時には昔の話を


『時には昔の話をしようか』









 エルとマーシャがポータウンにやってきてから、かれこれ2週間ほど経った。


「よおーっし、完璧! これでいつでもオープンできるぞ!」


「ぐーっ!」


 汗ばむ額に張り付いた前髪をかき上げながら、エルとマーシャは本来の姿を取り戻した店内を見渡した。
 散らかり放題だった床にはゴミの一つも見当たらず、カフェのカウンターテーブルは少しの埃も無い。イートインスペースには真新しいテーブルと椅子が設置され、一席ずつに手描きのメニュー表が備え付けられている。来たばかりの頃は廃墟と見紛うばかりに荒れ果てていたポケモンセンターの中は、これまでエルが働いていたハウオリシティのポケモンセンターと比べても遜色が無いほど綺麗に片付けられていた。
 とはいえ、壁などにある落書きされた箇所はいくら掃除しても落ちなかったのでそのままだが、むしろポータウンらしさを醸し出して良いのではないかと、エルはそんなことさえ思った。ともかく、たった2週間ほどであの惨状をこれだけ回復させられたのだから、自分は大したものだと自画自賛したくもなる。


「マーシャも、よく手伝ってくれたね〜! さっすがわたしのパートナー!」


「きゅう〜」


「エル姐さーん! 今日も手伝いに来たっスー!」


「相棒がどうしてもって言うから仕方なく来てやったぜ!」


 エルが破顔しながらマーシャを抱きしめていると、修理した自動ドアがウィーンと機械音をたてながら開き、ヌカとディアンのしたっぱコンビがやってきた。しかし、今日はお馴染みの2人だけではなく、2人の後ろをちょこちょこと付いてくる影が見える。


「こ…こんにちはっ」


「お、アーリィちゃん。いらっしゃい、3人ともよく来たね〜」


 ヌカとディアンの背中から、約一週間前にポータウンにやってきたばかりのアーリィが顔を出した。
 アーリィはあの後、プルメリに連れられてグズマたちスカル団の団員たちが住む屋敷に行き、そこで暮らすことになった。つまり、スカル団に入ったということだ。その証として、プルメリから貰った黒タンクトップとホットパンツに加え、ドクロ柄の帽子と黒いマスク、そしてスカル団のシンボルマークを模ったシルバーネックレスを身につけている。


「あ、あれからちゃんと挨拶してなかったから、お礼を言いに来まし…き、来てやったよ…?」


「おい新入り、なんだそのハッキリしねえ言い方は! もっとこう、プルメリの姉御みたいにスカした言い方するんだよ!」


「あはは、別に無理して不良っぽくならなくてもいいのに。アーリィちゃんが話したいように話しなよ」


「うぅっ…ごめんなさい…!」


 困ったように眉を寄せるアーリィに、エルは思わず笑ってしまった。もともと育ちが良いのだろう、アーリィはとにかく他のスカル団のしたっぱたちとはかけ離れた雰囲気の少女だった。それを気にしてか、周りから何か言われたのか、彼女は彼女なりにスカル団に馴染もうとしている。その結果が、先程の『不良らしい言葉遣い』というわけだ。


「それに、ポータウンにいるからってスカル団に入らなきゃいけないワケじゃないし。馴染めないんだったら無理しなくても…」


「い、いいのっ! どうせ家には帰れないし、それならグズマさんの役に立ちたいし! 助けてもらったお礼、しなきゃいけないから!」


「その意気だぜ、新入り! オレたち、もっとスカしたしたっぱになって、グズマさんに喜んでもらうんだからな!」


「あと、プルメリ姐さんにもスカ!」


 3人は熱意に満ちた瞳で見つめあって、拳をグッと握りしめて決意を固めた。余程グズマとプルメリを慕っているのだろう、その強い意志にエルは俄かに驚いた。特にアーリィなどは、最後に会った時はグズマのことを怖がっていたというのに。


「ところでエル姐さん、今日は何を手伝えばいいっスカ?」


「ん? ああ、実はもう手伝ってもらわなくてもよくなったんだ! 見てよこの完璧な店内!」


「ぐぅん!」


「え、このメニュー表はコレでいいんでスカ…?」


 普段はエルの言葉を何でも素直に受け取るヌカが、懐疑的な視線を向けながらエルが描いたメニュー表を手に取った。メニュー表右下に描いてある下手くそなマーシャの絵を目にしたディアンが、腹を抱えて笑い始める。


「ぶひゃひゃひゃひゃ! 何だコレ、タワシか!?」


「あぁっ、二度もタワシって言いやがったな!? 仕方ないでしょ、神様はわたしに料理の才能は与えても、絵の才能までは与えてくれなかったんだから!」


「ぐー?」


 渾身の絵をヌカだけでなくディアンにまでタワシ扱いされ、エルは拗ねたように鼻を鳴らしてマーシャの頭に顔を埋めた。その様子を見たアーリィはクスクス笑いながら、ヌカが持つメニュー表を覗き見る。


