お年玉 | ナノ

お菊さんで異世界系都市伝説 前編


人間は常に後悔する生き物だ。人生は「あの時、ああしておけばよかった」の繰り返しで構成されていて、そのことに気付いた時は大抵、もう取り返しのつかないところまで来ている。それでも俺は基本的に、後々に後悔しないように今できることを懸命にやる、そういう生き方を心得ているつもりだったが、この時ばかりは本気で後悔した。「何故あの時、ああしておかなかつたのか」…。これはそんな俺の、つい最近あった身近な後悔の話で、二度と体験したくない悪夢のような出来事の話だ。













茹だるような暑さのある日のことだ。世間は夏休みシーズン真っ只中だったが、そんなものとは無縁の部活人であった俺や及川は、文字通り休み無しにバレーの練習に明け暮れていた。
その日は監督のツテで、秋田を拠点とするチャレンジリーグのチームと練習試合を行えることになり、そのため電車に乗って隣県まで赴いた。下部リーグとはいえやはりプロ、練習環境もバレーに対する意識も、何もかもが高レベルで学び甲斐の塊だった。
そんなこんなで、バレー密度の濃い時間を過ごせた俺と及川は、ホクホク気分で帰りの電車に乗り込み、真っ直ぐ家に帰るはずだった。そう、帰れるはずだった。


「……ん?」


比較的空いていた車内の隅、連結部分のすぐそばの座席で、俺は目を覚ました。どうやら、帰りの電車に乗っている最中、疲れからか眠ってしまったらしい。隣を見ると、家が近所なので電車が同じにならざるを得ないお邪魔虫野郎こと及川が、よだれを垂らしながら寝ていた。汚えなこいつ。
だがその時、寝起きのぼーっとした頭が、一気に覚醒するようなことに気付いた。電車に乗り込んだ時、まだ夕日で明るかった窓の外の景色が、真っ暗になっていたのだ。慌ててジャージのポケットに入れていたスマホで時間を確認してみると、時刻は既に夜の8時を回っていた。ざっと計算して、1時間以上も電車に乗っていることになる。つまり、完全に寝過ごした。


「おいっ、クソ川起きろ!」


「いだっ!? ど、どしたの岩ちゃん…?」


「寝過ごしてんだよクソが! 次の駅で一回降りるぞ!」


「えっ!? …あぁっ、ホントだ! ヤバいヤバい、おかあちゃんに怒られる!」


この調子では帰りは相当遅くなるだろう、家で晩メシを作ってくれているであろう母ちゃん達に心で謝りながら、俺たちは慌てて座席上の荷物置き場に置いたスポーツバッグを降ろした。その時、タイミングが良いんだから悪いんだか、電車のスピードが徐々にゆっくりになり、車内に次の駅名を告げるアナウンスが流れてきた。


「次は、きさらぎ。きさらぎに停車いたします……」













「…で、ここは一体どこだ?」


俺たちが電車を降りた『きさらぎ駅』は、いっそ異様とも言えるほどに寂れていた。駅名を書いた看板は、錆ついてるわ色落ちしているわで、ろくに駅名を読み取ることもできない。ホームを照らす灯りも無く、それどころか駅舎らしきものもまるで無い。乗降客はおろか、駅員すら見当たらず、この場にいるのは俺と及川だけだ。


「うわー、どこまで寝過ごしちゃったんだろ。まさか、今のが終電だったりしないよね!?」


「馬鹿言うな、まだ8時だぞ。時刻表は…って、暗くてよくわかんねえな」


スマホの灯りで辺りを照らしてみたが、ド田舎の無人駅という割にホームは広く、時刻表らしきものは見当たらない。仕方ないので、文明の機器インターネットを使って、このきさらぎ駅から俺たちの家の最寄りまでのルートを調べることにした。遠征やら他校での練習試合やらで移動が多いので、こういった調べものはお手の物だった。


「…なんか、通信状況悪ぃな、ここ」


「俺もー…。アンテナは立ってるみたいだけど、妙に重いや…」


一応、ネットは使えるようだが、妙に読み込みが遅く、検索結果が一向に表示されない。まあ、街灯1つ無い田舎のようだから仕方ないかもな、と思い、俺はスマホをジャージのポケットに突っ込んだ。徐々に目が暗闇に慣れてきて、辺りの光景がわかるようになってきたが、辺りには山しか見えず、建物らしきものは一切無い。これほど人里離れたところなら、さぞかし星が綺麗だろうと思って夜空を見上げたが、生憎どんよりとした曇り空だった。


