ワルツ・フォア・N・アンド・L 1


Tell me before I waltz out of your life
Before turning my back on the past
Forgive my impertinent behavior
But how long do you think this pantomime can last?
『別れていくその前に教えて こんなに馬鹿げた茶番をいつまで続けるつもりなの?』











 常に常夏の気候に恵まれたアローラにも、四季は確実に存在する。
 4つの島々は、ビーチではしゃぐ観光客が肌寒い風に見舞われる冬季を終え、照り付ける太陽の熱が再び息を吹き返す春を迎えようとしていた。
 アローラに長く住む人々は「ようやくアローラらしい気候が戻ってきた」と薄着姿で街を歩き、野生のポケモンたちも心なしか活発さを取り戻しているかのように見える。


「…あっっっっっつい!!!」


「きゅ…きゅぃ…」


 にも関わらず、ポータウンにはザアザアと雨が降り注ぎ、高い気温も相まって筆舌尽くしがたいほどの蒸し暑さに襲われていた。
 ここ半年ほどポータウンでの生活を謳歌していたエルではあるが、豊かな四季を誇るイッシュ地方育ちの身はこの茹るような暑さにすっかり参ってしまい、いつも通り厨房で過ごしているだけで滝のような汗をかく始末である。
 特段に可哀そうなのが全身を毛に覆われたマーシャで、冷房器具の前を陣取るとそこから決して動こうとせず、小さな舌を出して「はっはっ」と短く呼吸をすることで身体の熱を逃がしていた。


「なんだよ、これくらいの暑さ別に普通だろ? これだから他所モンはナンジャクで困っちまうよな〜!」


「ちょっとディアン、そんな言い方しなくてもいいでしょ!? エルさんはアローラ生まれじゃないんだから、この暑さに慣れてなくて当然じゃん!」


「お気遣いありがと、アーリィちゃん…。しかしこの暑さで平然としていられるなんて、みんなすごいね…」


「えへへ、そりゃ俺たち生粋のアローラっ子でスカら!」


 一方、アローラの環境に慣れ切ったスカル団の子供たちはこの暑さの中でも平然としているどころか、あまりの暑さにエルとマーシャが屍と化しているのを尻目に「今日は涼しい方だよな!」などと言い放つほどであったので、エルとしては羨ましい限りであった。
 恐ろしいのは暦の上では未だ春であり、夏ともなればこれ以上の暑さに襲われるということである。
 まるで時限爆弾のようにエルとマーシャの身を脅かす『アローラの気候』という問題に直面したエルは、如何にしてこの暑さを乗り切るか、そしていずれ訪れる夏に向けてどのように備えるかを考えざるを得なかった。


「だ…だめだ…暑すぎて脳がまともに動かない…」


「きゅ…きゅぴ…」


「ちるるるん〜♪」


 もはや「暑い」以外のワードが浮かんでこないエルの脳みそを笑うかのように、新たにカフェの常連となったパッチールの呑気な鳴き声が響く。
 パッチールもマーシャと同じように全身を毛で覆われているにも関わらず、アローラの環境に適応したからなのか、この暑さの中でも平然としていた。


「とりあえずわたしは二の次でいいけど、マーシャの暑さ対策はなにか考えてあげないと…! このままじゃあまりにも可哀そうすぎる…!」


「きゅぃぃぃ…」


「うーん、確かにこの毛の量は暑そうっス…。どうしてあげたらちょっとでも涼しくなるんスカね?」


「…あ! エルさんエルさん、あたしいいこと思いついた!」


 暑さでまともに思考できないエルの代わりに頭を悩ませてくれたアーリィが、名案を思い付いたと言わんばかりに瞳を輝かせた。


「マーシャちゃん、サマーカットしてあげればいいんだよ!」


「きゅい?」


「サマーカット?」


「そう! あたしのママも、夏になるとよくヘアサロンに自分のトリミアンを連れてって、サマーカットしてもらってた! ママのトリミアンもカロス地方育ちだから暑さに弱かったけど、サマーカットしてもらったあとは涼しそうにしてたよ!」


