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殺し屋探偵とスクアーロの結婚生活 中編


いったい、なにが、どうして、こうなった。
常に冷静さを絶やさないよう努めている一流の暗殺者たるスクアーロが、そのような考えに陥ってしまうほど、その光景は衝撃的だった。


「な、な、な……!!!」


「おはよう、今日は随分と早起きだね。待ってて、今コーヒー淹れるから」


驚愕のあまり、何も言うことのできないスクアーロを置いて、メルはベッドから抜け出た。あられもない姿を隠しもせずにスクアーロの目の前を素通りし、クローゼットからグレーのガウンを取り出すと、無造作に羽織って部屋を出ていく。バタン、と音を立てて扉が閉まると、スクアーロは咄嗟に先ほどまでメルに触れられていた左腕を見た。生傷に塗れ、手首から先が義手となっている、紛れもない自分の腕だ。


(なっ…なんて気色の悪い夢を見てやがるんだぁ、俺は!!!!!)


真っ先に辿り着いた答えは、この光景は全て夢で、自分は今まさに眠りについているのだろう、ということだ。いや、寧ろそれしか考えられない。そうでもなければ、あのメルが自分と共に一夜を共にした(と思われる)ことなど、絶対にありえない。そもそも、昨夜はスクアーロ1人で眠りについたわけであるし、メルには会ってすらいないのだ。


「スクアーロ君」


「あ゛ぁ!?」


「はい、コーヒー」


逃避めいた思考に耽っている間に戻ってきたメルが、自分の趣味ではない白いマグカップに入ったコーヒーを手渡してきた。反射的に受け取ってしまうものの、職業柄か、何か毒や薬などが混入されているやもしれない、と考えて口をつけないでいると、メルは溜息を吐いてスクアーロを伺ってくる。


「本当に、その癖だけは直らないね。何も入れてないよ」


「あ゛……?」


「お互い、もう裏の人間じゃないんだから。何か盛られてるかもとか、もう心配しなくても…」


「あ゛あ゛あ゛!?!?!?」


何度目かもわからない爆弾の投下に、スクアーロは思わず手に持っていたマグカップを落とした。ベッドの上だったので、マグカップは割れこそしなかったものの、白いシーツの上にコーヒーが零れてシミになる。零れたコーヒーなど気にもせず狼狽しきっているスクアーロとは真逆に、メルは落ち着き払った様子でシーツの汚れた部分を覗き込んだ。


「あぁ、零しちゃって…。ほら、洗うからベッドから降りて」


「………!?!?!?!?」


「なに不思議そうな顔してるの? 早く洗わないと、シミになっちゃうでしょ」


メルという女は、こんな所帯じみたことを言うような女だっただろうか? スクアーロの脳裏にそんな考えが浮かんだが、メルはベッドに座ったままのスクアーロを押しのけながら、汚れたシーツを剥がしていく。その慣れ切ったような仕草に、スクアーロは「妙に実感のある夢だな」と思わざるを得なかった。


「……う゛お゛ぉぉい、待ちやがれぇ!!!」


「?」


「言いたいことは山のようにあるが、この際どうでもいい!!! 何故、お前が俺の夢の中にいやがる!? それに、お互い裏の人間じゃないってのは、一体どういう……!!!」


「一体って…寝ぼけてるの?」


メルは不思議そうに首をかしげ、汚れたシーツを抱えたまま、スクアーロに近づいた。その近寄り方も、いつもと較べると妙に距離が近い。スクアーロが後ずさるのも構わず、メルはスクアーロの懐に潜り込んで、上目遣いで見上げてきた。


「私たち、5年前に結婚したでしょ」


「……………はぁ!?」


「その時、私もスクアーロ君も殺しをやめて、裏の世界から足を洗ったでしょ」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!?!?!?」


爆弾どころではない、もはや核弾頭級の発言に、スクアーロはとうとう思考回路の限界点を突破したことを悟った。まるで、ひとしきりの侮辱の言葉をぶつけられ、最後に唾を吐かれた時に自身を制御するリミッターが外れたような、そんな気分だった。事の正誤はどうだっていい、この状況は明らかに異様で、夢だったとしても悪夢にも程がある。


(最悪だぁ!!! こんな夢を見るぐらいなら、ザンザスにタコ殴りにされてた方がよっぽどマシだぜぇ!!! さっさと目覚めろ、俺!!!)