「仕方ねえ、電車が来るまで待つか」


「はー…。むちゃくちゃ腹減った…。焼肉食べたい…」


「やめろ、俺まで腹減ってくるだろ」


「あ、そういえば差し入れのお菓子あったっけ。岩ちゃんも食べる?」


そう言って及川が差し出してきたのは、練習試合先のチームのサポーターが差し入れてくれた、市販のチョコレートだのカップケーキだののお菓子の詰め合わせだった。青城の部員全員に差し入れてくれて、俺は休憩の時に既に食っていたが、及川は「男前だから」という理由で余った分を全部貰っていたのだ。あの時ほど男前という生き物を憎んだことは無い。


「いらねえ。っつーか、晩飯の前に菓子なんか食うなよ」


「いつ晩ご飯にありつけるかわかんないじゃん。なんか、全然電車来そうにないんだけど?」


「ったく、っつーかここは宮城なのか? 『きさらぎ駅』なんて駅、聞いたことねえぞ」


「…ん? あれ、待って。なんか、その駅の名前、どっかで聞いたことあるような…?」


そう言って及川は、チョコレートを口に放り込んでから、うんうんと頭を悩ませ始めた。俺は俺で、どこかで聞いたことが無いかと記憶の中を探ってみるが、やはりそんな駅の名前を聞いた覚えはない。せめて隣駅の名前だけでもわからないかと、俺は寂れた駅名の看板へ振り返った。


「えーっと…? かた……?」


「あーーーっ!!!」


ほぼ消えかけている文字を読み取ることに必死だった俺の背後で、クソ川がクソうるせえ叫び声をあげた。いきなり叫ぶんじゃねえ、心臓に悪いだろうが、そう言いながら蹴飛ばしてやろうと振り向くと、及川の顔が真っ青になっていた。さっきまで呑気に「腹減った〜」とか言っていた及川の急変ぶりに、俺は思わずたじろぐ。


「な、なんだよ、そのツラ」


「お…思い出した…。きさらぎ駅って駅…」


「は?」


「この間、まっつんが話してた怖い話…。そこに出てくる駅だ、きさらぎ駅って…」


すると、及川は震える声で、今一番聞きたくなかった真実を告げた。


「ここ…。違う世界の駅、かも……」














動揺しきった及川を落ち着かせ、顔に出さないまでもパニクっていた俺自身を落ち着かせ、話をまとめてみたところ、こういうことらしい。

松川がいつものように、ビビリな及川をビビらせるために仕入れた都市伝説、その1つが『異世界の駅に迷い込んだ女の話』だそうだ。
その女は深夜、勤務先から電車に乗って帰宅する最中、実際には存在しない、異世界の駅に迷い込んでしまった。
周囲には人っ子1人おらず、警察に電話をしても悪戯だと思われ相手にされず、女は仕方なく、線路を辿って家に帰ろうとした。
その途中で親切な男性に会い、近くの駅で車で送るという言葉に乗せられ、その男の車に乗ってしまった。
しかし、その車に乗ったきり、女が帰ってくることは無く、そのまま行方をくらませてしまった。
その女が迷い込んだ駅こそが、俺たちが今いる『きさらぎ駅』なのだという。


「…ど……」


「ど?」


「どうしよーーーっ!!! このままじゃ俺たち、家どころか元の世界にも帰れないじゃんーーーっ!!! 死ぬ前にもう一度、たらふく焼肉食べたかったーーーっ!!!」


「うるせえ黙ってろ!!!」


ピーピー泣きだした及川を蹴り飛ばしながら、俺は心底腹が立った。その話が嘘か本当かは知らないが、もし本当にここが違う世界なのだというなら、何としてでも元の世界に戻らなければならない。何故なら、明日も明後日も明々後日も、バレーの練習があるのだ。こんな訳の分からん駅なんぞに、邪魔をされてたまるかってんだ。