「なるほど! ナイスアイディア、アーリィちゃん! そうと決まればマーシャ、わたしがさっそくサマーカットしてあげるよ!」


「ぐ!?」


 意気揚々とキッチンバサミを取り出したエルに、マーシャは飛び跳ねて驚くと、「嫌な予感がする」と言わんばかりの懐疑的な視線を向ける。
 どうやら直感的に、エルに自身のサマーカットを任ればとんでもないことになる、ということを察したようだ。
 それもそのはずだ、エルは料理名人ではあるものの、美的センスは皆無に等しいのである。


「ちょっ、ちょっとタンマ、エルさんストップーッ! こういうのはちゃんとヘアサロンに行って、プロに任せた方がいいって! ポケモンのカットってすっごく難しいって、ママの専属美容師さんが前に言ってたよ!」


「ぐ! ぐぐぐ!」


「なるほど、それもそうだね! それじゃあ明日にでも、マリエシティのヘアサロンに連れてってあげるからね、マーシャ」


 マーシャ同様に嫌な予感を察知したアーリィの助言もあり、エルが手に握っていたキッチンバサミを元の場所に戻すと、マーシャは「安心した」と言わんばかりの溜息をもらしたのだった。



 *   *   *



「きゃ〜〜〜っ! 本物のジグザグマだ! かわいい〜〜〜っ!」


 翌日、カフェの休憩時間を見計ってマリエシティへとやってきたエルとマーシャは、さっそくヘアサロンを訪ねた。
 マーシャのサマーカットを担当してくれる美容師の女性は生粋のアローラ人で、これまで島の外に出たことがないらしく、生まれてはじめて目にする外地方のポケモンに目を輝かせていた。
 「うちの子が世界で一番かわいい」と自負してやまないエルからすると、最愛のパートナーを可愛い可愛いとちやほやされるのは最高にいい気分だったが、当のマーシャは若干居心地が悪そうであった。


「それじゃあお姉さん、この子を世界でいっっっっちばん可愛いジグザグマにしてあげてくださいっ!」


「かしこまりました! さぁマーシャちゃん、まずはシャンプーからしていきましょうね〜!」


「ぐ!?」


 『シャンプー』という言葉に反応したのか、水嫌いのマーシャがじたばたと暴れはじめたが、そこはやはりプロというべきか美容師は慣れたようにマーシャをシャンプー台へと運んでいった。
 その鮮やかな手つきに感嘆しつつ、マーシャのサマーカットが終わるまで暇を持て余すこととなるエルは、ひとまず待機スペースに置かれている雑誌に手を伸ばす。
 やはりヘアサロンともなると圧倒的に女性客が多いのだろう、女性向けのファッション誌や芸能誌などが多く並んでいたが、エルが手に取ったのは大衆向けの週刊誌だった。


(なになに…。『エーテル財団代表ルザミーネ、辞職やむなし!? パラダイス建設の裏で起きていた大事件!』だって? なんというか、週刊誌ってこういう下世話な話ほんと好きだよなぁ…)


 雑誌をパラパラとめくるうち、見覚えのある『ルザミーネ』の文字を見つけたはいいものの、そこに書かれている記事の内容に思わず顔をしかめてしまう。
 記事曰く、アローラ地方にエーテルパラダイスが施工されている裏側で、イッシュ地方にエーテル財団の支部を設立する計画が頓挫していた、ということであった。
 この計画を推し進めていたのは前代表であるルザミーネの父親であったが、後任のルザミーネの手腕不足によりイッシュ支部設立が白紙となったことに対し、財団の上層部は怒り心頭である、などという自称財団関係者の発言が記載されている。


(アホくさ…。どうせゲーチスが裏で手を回したんでしょ。ポケモンの解放を訴えるプラズマ団の理念をイッシュで広めるのに、ポケモンの保護を訴えるエーテル財団がいたら邪魔だもの。あんなヤツのせいでこんな好き勝手書かれて、ルザミーネさんも可哀そうだよ…)


 二度と思い出したくもないはずの相手の思考が、手に取るようにわかってしまう自分自身にほとほと呆れる。これもエルが『L』であった時の名残というべきか。
 かつてのゲーチスはまるでエルを自身の分身に仕立てようとするかの如く、立ち振る舞いから政治術といったあらゆる人を操る術をエルに叩き込んだ。
 その成果あってか、血など一切繋がっていないにも関わらず、エルがゲーチスの実娘であることを疑う団員は誰ひとりとしていなかった。
 それどころか「L様はほんとうにお父君のゲーチス様によく似ていらっしゃる」などと言い放つ者さえいたほどだ。


