旋律 美しいピアノの旋律。 口元を真紅に濡らした彼。開かれた扉の前にいる少女。 「お兄ちゃんだぁれ?」 「私はこの部屋の主だよ。いいかい。可愛いお嬢さん。私のことは秘密だよ」 「うん。約束ね!」 記憶を奪い。命を削る。 しんしんと雪が降り積もる中、山奥の別荘に1人の少女がいた。彼女は身体が弱く、一年のほとんどを家の中ですごしている。 しかし今年は、彼女の願いで、幼い頃に何度か訪れたことのあるこの別荘で、冬の間だけ過ごすことになった。 彼女の命は一年も無い。家族の誰もがそれを知っていて、彼女の望みを叶えている。 なに不自由無い生活。しかし、死に急ぐ自分の身体。生きることを諦めている少女。 暖かい部屋を抜け出し、屋敷の中を歩き回る。それぐらいしか、今の彼女にはできない。窓から外を覗くと、真っ白な雪が降り積もっていたい。 明日もこの景色を見られるのかしら。そんな思いが頭をよぎる。とたん、死ぬことが怖くなってくる。いくら生きることを諦めていても、やはり死ぬのは怖い。できることなら、外の世界をたくさん見たい。叶わぬ願いが思考を支配する。 瞬間、ピアノの旋律が流れ込んできた。おかしい。今、この屋敷には、少女とメイド達しかいないはずだ。ピアノを奏でるものなどいるはずもない。 柔らかな旋律なのに、どこかかなしげなその音に、少女は懐かしさを感じた。 音の主を探すべく、少女はピアノの旋律を追いかけた。耳をすませ、手繰り寄せるように音を聞く。 音を追いかけ、たどり着いたのは、開かずの間。白が基調のこの屋敷には似合わない、真っ赤な扉。この扉の奥は見たことがない。幼い心には少し怖くて、昔は開けることができなかった。 しかし、旋律は間違いなく、この扉の向こうから聞こえている。今は恐れるものなどない。死の恐怖を上回るものなど、知らないのだ。 重い扉を押し開くと、ゴシック調の世界が広がっていた。美しく、繊細な家具に見惚れる。真っ赤な絨毯を見た瞬間、少しの痛みが頭に走った。 「いらっしゃい。」 びくりと肩が震える。甘い優しい声が、途切れたピアノの音の代わりに降ってきた。身体が熱くなる。ドクドクと波打つ心臓を抑えながら、好奇心の赴くまま、声のする方向へ振り返る。 『美しい』その言葉に尽きる。 柔らかく綺麗な、銀色の髪。滑らかな白い肌。形のいい唇。 見惚れてしまった。今まで触れてきた数少ないものの中でも1番美しいと感じた。数秒、ぼーっと見つめていたが我に帰り、 「ピアノの音が聞こえて…」 そう答えるのが精一杯だった。 すると、彼は少し驚いたような表情を見せた。なにか気に障るようなことをしてしまったのか。不安がよぎる。しかし、すぐに柔らかい表情にもどったのを見て少し安心する。 「君は、私が出す音が聞こえたんだ」 品のある、美しい動作で、部屋の中央におかれた、漆黒のグランドピアノの椅子から立ち上がりソファーへ移動した。 「そんなところにいないで、こちらにおいで」 彼にそう促され、ソファーの近くまで歩み寄る。隣に座るよう合図され、座る。 先ほどから続く頭痛の正体に気づかない。彼の顔を見れば見るほど、鈍い痛みが増しているような気がする。 「あ、の。ピアノの音が聞こえて…。今、このお屋敷にはピアノを弾く方など居ないはずだから、気になって」 必死に伝えようとする少女。なぜか、見てはいけないものを、見てしまっているよに感じて。 「私こそ、びっくりさせてしまって申し訳ない。君はここの主の娘さんだね。」 「はい。貴方は…?」 おずおずと彼に問う少女。知りたい好奇心と、知ってはいけないという本能の警告が渦巻く中、彼の答えをまつ。 「私は、ずっとこの部屋に住んでいる。幼い君を見たことがあるよ」 刹那、緩やかだった頭痛が激しさをまし、少女を襲った。幼い日の記憶が流れ込んでくる。あぁ、彼を知っている。幼いあの日、この部屋を覗いてしまったのだ。 まだ、身体が丈夫だったころ、屋敷の中を探検していた。そして、この部屋も覗いてしまったのだ。今、目の前にいる彼と、寸分違わない彼がその日、この部屋にいた。口元が真っ赤に濡れ、妖しく微笑んでいる彼が。 あの日を境に、身体が弱くなった。 「貴方に会ったことがあります」 少しの恐怖を含んだ声で彼をみる。彼の口角があがった。 「私と君の秘密だ。誰にも言ってはいけないよ」 そうして、口止めのように少女にキスをする。発火、するかと思った。熱を持った唇に無意識に指を添える。 「ずっと君を待っていたんだ。幼い君が成長するのを。君の命の燈が尽きる時をね。今日はもう戻りなさい。」 恐怖と熱さにうかされ、無意識に頷く。言われるがまま、部屋を後にし、自室に戻る。 