「何としてでも家に帰って、飯食って風呂入って寝て、明日もバレーする! わかったらその情けねえツラをどうにかしろ!」


「い、岩ちゃん、かっくいい…! 今なら抱かれてもいいかも…!」


「誰がテメーみたいなゴリラを抱くか。とにかく、帰る方法を見つけねえと…」


とは言ってみたものの、そんな方法は皆目見当もつかない。唯一わかっているのは、「近くの駅まで送ってやる」なんて声をかけてくる奴には付いていくなと、それだけだ。俺がどうしたものかと頭を捻っていると、及川が何か思いついたらしく、犬コロみたいに眼を輝かせて俺の肩をバシバシ叩いてきた。無駄に痛え。


「岩ちゃん岩ちゃん! 思い出してみてよ!」


「あ゛?」


「俺たちには、こういうことに関して最強の味方がいるじゃんか!」


「…そうか、水無瀬!」


及川の一言で、俺は水無瀬の人形みたいな顔を思い出した。
水無瀬夕莉、青城のオカルト研究部の部員で、通称『お菊さん』と呼ばれてる俺たちの後輩。説明できないぐらいの色々なオカルト能力の持ち主で、クソ川の命の恩人でもある。水無瀬なら、この状況を何とかできるはず。俺は一縷の望みをかけて、いまいち通信の悪いスマホを使って、水無瀬に電話した。


「頼む、出てくれ…!」


スピーカーモードにしたスマホから、規則的なコール音が鳴り響く中、俺と及川は祈るような気持ちで、水無瀬が電話に出るのを待った。永遠にも思えるような数秒間を経て、きっかり3コール目で、あのひんやりした声が聞こえてきた。


『はい、水無瀬です』


状況が状況なだけに、水無瀬が電話に出たというだけで、つい泣きそうになった。すると、俺より先に及川が、電話越しの水無瀬に泣きつく。


「夕莉ちゃーーーんっ! どうしよう、及川さんと岩ちゃん、異世界に来ちゃったみたいなんだけどーっ!」


「おまっ、意味わかんねえ切り出し方すんな! 何のことだかわかんねえだろ!」


『…? よくわかりませんが、ただごとではなさそうですね。何かありましたか』


「あ、ああ、それがよ……」


俺は水無瀬に事の次第を説明し、きさらぎ駅の都市伝説の内容は、俺も詳しくは知らなかったので、及川に説明させた。俺たちが長々と話し終えると、水無瀬はいつも通りの調子で「なるほど」と言ったので、俺は逆に安心できた。及川もそうだったらしく、さっきまで半べそをかいていたというのに、今ではいつもの間抜け面に戻っている。


『その駅は、確かにきさらぎ駅というのですね』


「ああ。水無瀬、知ってるのか?」


『実際に行ったことはありませんが。ですが、大体の見当はつきます。お2人が帰れるよう、迎えを手配しますので、少しお待ちいただいてよろしいでしょうか』


「マジで!? さすが夕莉ちゃん、ホントに頼りになる…!」


及川が心底ほっとしたように、その場にへたり込んだ。俺も同じような気持ちだったが、まだ元の世界に帰った訳ではないので、気は抜かないでおいた。だが、ここが電話も繋がらないようなところでなくて、本当によかった。水無瀬がいなかったら、一体どうなっていたことやら…。


「っつーか、ここは一体なんなんだ? マジで違う世界の駅なのか?」


『そのようです。きさらぎとは、『鬼(キサラギ)』のことを指すものだと思われます』


「鬼?」


『はい。オニと書いて、キサラギと読みます』


その時、俺たちの背後から、ずずずっという水音のようなものが聞こえた。まるで何か、ずぶ濡れの服を引きずったような、そんな音だ。電話の向こうの水無瀬には聞こえていないのか、特に言及もせずに話し続けている。


『鬼という言葉はその名の通り、怪物の鬼という意味もありますが、別の意味もあります』


背後から聞こえる異音は、徐々に俺たちの方へ近づいてきている。俺と及川は、嫌な予感を感じつつも、音の聞こえる方へ振り向いた。


『即ち、死者の魂、という意味です』


俺は、今にも叫び出しそうなのを、何とか堪えた。俺たちの背後に迫り来ていたもの、それは――――












『つまりそこは、死者の魂が集う、あの世とこの世の境の世界ということです』


全身が腐敗し、恐ろしい顔で俺たちを睨む、何十人もの化け物の群れだった。


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