(…あいつはわたしが裏切ったくらいで留まるような男じゃない。季節が変わった今、きっと計画を始動させている…)


 ポケモンの解放――
 Nを王とするプラズマ団の王国の建立――
 イッシュの征服、それから支配――


 エルの不在により多少の計画変更は避けられないであろうが、ゲーチスのことだから上手く折り合いをつけて、当初の計画を強硬するのだろう。
 あるいはあの男のことだ、エルことLを死んだことにでもして悲劇化し、団員の団結を煽るための道具にでもしているかもしれない。
 唯一の懸念はレシラムの復活のみだが、仮に復活が現実となったのならば、Nは間違いなくレシラムを彼の『トモダチ』とするだろう。Nはそれだけの才覚と、そして英雄としての器を持ち合わせた男だ。


(…あいつの計画のすべてを知っているのは、わたしとダークトリニティだけ。そのわたしがこんなところで呑気に暮らしているとレシラムに知られたら…きっとわたしなんか焼き尽くされちゃうんだろうな)


 真実から目を背けて自分の幸福を優先した自分の咎が、改めてエルの胸に突き刺さる。
 会ったこともない白い翼竜のポケモンから軽蔑の眼差しを向けられる己の姿が、エルの脳裏にふとよぎった。


 ――けれど、わたしに何ができるというのだろう。
 たったひとりの男と、たった一匹のポケモンだけが大切だった、英雄の資格などないわたしに。
 わたしだって戦ったのだ。けれど、心が折れてしまった。
 大切なものをすべて失くしてしまったと思った、あの時に――



 *   *   *



 Nに再会したのは、わたしがプラズマ団からの脱走を図る1年前だった。その頃のわたしはゲーチスの娘Lとして、ヤグルマの森に築いたポケモンの保護区の責任者を務めていた。
 そこでは預かりシステムに置き去りにされた行き場のないポケモンを保護し、野生に帰すための訓練を行っていて、多くの団員が働いていた。この保護区の設立を提案したのは七賢人のロットと、他でもないわたしだ。当時はまだ預かりシステムに取り残されたポケモンの数は微々たるものだったが、ゆくゆくはその数も増えていき、大きな社会問題となることが予見できたからだ。
 当時のプラズマ団は、まだ健全なポケモン保護団体だった。それは後々の大きな計画のため、団員の数を集めるための方便でもあったが、わたし自身ゲーチスの唱える『ポケモンの解放』には頷けるところがあった。
 違法な環境下で労働させられているポケモン、人間からの虐待にあっているポケモンなど、プラズマ団の理念たる『解放』が必要なポケモンは確かに存在する。そのようなポケモンを見殺しにすることはできなかったし、何よりわたしやゲーチスのように『人が使役されるポケモンに傷つけられた者』を生まないためにも、トレーナーとなる人間は選別されるべきだ。それが当時のわたしの思想だった。


「L、喜びなさい。N様への謁見が叶いましたよ」


 数か月ぶりにわたしの前に姿を現したゲーチスは、薄気味の悪い笑みを浮かべながらそう言った。
 そしてわたしはヤグルマの森をいったん離れ、まだ建設途中だったポケモンリーグ地下の城へと赴いた。
 かつてわたしの浅慮でNを危険な目に遭わせてしまってから、7年の時が経っていた。


(ああ、やっとNにあの時のことを謝れる…! それにマーシャ…! あの子にようやく会えるんだ…!)


 わたしのせいで傷ついたN、わたしのしでかした罪滅ぼしのためにNの傍にいてくれたマーシャに、やっと会うことができる。
 わたしは今すぐにでも駆けだしたいのを必死でこらえ、ゲーチスと共にNに、それからマーシャに会いに行った。


 ――けれど、再会したNはもう、かつてのNじゃなかった。


「よく来てくれた、いずれボクの片腕となる聖女よ」


 Nはもう、わたしのことを『ねえさん』と呼んではくれなかった。
 そしてNの傍らに、わたしが常に心の中で想い続けたマーシャは、いなかった。



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