「えぇっと…これはマーシャちゃんを描こうとした、のかな?」


「そうだよ! でもマーシャの可愛さはわたしの画力では再現できなかったみたいだわ! 仕方ないか、わたしのマーシャは可愛すぎるからね!」


「開き直ってやがるぜコイツ!」


 ディアンの突っ込みに聞こえない振りをしながら、エルはマーシャの頭を撫で繰り回す。マーシャは不思議そうに首を捻りながらも、撫でてもらって嬉しいのか尻尾をゆらゆらと振り始めた。
 そんな時、アーリィはどこからともなく鉛筆を取り出して、エルの絵の隣に何かを描き始めた。不思議に思ったヌカとディアンが覗き込む中、アーリィは拗ねるエルの肩をポンポンと叩いて、ほんの数十秒で描いたそれをエルに見せる。


「何さ何さ、どうせわたしが絵下手なのはわかって……って、こ、これってもしかして…!?」


「ど、どうかな? ジグザグマは初めて描くから、ちょっと違うかもだけど…」


 アーリィが描いたのは、可愛らしくデフォルメされたジグザグマの絵、つまりはエルのマーシャの絵だった。マグカップの中から顔を出すマーシャの姿が、柔らかなタッチで描かれている。エルだけでなくヌカとディアンも、その絵とマーシャを見比べて、そして眼を輝かせた。


「か、可愛すぎる…! マーシャ、見てごらん! これマーシャが描かれてるんだよ!」


「きゅあん!」


「スゲェ〜! めちゃくちゃ上手いじゃないっスカ! プロの描いた絵みたいっス!」


「隣のタワシと比べたら月とコータスだな!」


「ボーちゃん、一言余計! でもわたしの百億倍上手いのは確か!」


「え…えへへ…」


 3人から絶賛され、マーシャからも喜んだような仕草をされ、アーリィは照れ臭そうに笑った。エルはしばらくメニュー表をニコニコと眺めていたが、ふと何か思いついたらしく、カウンターから身を乗り出してバックヤードに置いてあった紙とペンを手に取る。


「ねえアーリィちゃん、ウチのメニュー表を描いてもらえないかな? マーシャだけじゃなくて、ウチの店のメニューのサンプルイラストとか描いてさ!」


「え、えぇ?」


「ナイスアイデアじゃないっスカ! こんなに上手いんだから、きっといいメニュー表ができるっスカらね!」


「スカちゃんの言う通り! と言うわけで、アーリィちゃんお願い! ウチのカフェを助けると思って!」


「きゅあう!」


「え、えええ…! わ、わかりました、描いてみる…」


 エル、それからマーシャに頭を下げられ、アーリィは困惑しながらもおずおずとペンを手に取った。



* * *



 それから数時間後、ヌカとディアンがポケモンバトルの修行と称して17番道路へ行き、マーシャがエルの膝の上で昼寝に耽る中、アーリィ作のメニュー表が完成した。もともと一枚の紙に収まっていたメニュー表は、全メニュー分のサンプルイラストを追加すると、3ページほどの小さな冊子となった。エルは満足そうに、自分の考案したメニューとそのイラストが描かれたメニュー表を眺める。


「最っ高…! わたしとマーシャのお店だーって感じ…!」


「そ、そんな感じで大丈夫ですか…?」


「大丈夫も何も、これ以上はないってぐらい素敵! ありがとう、アーリィちゃん!」


 エルは感動のあまり、アーリィに抱きついてスカル帽の上から頭をわしゃわしゃと撫でた。アーリィは「うわあっ」と驚きつつも、嫌なわけではないようでエルの抱擁を受容している。


「あ、あたし、絵を描くのが大好きで。……でも今まで、ドーブルと弟以外から褒めてもらったことなくて」


 エルの腕の中で、アーリィがポツリとそう呟いた。


「ママは、絵なんて描いてる暇があるなら、もっとスクールの勉強しろって……。でもあたし、ポケモンバトルとか好きになれなくて、ドーブルと一緒に絵を描いてる方が好きで」


「…そっか。大好きな絵で、ママに褒めてもらいたかったんだね」


「…スケッチブック、島めぐりの前にママに取り上げられちゃったから、久しぶりに絵が描けて楽しかった。エルさん、ありがと……」


 アーリィは心から嬉しそうに笑って、自分の描いた絵をじっと見つめた。色とりどりのドリンクメニュー、ふわふわのパンケーキや、具沢山のサンドイッチ、そしてニコニコと笑うマーシャのイラストが、白い紙の上で彩々と輝いている。それらを笑顔で眺めるアーリィの姿に、エルの方が嬉しくなってきた。


「しかしまあ、よくこんなに上手く描けるものだよねぇ。相当練習したんでしょ?」


「そ、それはまあ、それなりに。エルさんだって、こんなたくさんのメニュー考えたり作ったりするの、すごい修行とかしたんでしょ?」


「ああ、修行っていうか…。わたしって小さい頃、着るものから振る舞い方から、何から何までほとんど決められてて。唯一自由だったのは、毎日の食事くらいのものだったからさ。こう、自然とね」


