恐れ慄くことはないのです、我が子よ!2


 ポー交番を跡にしたルザミーネは、そのまま真っ直ぐにポータウンの方へと向かった。甲高いヒールの音を響かせ、街と外界を隔てる白い壁の前まで来ると、突如として顔を歪めて壁を蹴りつける。まるで苛立ちを物にぶつける子供のように、ルザミーネはしばらく壁を蹴りつけていた。


「本当にッ、なんてッ、物わかりの悪い男なのッ!」


 最後に一際強く壁を蹴りつけると、怒りに歪んでいた彼女の表情が途端に和らぎ、もとの美しさを取り戻す。まるで慈悲深い女神のような優しい眼に戻ったルザミーネは、「あら」と白々しくさえ感じる反応を見せた。


「いけない、はやく子供たちを迎えに行かないと…。約束の時間に遅れてしまうわ」


 うふふ、と少女のような笑みを見せたかと思うと、くるりと身を翻してウラウラの花園の方へと向かった。そぼ降る雨の中、ルザミーネのヒールの音だけが辺りに響く。


「…あら?」


 先ほど訪れたポー交番を通り過ぎ、間もなく17番道路を抜けるかという辺りに差し掛かると、向かい側から誰かがやってくるのが見えた。睫毛についた雨粒を拭き、よく目を凝らして前を見ると、まだ年若く、背の高い青年の姿が見える。この時のルザミーネはまだ彼の名を知らないが、その人物はポータウンを根城にするスカル団のボス、グズマであった。


「へへっ、グレイトだったぜ、お前ら。今日も思う存分ブッ壊せたな」


(…まあ、感じの悪い子ですこと)


 悪どい笑みを浮かべながら、手に持っていたボールに話しかけているグズマを、ルザミーネは氷のような冷たい眼で見上げた。すると、その視線に気付いたのか、グズマの方もルザミーネに気付き、不審そうな眼で見下ろしてくる。グズマとルザミーネ、2人のポケモントレーナーの目と目が合い、沈黙が走った。


「…そこのトレーナーさん」


「あ゛?」


「わたくしと、ポケモンバトルなんていかが?」


 先にモンスターボールを取り出したのは、ルザミーネの方だった。



* * *



「わぁっ……! すごくキレイです……!」


「でしょ? このあたりはアブリボンのお気に入りの場所だから、特に花が綺麗なんだよ!」


 エルお勧めの穴場スポットを訪れたリーリエは、ぱぁっと目を輝かせて、満開に咲く赤い花々を見渡した。ウラウラの花園の中でも特に湖に近いこの辺りは、花園に生息するアブリボンたちのお気に入りの場所であり、花粉団子を作るための花が辺り一面に咲いている。エルとマーシャもよく訪れる、花園の穴場スポットだ。


「本当に綺麗ですね…! 代表がご覧になったら、さぞ喜ぶことでしょう」


「代表?」


「坊ちゃまとお嬢様の御母君で、わたしの上司ですわ。今は用事があって、しまキングのところに……」


「ビッケ! あそこにレディアンがいる! ポケファインダー、借りるぞ!」


「あっ、坊ちゃま、お待ちください! エルさん、少しだけお嬢様をお願いします!」


 アブリボンに混じって飛ぶレディアンを見つけたグラジオは、興奮気味でビッケの持っていた鞄の中から、ポケファインダーを持って行ってしまった。どうやら、彼はとてもポケモン好きのようで、子供らしく眼を輝かせてレディアンを追いかけている。ビッケは慌ててグラジオを追い、エルとマーシャ、そしてリーリエだけが残される。


「ふふ、やっぱり男の子はむしポケモンが好きなのかな」


「ぐ〜……」


「にいさまは、ポケモンさんが大好きなんです。わたしも、本でよむのは大好きなんですけど、じっさいに目の前にするとこわくて……」


「最初は誰だってそんなものだよ。焦らなくても、少しずつポケモンに慣れていけばいいと思うよ? それより、花かんむり作るんでしょ? わたしも手伝うから、お母さんと『ほしぐもちゃん』に作ってあげよう!」