心の中で現実世界の自分へ、祈りにも似た呼びかけをしながらも、頭の中では冷静に現状を把握しようとする自分がいることを、スクアーロは感じた。このメルの言葉を鵜呑みにすると、今この時点から5年前にスクアーロとメルは夫婦となっており、以前に10年後のメルが発言していた内容から考えると、本来のスクアーロが生きているはずの現代より15年後が、今この瞬間だということになる。


「あの時はビックリしたなぁ。まさかあのスクアーロ君が、私の為にザンザスさんに背いてまで、ヴァリアーを抜けてくれるなんて」


「あ゛ぁ゛!?」


「しかも、ボンゴレへのケジメの為とはいえ、こんな……」


メルはふと、哀し気に眼を伏せて、スクアーロの右手を取った。スクアーロがつられてそちらに目線を向けると、それまで全く気付かなかった、あることに気付いた。
メルが触れた右手は、スクアーロが生来持つ生身のものではなく、左手と同様の義手になっていた。若かりし頃、剣帝テュールの剣を理解する為、自ら左手の手首を斬り落とした時と同じように、右手首の先の部分が完全に失われている。その時、あるはずもないスクアーロの右手首の傷痕が、左手と同じように疼いた。


「……!!!」


「せっかく残ってた右手まで、斬り落としちゃうなんて」


「なッ…なにを……」


「私、スクアーロ君の手、好きだったんだけどな」


その時、覚えてもいない記憶が、急激に頭の中をよぎった。過去の思い出なんかより、よほど身体や魂に染みついた記憶、それは痛みだ。スクアーロは、他者から付けられた傷、自ら付けた傷、その全ての傷を受けた瞬間を、昨日のことのように思い出せる。その傷が、痛みが、自らの怒りを呼び覚まし、殺意へと変換する。だが、この時のスクアーロが思い出したのは、酷く柔らかな光景だった。
いっそ悍ましいほどに真っ白な部屋の中、血を流す右手の処置をする、若い看護師の女。その隣で、じっとスクアーロを見下ろしている、メル。それを見たスクアーロは、こんなことを呟いている。


『う゛お゛ぉい、何て顔をしてやがる』


(これは、なんだ)


『勘違いするな、お前の為なんかじゃねえぞぉ。俺はいつだって自分の為に生きてきた』


(知らねえ、こんな記憶)


『剣に生きたのも、ザンザスに仕えたのも、お前と共に生きると決めたのも、全部俺の為だぁ』


(やめろ! 俺がいつ、そんな言葉を吐いた!?)


『それがわかったら、そのしみったれたツラを何とかしろ。手を失うなんざ、これが初めてじゃねえんだからよぉ』


今の自分の感情と、脳裏を巡る自分の言葉が、噛みあわない。なのに、まるで古びたフィルムのように、その記憶は再生される。今まで体感したことのない気味悪さに、脳が浸食されていくような感覚だった。
この時、スクアーロは1つの考えに到達した。これ以上、この夢を見続けるのは危険だ。あらゆる手段を行使してでも、この夢から醒めなければ。


「スクアーロ君」


「……」


「どうしたの、スクアーロく……」


メルの言葉を最後まで聞かず、スクアーロは両の義手をメルの細い首に伸ばした。そして、僅かな驚きを見せるメルを床に引き渡し、その首を締め上げる。剣を使わずに人を殺すのは随分と久しぶりだ、スクアーロはそんなことを思った。