それから毎日、少女は彼のいる真っ赤な扉の部屋にかよった。 彼が何者なのか知りながら。 「どうして毎日くるんだ?私が何者なのか気づいているだろう?」 「はい。きっと私、貴方に殺されたいんです」 微笑みながらそう言ってのける少女。どうせ、命は長くない。死をまつより、死に近づく方が楽だ。目覚めないかもしれない眠りに毎日つく恐怖。その恐怖から、はやく解放されたい。 「君の命は美しい。でも、まだダメだよ。足りないものがある。」 「何が足りないの?お願い、私をこの恐怖から救って。」 懇願する少女に彼は、 「だったら今晩、この部屋においで。そうしたら、君に足りないものを教えてあげる。」 そうして少女にキスを与え、自室に返す。 夜。部屋を抜け出し、彼の待つ部屋へ急ぐ。暖かい部屋とは違い、廊下は冬の寒さのせいで凍るように冷たい。それでも、身体が熱い。きっと、熱が出ている。あぁ、このまま死んでしまうかもしれない。恐怖と不安が襲いかかる。それでも、歩みを止めない。いっそ死ぬなら彼の元で、彼の手によって死にたい。 熱に浮かされた思考は、身体は、恐怖に囚われ、最悪の思考にしか辿り着かない。 「待ってたよ。君は来てくれると信じていた。」 彼は、微笑みながら少女に近づく。 「あぁ、顔が真っ赤だ。熱があるようだね。」 「そんなことどうだっていいわ!私には何が足りないの!どうすれば、私を殺してくれるの!」 責め立てる勢いだ。 「おいで。足りないものを教えてあげよう。」 そう言い、少女の身体を抱き上げ、毛布をかけ、窓から外へ出る。冷たさが肌に刺さる。降り立った先は一面の銀世界。しばらく歩き、別荘の近くにある、湖にたどり着いた。 「君に足りないものはこれだよ。みてごらん。」 彼の視線を追うように、少女はみた。 真っ白な雪に浮かぶ湖。所々氷った水は、月の光に照らされ、反射してキラキラ光る。星の光が降り注ぎ、冷たい空気を輝かせる。純白の静けさに包まれる。 刹那、涙が溢れた。赤い頬を伝い、彼の服に染み込んでいく。 こんなにも美しい景色を見せられたら、もっとみたくなる。蓋をしたはずの、生きたいという思いが溢れ出す。 「怖い。生きたい。もっと美しいものを、もっとこの世界をみてみたい。」 「君に足りないものはそれなんだ。」 『生』に対しての執着。生きたいと願うほど命の輝きは増す。美しく、そして甘美なものへとなるのだ。死に急いでいる命など、比べ物にならないくらい、美味しい。 気付いてしまった。足りないものに。なんて残酷なんだろう。この思いに蓋をしてしまったら恐怖に襲われる毎日をおくらなければいけない。しかし、生きたいという思いが溢れれば、彼に命を奪ってもらえる。 混ざる意識。矛盾する思考。熱にうなされた頭では追いつかない。グルグルと回る思考回路は真っ白になり、雪のように溶けてゆく。そこで意識が、プツリと切れた。 朝、目が覚めると自分の部屋にいた。頭がクラクラする。まだ熱があるようだ。 心臓が熱い。熱のせいではない、別の熱さ。こんなにも気持ちが高ぶったのは初めてだ。愛おしさと恐怖に苛まれる。 おぼつかない足取りで、彼の部屋を目指す。 「よくきたね」 彼の声を聞くたびに心臓がドクドクと波打つ。 「消えて。貴方が消えてくれれば私は悩まなくてすむの」 自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。言葉は溶け、空気の中の消えていく。 一瞬の静寂のあと、彼がカーテンをあけ、日の光を身体に浴びせる。刹那、耳を覆いたくなるような焼け溶ける音が広がる。 「やめて!」 そう叫び、日の光から彼を押しのける。 「君が消えろと言ったんだ。私は君を愛しているんだ。」 あぁ、なんて幸せな言葉なんだろう。 「貴方と永遠に一緒に居たい。私を貴方と同じにしてください。そうすれば、ずっと一緒にいられるでしょう?」 「死よりも恐ろしいよ。本当にいいんだね?」 「えぇ、貴方と一緒なら?」 キス、されるかと思った。鋭い痛みが首筋に刺さる。全身の血を飲み干すように牙を立て、吸いたてる。意識が朦朧とする。 「生きたい。恋しい。裏切り。絶望。恐怖。これこそが最も美しく、美味しい命だよ。」 開かれた彼の口は、真紅に濡れていた。最大の絶望の中、少女は死を迎える。 彼は少女に深い口づけを与えた。最後のキスは、鉄と涙の味だった。 「愛していたよ。さようなら。」 この別荘には、真っ赤な扉の部屋がある。美しいピアノの旋律が聞こえてくるが、決して開けてはならないのだ。 その扉を開けたのならば、生と死の狭間に囚われるー… (朽ち果てる瞬間がこの世で最も美しい。) [mokuji] [しおりを挟む] |