「え……エルさんも親が厳しかったの?」


 アーリィの問いかけに、エルはカゴのみをそのまま齧ったような、渋い表情を浮かべた。聞いてはいけないことだったか、と思ったアーリィが咄嗟に「ご、ごめんなさい!」と謝ると、エルは慌てて元の笑顔を作る。


「いやいや、怒ってるんじゃないよ! ただ、親っていうのがちょっと、事情が複雑でさ」


「え…? 複雑って?」


「…わたし、生まれがどこなのか、実の両親が誰なのか、わからないんだよね。気がついたら天涯孤独でさ」


 エルがぼそりと呟いた一言に、アーリィの表情が固まった。触れてはいけないところに触れてしまった、と不用意な発言を後悔し始めたアーリィに、エルはあくまでおどけたような笑顔で続きを話す。


「でもまあ、そんなところをあるヒトに拾われて、そいつに育てられてきたんだ。だからそいつがわたしの親ってことになるんだろうけど、でもわたしはアイツのことを父親だと思ったことは一度も無いんだよね! あんな下衆が父親とかホント勘弁だっつーの!」


「え、えと、あの……お父さんのこと、嫌いなの……?」


 返答に困ったのか、アーリィは思いついたことをそのまま口に出して、またもや「余計なことを聞いてしまった」と自己嫌悪に陥りそうになった。しかしエルは途端に神妙な顔になって、膝の上のマーシャの頭をゆるゆると撫で始める。


「…嫌い、ねえ。アイツへの気持ちは、好きとか嫌いとか、そういう言葉じゃ説明できないんだよね」


「……?」


「アイツと一緒にいて、死ぬほどムカつくこともあれば、絶対に許せないこともあった。でも、だからといって良い思い出が消えるワケじゃない。わたしはそれなりに、アイツと一緒にいて楽しかったんだよね…」


 エルは振り返って、カフェのバックヤードに置かれたツボツボ型のジューサーを見つめた。最低限の服や必要品しかトランクケースに詰め込まなかったエルが、唯一持ってきた私物だ。あのジューサーを手に入れたのは、エルがまだ幼かった頃のことであった。



* * *



「欲しいのですか?」


 アレが置かれていたのは確か、どこかの港町の露店だったと思う。カロス地方で手に入れた一品物、なんて売り文句で売られていたそれを、わたしは随分と熱心に見ていた。そんなわたしを見て、大凡そんなことを言いそうにないアイツが、そう聞いてきたのだ。


「……いや、別に」


 その時、わたしは嘘をついた。本当はすごく欲しかったのに、そんなつまらない意地を張った。新品の綺麗な塗装を見つめながら、それがあればマーシャが拾ってきたきのみで、きのみジュースを作ってあげられるな、なんてことを考えていたというのに、だ。
 正直な話、遠慮していたのだ。なにせわたしは、アイツのことを親と思ったことは一度も無かった。凄まじく性格の悪い、それなのにわたしなんかを拾った変人と、そう思っていたのだから、まあまあ高価なジューサーを強請るなんてことできるはずがない。するとアイツはそれを悟ったのか、うすら寒い外向きの顔を作って、露店の店主に話しかけた。


「ご店主、包んでいただけますか」


「え!? い、いいって! だって結構高いのに…!」


「何度言えばわかるのです、アナタはもうワタクシの娘なのですよ。親が子にモノを与えるのは当然のこと」


 アイツはそう言いながら、平然とした顔で店主にお代を支払って、傷が付かぬよう布で包まれたそれをわたしに渡した。想像よりずっと重たかったそれは、わたしが生まれて初めて「手に入れたい」と欲したもので、それを手に入れたというのはひどく特別な気持ちになった。笑いもせず、喜びもせず、ただ得体の知れぬ満足感に浸るわたしに、アイツはこう言った。


「アナタはまだ何の力もない、かよわい子供ですから、今はワタクシが与えてさしあげます。しかし、覚えておきなさい。欲したモノは必ず手に入れるのですよ、例えどんな手を使っても」


「……」


「もっと強欲に、そして傲慢になりなさい。それでこそ支配する側に立つ人間、ひいてはワタクシの娘というものでしょう」


 そう暗く笑ったアイツの姿を、わたしはきっといつまでも覚えていることだろう。そりゃあ、アイツが無償でわたしに何かを与える、なんてことあるはずがないのだから、当然だ。わたしがアイツの娘らしく育つ為の、アイツなりの教育論。でも、わたしは別にそれでもよかった。何かを与えられようが、奪われようが、アイツといる間は少なくとも孤独ではなかったのだから。


「そろそろ船が出る時間ですね。用が済んだのなら行きますよ」


「…ねえ」


「?」


「ありがとう、ちゃんと大事にする」


 わたしがそう言うと、アイツは一瞬驚いたように目を丸くして、そしてすぐに小さく笑った。


「早くおいでなさい、エル」


 少なくとも、その頃のゲーチスは、ほんの少しだけ優しかった。



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