「あ…。やっぱり、きこえちゃいましたよね、ほしぐもちゃんのこと…」


 エルの言葉に、リーリエはおどおどとした様子を見せた。どうやら、その『ほしぐもちゃん』という存在のことは、言ってはいけないことだったらしい。エルはリーリエを安心させるように、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「大丈夫、誰にも言わないから! ほしぐもちゃんっていうのは、リーリエちゃんのトモダチ?」


「…はい、大好きなおともだちです。ビッケとにいさまにはナイショですよ?」


 エルに触発されてか、リーリエもはにかみながら、声を潜めてエルにそう話す。如何にも人見知りそうなこの少女が心を許してくれたことに、エルは一抹の嬉しさを感じていた。


「そっか、それじゃあ綺麗な花かんむり作ってあげよう! 大きさはこれくらいでいいかな?」


「あ……。いえ、ほしぐもちゃんはすごく小さいので……。これくらいで大丈夫です」


 リーリエはそう言いながら、大人の腕輪くらいのサイズの丸型を手で作る。この発言から察するに、ほしぐもちゃんとはポケモンのことらしく、人に話すことすら禁じられているということは、よほど珍しいポケモンなのだろう。希少価値の高いポケモンは、その存在を知られると誰かに盗まれて売られてしまうことがあるので、不用意に話してはならないと、エルは以前に聞いたことがあった。


「お母さんとほしぐもちゃん、喜んでくれるといいねぇ」


「…かあさまは、よろこんでくださると思います。でも、ほしぐもちゃんには、このお花をわたせるかどうか…」


「…? どういうこと?」


「…キケンだから、わたしはほしぐもちゃんに会っちゃダメって、かあさまが言うんです。かあさま、ほしぐもちゃんのことが、好きじゃないみたいで……。いつもビッケにおねがいして、ナイショで会わせてもらうんです」


 そう話すリーリエの瞳は、とても悲しそうなものだった。リーリエの話を聞く限り、ほしぐもちゃんというのは、会うことを禁じるほど危険性が高く、それでいて身体が小さなポケモンということになる。しかし、ポケモンの知識にそれなりの自信があるエルにさえ、それが何のポケモンなのか、全く予想がつかなかった。


「…ぐぅ〜……」


 すると、マーシャが怪訝そうに鼻をひくつかせ、まるで威嚇するような呻き声を上げた。エルとリーリエが振り返ると、マーシャは全身の毛を逆立てながら、辺りの匂いをくんくんと嗅いでいる。普段、このような仕草をすることは全くないので、エルは驚いてしまった。


「マーシャ、どうかしたの?」


「…ぐっ!」


「あ、マーシャ!?」


 エルが声をかけると、マーシャは急にどこかへ駆け出して行った。エルはリーリエを置いていくわけにもいかず、かといってマーシャをそのままにしておくわけにもいかず、どうしたものかとうろたえる。すると、リーリエが真剣そうな表情で、エルの手を引いてきた。


「マーシャさん、なにかあったんでしょうか? エルさん、おいかけましょう!」


「あ……うん!」


 リーリエの真摯な言葉に背を押され、エルはリーリエと手を繋いで、マーシャを追いかける。一見、か弱そうに見える少女だが、その芯にあるものは強いのだろう、リーリエは迷うことなくエルについてきた。
 そうしばらくしないうちに、花の隙間にマーシャの尻尾が見えたので、エルとリーリエは立ち止まった。マーシャは、ある一本の大木の前で立ち止まり、辺りの匂いを嗅いでいる。この木には大きなうろがあり、アブリボンが作った花粉団子を貯蔵している、自然の貯蔵庫であった。


「ぐぅっ!! ぐぅ、ぐぅーっ!!」


 すると、突如としてマーシャが激しく鳴き出し、木の裏側へと回った。エルとリーリエもそれを追い、人ひとり隠れるには十分なほど大きな大木の、裏側を覗き込む。すると、そこにはある1人の男と、1匹のポケモンがいた。


「だぁーーーっす!」


「なっ……!? く、くそ、人がいたのかよ!」


「ダストダス!? それに……あんたの顔、どっかで……」


 そこにいたのはゴミすてばポケモンのダストダスと、サングラスをした男だった。恐らく、マーシャはダストダスの匂いを嗅ぎつけ、ここまでやってきたのだ。エルにはその顔に見覚えがあったが、いったい誰だったのかを思い出すことができず、顔をしかめて男の顔を見る。すると、エルよりも先に、リーリエが男の顔を思い出した。


