の症状のひとつが「好きなものが好きじゃなくなる」と説明されますが、その通りです。
何もかも興味を失います。
「興味を失う」と興味に不随していた「行動」がなくなります。
それが一番つらいです。
私は文章を書くこと(とりわけ「人を引き付ける文章」)に自信がありました。
でも「好き」という感覚がなくなると、自信を持っていた行動を起こさなくなります。
その行動の動機には少なからず「好き」が含まれているからです。

「好き」は、自身を維持・保護する鎧であり、武器です。
鎧も武器もなしに戦場を歩けば、よほど運が良く、頑強な人間でなければ死ぬでしょう。
「好き」は二度と手放しません。
選んで手放すなら死を覚悟せよ、と心に刻み付けました。

20数年間、血を流しながら生きてきました。
骨が折れたら添え木を、肉が割けたら糸を。
そうやって一人で頑張ってきたので「強い人」と評されるようになりました。
痛い思いに泣いてきた自身では強いとは思えませんが、結果を見れば「強い人」なのだと評せざるを得ないでしょう。
もしかしたら、私の考え方は「強い人」だから実行できることかもしれません。
実行の可否はさておき、考えは間違っていないと思います。
淀んだ血と内臓の中から掬い上げた宝石のようなものです。
「好き」は人間を人足らしめるもの。
ですから、もし今私と同じように悩む方の目にこれが留まったのであれば、何があっても「好き」を手放さないで頂きたいと思います。
苦しみの中では手放すことの方が楽。
けれどもその後に控える苦しみは地獄であります。




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