「っ……すく、あーろ、くん……?」


「夢なんざ、ここ何年も見なかったっていうのによぉ。あんのクソボス、10年経ったら三枚におろしてやる」


酷く冷徹な声が出て、スクアーロは他人事のように「あぁ、自分は生まれついてのクズだなぁ」と思った。そうだ、スクアーロは1人の男である前に、1人の暗殺者だった。自分はどんな相手だろうと殺せる。生みの親でも、ヴァリアーの仲間でも、馴染みの友人でも、自分の女でも。そのことを、これでもかというぐらい自分に知らしめるために、わざと悪どい笑みを浮かべてみる。


「俺は俺の為に生きる、それは揺らがねえ」


「…っ……」


「それがわかったら、さっさと俺の夢から消えるんだなぁ」


「…わたし、は……っ……」


メルが何か言おうと、スクアーロに手を伸ばす。だがスクアーロは、そんな言葉の一片たりと聞かず、彼女を殺すこともできる。初めて人を殺した時から今の今まで、そうやって生きてきたのだ。だが、メルが何か言う前に彼女を殺そうとした、その瞬間。


「ぐぁッ……!?」


スクアーロの両の義手の接合部に、異常なまでの激痛が走った。痛みに慣れているはずのスクアーロですら、顔を歪めてしまうほどの痛みに、思わずメルの首を絞めていた手を放してしまう。急激に入り込んだ空気にメルが咳き込む中、スクアーロは信じられないものを見るような眼で、自身の手を睨みつけた。なんだ、今のは。まるで、何者かに邪魔をされたような、そんな急激な痛みが―――


「げほっ、スクアーロ、くん」


「!」


「君はそれで、いいよ。でも、私は……」


真っ青な顔色を浮かべたメルが、微笑む。そんな笑み、スクアーロは一度だって見たことが無い。なのに、その笑みを知っているような気がして、記憶と感覚の齟齬にスクアーロの心中が揺らいだ。


「君の為に生きたいって、そう思ったんだよ、スクアーロ君」


その瞬間、どこか遠くの方で、何かが割れるような音が聞こえた、そんな気がした。
















「で、その幻術使いって、結局誰なワケ?」


ヴァリアー本部の大広間、その中央の豪奢なソファに寝転がりながら、ベルは自身の手札のトランプを見た。ベルの問いに、同じく手札を眺めるマーモンはとぼけたような振りをして、手札から2枚を捨てる。


「何のことだい」


「とぼけんな、イカサマ野郎。マーモン、この間の任務で回収したクスリを横流ししようとして、スクアーロに止められたの根に持ってたじゃん。どうせ、幻術使いの正体も掴んでて、でも嫌がらせに黙ってんだろ」


新しい手札を引こうとしたマーモンの手にナイフを突きつけながら、ベルが笑う。マーモンは素直に、イカサマの為に隠し持っていたカードを捨てて、ベルの問いに答えた。


「5年くらい前、ロシアからイタリアに流れ着いた、『インキュバス』ってあだ名の幻術使い、覚えてるかい」


「ああ、キーテジの怒りを買って、小便漏らしながらイタリアに逃げてきたアイツ?」


「そう、奴だよ。幻術をかけられた者が最も恐れることを悪夢として見せてくる、そんな幻術を操る奴さ。ま、僕からすれば子供騙しもいいところだけど」


「しししっ、赤ん坊に言われちゃお終いじゃん。でも、最近のスクアーロ、見ててクソ笑えるぐらい調子悪いから、案外アッサリ引っかかったりして」


「まあね。それでヘマをして、ボスの怒りを買って消されてくれれば、ヴァリアーのナンバー2の座は僕のものになるから、そうなるよう期待はしてるよ」


「昇給目当てがバレバレなんだよ、この銭ゲバ野郎」


今まさに、その悪夢に苦しんでいるスクアーロのことなど露知らず、ベルとマーモンはケラケラと笑った。


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