「『アローラセレクション』の人!」


「へ? アローラセレクションって、最近よく見かける通販番組?」


「はい! つい昨日、アブリボンの花粉団子のCMに出てるのを見ました!」


「げっ……!」


 リーリエの言葉に、男がぎくりとした表情を浮かべる。エルがふと男の手元を見ると、何やら透明なプラスチックケースのようなものを手に持っており、その中に点々とアブリボンの花粉団子が入っているのが見えた。その瞬間、エルの頭の中で全てが繋がり、男の思惑を理解する。


「あーーーっ! まさかアンタ…! 通販で売ってるアブリボンの花粉団子、ここから盗んでいったものなんじゃないだろうな!?」


「うっ…! い、いいだろ別に! ここのアブリボンは野生で、誰のものでもないんだから!」


 エルの言葉は図星だったらしく、男は開き直ったようにふんぞり返って、エルを睨みつけた。その態度が非常に気に食わなかったため、エルの低い沸点が一瞬で沸騰しそうになったが、エルが何かを言う前に、リーリエが震える声で男に叫んだ。


「だ、だめですっ…! ポケモンさんから、どろぼうするなんて…!」


「うっ…」


「か、かえしてあげてください…! アブリボンさん、きっと困ってます…!」


 その言葉でエルはハッとして、辺りを見回した。いつも楽しそうに花園を飛び交っているアブリボンが、まるで怯えるように花や草の影に隠れ、様子を伺っている。もしかすると、男が連れているダストダスから、攻撃を受けたのかもしれない。アブリボンは元来、争いを好まない、大人しい性格のポケモンであった。


「う、うるさいっ! 子供がビジネスの話に口出しすんなっ! ダストダス、こいつら黙らせろ!」


「だぁーすっ!」


 トレーナーの命令を受け、ダストダスが口を大きく開け、攻撃態勢を取る。恐らく、『ヘドロこうげき』をするつもりだ。エルは咄嗟に、リーリエとマーシャを抱き寄せて、攻撃から庇おうとダストダスに背を向けた。


「ハピナス、『まもる』よ!」


 その瞬間、突如としてエルたちとダストダスの間に、ハピナスが現れた。「はっぴ!」という可愛らしい鳴き声をあげながら、『まもる』の技を展開して、ダストダスの攻撃からエルたちを守る。急に現れたハピナスに、その場にいる全員が唖然としていると、別の場所にいたビッケとグラジオが、真っ青な顔をして駆け寄ってきた。


「リーリエ! エルさんに、マーシャも!」


「に、にいさまぁ…!」


「もう大丈夫だ、オレがついてるからな」


「くそっ、くそくそくそっ! このクソ忙しい、商売も順調だっていう時に! お前ら、見られたからにはただじゃ帰さねえぞ!」


「黙りなさい。野生のポケモンの貴重な食糧や栄養源となる花粉団子を、お金のためだけに盗むなんて! あなたの行いを、見過ごすわけにはいきません!」


 その穏やかそうな容姿からは想像できない厳しい眼差しで、ビッケは男を睨みつける。ダストダスの攻撃からエルたちを守ってくれたハピナスは、どうやら彼女のポケモンのようだった。険悪な雰囲気に反して、ビッケのハピナスは楽しんでいるかのような足取りで、「はーっぴ、はっぴ♪」と鳴き声を上げている。


「ビッケさん、ハピナス、ありがとう…!」


「はっぴ〜♪」


「いえ、ご無事でよかったですわ。それよりエルさん、エルさんはポケモンを連れては…」


「ごめん…。マーシャしかいないけど、マーシャはバトルできないんです」


「大丈夫です。わたし、こう見えても代表に鍛えていただいてますから。それより、坊ちゃまとお嬢様を安全な場所へ! ポー交番に行けば、代表がいらっしゃいます!」


「よし、オッケー! マーシャ、ついてきてねっ!」


「ぐぅ!」


 ビッケから指示を受けたエルは、リーリエとグラジオの小さい身体を抱き上げ、一斉に走り出した。その後ろをマーシャが追い、残ったビッケとハピナスは、男とダストダスを睨みつける。男の方もビッケを睨みつけてきて、今この瞬間に、2人のポケモントレーナーの視線が合った。



back


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -