革製の小さなショルダーバッグの中には財布と音楽再生用プレイヤー、そしてたくさんの写真が詰められていた。これだけでは判断がつかないので財布の中身も改める。そうしたらなんてことだろう。財布には外国の紙幣とコインしか入っていない。しかも何ヵ国にも渡る多種類の貨幣が少しずつ、という具合だ。男の風貌は、よくわからない柄のTシャツに色褪せた大きめのパーカー、履き古されたジーンズにこれまたボロボロの靴。髪は短く茶色で両耳はピアスで装飾されていてただのものぐさという訳ではないらしい。
「職業は」
「フリーター。あ、今は働いてないから無職だな」
「住所は」
「どこだったかなあ。場所はわかってるんだけど住所は忘れちまった」
怪しすぎる自己紹介だった。
「それで?どこの国から来たんだ」
「俺この国出身だよ」
「この大量の外貨はなんだ」
「俺、旅人だからさあ」
「なら身分証明してみろ」
そう言ってやると男はバツの悪そうな顔をして実は、と切り出した。男が言うにはパスポートや免許証、その他身分を証明するものは全て先程まで居た知人の家に忘れてきたとのことだった。白々しい嘘はやめるんだな、と言ってやると男は本当のことだって!と叫んで、それから拗ねてしまった。
「なあ警官の姉さん、俺河原で寝てただけだろ?悪いことしてないって」
「こんな夜中に私の知らない人間が河原で寝転んでいたんだぞ。怪しいと思って連れてきたがまさか不法入国の疑いが浮かび上がるとはな」
「だからあ、俺は趣味で旅人やってるだけだって」
会話は常に噛み合っていない。男はついに聞いてもいないのに自分がしてきた旅について話始めた。行った先で撮ったであろう写真を私に見せながら旅の思い出を語る。色素の薄い瞳は純粋な子供のような光を持っていた。ここまでされてこの男が旅人かどうか疑うのは馬鹿らしかった。
「じゃあその友達とやらに電話したらいいだろ」
もしかしたら旅人な不法入国者かもしれない。とにかく身分証か若しくは身元引き受け人がいてくれないと解放することはできない。そう伝えて茶を出してやる。午前三時を回ったところだった。この時間の茶菓子は女性への宣戦布告であるから出すわけにはいかない。男は出してやった茶をズズッとすって一息つき、そして答えた。
「携帯電話もそいつの家なんだ」
頭をかきながら乾いた声で男は笑った。このままこいつを手錠で机にでも繋いで寝てしまおうかと考える。それがいいかもしれない。
「あー!バッツやっぱりここか!」
せめて毛布をくれと言う男の嘆願にどう応えるか思案していると見知った少年が入り口に現れた。
「ジタン!」
男がすぐさま反応して声の主、ジタンに抱きついた。ジタンはそいつに抱きすくめられた状況を保ちつつ私に数枚のカードを渡してきた。それはこの男のパスポートや保険証、果ては使用期限の過ぎたレンタルビデオ店のカードまであった。名をバッツ・クラウザーと言うらしい。
「こいつ、バッツは俺とスコールの友達で、家は通りの先のすっげー古いアパートの二階だぜ。ライトが来るより前にバッツが旅に出てたから初対面ってこと」
「なるほど」
身元もわかったところでバッツの片腕にかかっていた手錠をはずしてやる。
「でもよくここだってわかったな?俺がしょっぴかれるとこ誰か見てたのか?」
「あー、スコールがさあ。今のライトニングならバッツくらいしょっぴいてそうだって」
「今の私なら?」
ジタンはあきれた顔をして私を見ている。バッツは眠たそうに大きなあくびをした。
「だってライト、最近ずっと不良学生との追いかけっこしてるだろ?ちゃんと寝てないよな」
そんなんじゃ、綺麗なライトが台無しだ。歯の浮くような台詞を放つジタンには慣れっこだから、言葉は何も返さず考える。私は最近いつ眠っただろうか。
「……今日は眠るか」
「そうそう」
気を付けて帰れよと声をかけて建物内へ戻る。外から送って行こうかとバッツの声がした。
「私の帰る家はここしかないんだ」
「え?」
「ははっ、おやすみ駐在さん」
ふわふわの布団が私を待っている。
翌日、深夜自分が何をしていたのか思い出して少し申し訳なくなった。普段の思考回路ならもう少しまともな対応が出来たはずだ。バッツに一言謝ろうかと思ったがあいつはもう旅に出てしまったかもしれない。いつかまた会えるだろう。謝罪はその時までとっておこう。気持ちのいい風が吹いて空が青く、絶好の旅立ち日和だなと思った。
「いらっしゃいませー」
「ん?」
「よお」
行きつけのコンビニにモーニングコーヒーを買いに行ったところ、旅人はコンビニ店員として働いているとのことだった。
20120301