ちょっとまじめな白鳥沢 | ナノ
 みにくいアヒルの子は空を飛ぶ夢を見るか2


「ねえ英太君、鴨井雪乃ってどんなヤツ?」


 学生寮のロビーで天童からそう問いかけられて、俺は一瞬どう答えようか迷いに迷った。
 白鳥沢の学生寮では主にスポーツ推薦で進学してきた生徒が生活している。中でも全国常連であるうちのバレー部の割合は大きく寮生の6割はバレー部の生徒で、その中の更に7割ほどが天童のような高校から白鳥沢に通い始めた外部生だ。中等部から持ち上がりの俺に若利や獅音などはこの辺りが地元ということもあって基本的には自宅通いで、県外出身が多い外部組に優先的に部屋数が割かれているのだ。そんな俺がどうしてここにいるのかというと、白鳥沢バレー部の後援会から差し入れられた大量の野菜を寮まで運ぶのを1年みんなで手伝ったからだ。


「…こんだけ大量の野菜も1週間やそこらで無くなるんだから、食べ盛りの高校生って恐ろしいよな」
「ね〜! ってかやっぱり流石は白鳥沢だよね、寮生のゴハンまで後援会が面倒見てくれんだもん。体育館じゃなくて直接寮まで持ってきてくれてもいーじゃんってのはさておき」


 天童は俺がなんとなく話したお茶濁しの話に律儀に乗ってから「…で?」と再度切り出してくる。俺は正直良い気はしなかった。鴨井雪乃のことを知らない中等部からの持ち上がり組はいないだろう。だがそれは悪い意味で、だ。
 鴨井は中等部の女バレでも正セッターを任されていた。確かに同じポジションの俺の目から見ても、鴨井はとにかくトスが上手かった。技術だけなら間違いなく白鳥沢で一番だろうし、それこそ新山女子からも声がかかっていたらしい。鴨井がそれを断って高等部にそのまま上がってくると聞いた時、俺はなんで新山女子に行かなかったんだと心底思った。


「…トスの技術だけなら下手したら俺より上手い。いやぜってー負けてねえけど」
「どっちだよソレ」
「ただそれ以上にプレースタイルが…いや性格の問題だなあれは。はっきり言って支配的すぎてスパイカーからは嫌われる、そういうセッターだよ」


 俺もそれなりに自己主張が激しいタイプのセッターである自負はあるが、鴨井はそれ以上だった。
 スパイカーに選択肢を与えず自分のセットアップ通りのスパイクを要求する。ブロックを振り切ることを優先してスパイカーの打ちやすさなどお構いなしのトスを上げる。自分のトスから得点に繋がらなければ、それはスパイクを決めきれなかったスパイカーのせいだと言い切って憚らない。鴨井はそういうセッターだった。
 実際にそのセットアップで勝った試合も中等部の頃は多かったが、お世辞にもチーム内で連携が取れているとは言えなかったし、何よりスパイカーはいつも窮屈そうだった。そう、特に巴は。


「ふーん…まあそんなところだとは思ってたよね。今の女バレもなんか軍隊みたいな攻撃の仕方するし」


 軍隊みたいとは言い得て妙で、鴨井は唯一の1年生レギュラーでありながらチームの司令塔で、上級生にあたる他のレギュラーにも中等部時代と同じようなセットアップを施していた。相手が上級生だろうが何だろうが関係なく自分の組み立てた攻撃をスパイカーに要求するその姿勢はある意味ではブレていないと言えるのだろうし、事実女バレの監督も上級生もよほど鴨井に期待しているのか、その要求に健気に応えようとしている。果たして上手くいくかどうかはともかく、上手く嵌れば強いチームになるのだろうな、とは思う。
 だがそれでも俺が鴨井のことを認めきれないのは、あいつが巴に対して何をしてきたのか全て知っているからだ。俺は絶対に鴨井のことを許せないし、どれだけ技術に優れていようと鴨井の率いるチームが全国に行けるとは到底思えない。何故ならあいつのバレーは、自分1人だけが強くあるために1人を犠牲にする、そういうバレーだからだ。




* * *




「瀬見、トス上げて!」


 あれは忘れもしない中2の夏だった。俺は中総体の県予選を前に正セッターを外されて、正直人生のどん底にいた。何故ポジションを外されたのかは今になってみると簡単な話で、俺がエゴ丸出しのトスを上げていてエースの若利のスパイクに影響が出ていたから、ただそれだけのことだった。スタメンを外されてもベンチにいる以上出場のチャンスは勿論あるのに、正セッターでないのに練習する意味が見出せなくて、その頃の俺は普段の練習が終わったら居残りせずにすぐに帰宅するようにしていた。そんな折、隣のコートで練習していた女バレの巴から声をかけられ、袖を引かれた。
 巴のことは勿論知っていた。高等部の鷲匠監督の孫で、女バレの次期エーススパイカーがほぼ内定してる選手。だが学校のクラスが違かったこともあって接点は殆ど無くて、その頃はお互いに名前とポジションぐらいしか知らなかった。だから俺は巴から最初にトスを頼まれた時、はっきりと断った。


「嫌だ。鴨井か諏訪に頼めばいいだろ」
「雪乃もこはくも今日はサーブ練したいって言うんだもん。男子ネットでいいからさ!」
「…若利がスパイク練してんだろ」
「牛島が使ってんのライトだろ? レフト空いてんじゃんか、ちょっと貸してよ」


 明らかに嫌がってみせてる俺に対して、巴は引き下がる様子もなくトスを要求し続けた。男子ネットでいいとは言うが、若利にトスを上げている最近まで控えだったヤツのすぐ隣で自分のチームメイトではなく女子の巴にトスを上げるということがむしろ恥のように思えて、やはり俺は乗り気にはなれなかった。だが巴は強引に俺をネット前まで引っ張ってきて、4号球のボールを無理やりに手渡してくる。


「そんじゃよろしく! オープンで頼むな!」
「おまっ、強引すぎんだろ! 誰もトスを上げるとは言って…」
「いいじゃんか、どうせ帰るつもりだったんだろ? ほらレフト、もってこい!」


 アタックラインの後ろまで下がってトスを呼ぶ巴に、俺は深々とため息を吐いてから仕方なくトスを上げた。何の変哲もない、気持ちも何もこもってない、本当に『適当なトス』だ。巴は素早く助走に入りスパイクに飛ぶが、ただでさえ女子ネットより高い男子ネットでのスパイクなのもあって、スパイクはネットに引っ掛かった。そら見たことか、などと不遜にもそんなことを思っていた俺に、巴は怒った素振りで振り返った。


「瀬見! 何だそのトス、あたしのことナメてんのか!? オープンだって言ったべや、このボゲ!」
「なっ、ボゲだぁ!?」
「もっと高く! 牛島に上げるのと同じくらい高めのオープンで上げろっての!」


 そう怒鳴って強めにボールを投げてよこしてきた巴に、俺は自分の非もそっちのけでムカついていた。適当にトスを上げたのは他ならぬ自分だってのに、自分のトスを否定されたような気持ちになって、とにかく腹が立って仕方なかった。言い訳をすると、当時は正セッターを外されたことでかなり卑屈になっていたのだ。


「わかったよ! 高けりゃいいんだろ、高けりゃ!」


 やけっぱちにそう叫ぶと、俺は普段若利に上げるトスよりもずっと高いトスを上げた。なんて大人気ないガキ丸出しのトスだと今になって思う。だが巴は俺が上げたトスに対して瞳を輝かせて、目いっぱいの助走を取ってから思いっきり飛んで、そしてそれを打ち切った。





ズガンッ!!!!!





 俺だけでなく、すぐ隣にいた若利や当時のセッター、それから隣のコートでサーブ練をしていた女子たちもが、一斉に振り向いた。巴が打ったスパイクは今まで見たことがないくらい力強く、凄まじい威力を放っていた。当時は若利もまだ身長が180cmを越えていなくて、巴は発達が早かったのかその頃から170cm近く背丈があったからか、下手したら若利のスパイクに匹敵するのではないかとすら思ったほどだ。驚く俺に巴は満面の笑みで駆け寄ってきて、さっきの怒りなどどこにもない朗らかな声で俺の名前を呼んできた。


「さすが瀬見、ナイストス! やりゃできるじゃんか!」


 『ナイストス』という言葉を物凄く久々に聞いたような、そんな気がした。実際には正セッターを外されてから1週間程度しか経ってないのでそんなことはないのだが、それでもその一言は当時荒んでいた俺の心に深く沁みこんでいった。
 俺は所謂『自己主張が強いセッター』というヤツなんだろう。自分のトスでブロックを振り切りたいし、若利だけじゃなく色んなスパイカーを使ってとびっきり目まぐるしく攻撃を仕掛けてみたい。それが白鳥沢では不要とされていることぐらいわかっている。
 でもたった一つだけ、どんなセッターにも言える確かなことがある。それは自分が上げたトスからスパイクに繋がること、スパイカーが自分のトスを打ってくれることは、とんでもなく嬉しいことだということだ。俺は巴のおかげで、それを思い出すことができた。

 それから巴は何度か俺にトスを頼んできて、俺は巴にトスを上げてやっていた。そうしているうちに俺は正セッターに戻れて、また若利や獅音にトスを上げることができるようになった。自己主張が強いプレースタイルまでは直らなかったけど、でも俺はこのスタイルが一番好きだったし、若利たちもそれを変えようとはしなかった。自分たちのチームでは不要な強さも、また別の強さと認めてくれるのが白鳥沢の良いところだと思う。
 だけど俺が調子を取り戻していくのとは逆に、正式にエースとなったはずの巴はどんどん調子を落としていっていた。あれだけのスパイクを打つ奴が、試合中に度々ブロックに引っ掛かって得点を稼ぎ切ることができない。そしてその理由は、火を見るよりも明らかだった。


「巴ッ! スパイク入るの遅いよ、もっと早く入ってきてッ!」
「…ごめん、雪乃」


 巴と鴨井のプレースタイルの相性は、最悪なんてもんじゃなかった。
 巴のあのスパイクは十分な助走を取らなければその本領を発揮しない。その為には『高いオープントス』が必須になる。
 だがスパイカーに速い攻撃を求める鴨井は確実にブロックに付かれるオープンではなく、平行トスに近いような『速くて低いトス』ばかり上げてくる。結果、助走を十分に取れず100%の力で飛べない巴のスパイクは、打点も威力も本来のものから大きく損なわれる。エースという特に注目を集めるポジションであることもあり、巴のスパイクは格好のコミットブロックの餌食となっていた。
 何より一番問題なのは、巴が鴨井の支配的で独善的なセットアップを全く拒むことなく、手放しで受け入れてしまったことだ。


「雪乃はあたしと違って色んなことを考えてるし、それに全国に行きたいって気持ちはチームで一番強いから。せっかく上げてくれたトスを決めきれないあたしが悪いんだ」
「……」
「あたしはエースなんだから。どんなトスでも打ち切るのがエースなんだから」


 それからしばらく、巴は俺にトスを要求することがなくなった。隣のコートで鴨井にああだこうだと言われて、その度に謝りながらスパイク練習に励んでいるのを、俺はただ見ていることしかできなかった。
 そして俺たちが3年に上がってすぐ、巴が急に練習に姿を見せなくなった。鴨井をはじめとする女バレの連中は平然と練習をしているのに、巴の姿だけがどこにも見当たらない。俺だけでなく獅音も、あの他人に興味のない若利ですら巴のことを気にして、昼休みに巴の教室まで様子を見にいった。あの日のことを、俺は今でも忘れることができない。


「巴、なんで練習に来ないんだ? どこか怪我でもしてるのか?」
「…来るなって言われたから」
「…え?」
「あたし、スパイク打てなくなっちゃったんだ。今までどうやって打ってたのか、わかんなくなっちゃって…。スパイクを打てないエースなんていらないから練習に来るなって、雪乃にそう言われたから」


 そう申し訳なさそうに呟く巴の姿は、とてもあの凄まじいスパイクを打っていた奴と同じ人物とは思えないほど弱々しかった。
 巴はいわゆるイップスというやつに陥っていて、スパイクの打ち方そのものがわからなくなってしまっていたのだ。そこまで精神的に追い詰められていたのかと思うと、俺はどうして今まで巴に何もしてやれなかったのかと後悔してやまなかった。それ以上に、巴をそこまで追い詰めた鴨井に対する怒りが胸のうちから沸いてきて、ただただ胸糞が悪かった。


「そんな顔すんなよ、お前らしくもない! 女子の練習に混じるのが無理なら、俺ら毎日居残り練してんだからそっちに来いよ! スパイクの打ち方が思い出せるまで、俺が何度だってトス上げてやるから!」
「…瀬見、ありがと」


 俺の言葉に巴は力なく笑って、緩やかに首を横に振った。その後に巴の口から出てきた言葉に、俺は愕然としてしまう。


「いいよ、あたしが鷲匠監督の孫だからって気使わなくて。ほんとはあたしにトス上げるの、嫌だったんだろ?」
「…は?」
「男子はいずれ高等部に上がることになるし、鷲匠監督の孫のあたしに逆らえないから、だから今まであたしに付き合ってくれてたんだろ? あたし頭悪いからそんなことにも気付けなくてごめん。あたしより牛島とか獅音にトス上げたいに決まってるのにな」
「…ちょっと待て! 誰がそんなこと…」


 俺は一度もそんなことを言ったことはないし、そもそもそんなことを思ったことがない。あのスパイクを見て巴を拒む奴などうちのチームにいる訳がないし、そもそもあの若利が巴を認めて一緒に練習をしている時点で、そんなことは絶対にありえない。俺の問いに巴は答えなかったが、巴にそんなことを吹き込んだ奴が誰なのか、俺はすぐに見当がついた。


「…鴨井か? 鴨井にそう言われたんだな?」
「…だってそうなんだろ? スパイクで点を獲れないあたしがエース外されてないのは、あたしが鷲匠監督の孫だからで、あたしは依怙贔屓で選ばれただけの実力も何もない下手くそだって…」
「…巴、もういいよ。もう何も言わなくていいから」


 これ以上聞いてられないと耳を塞ぎかけたところで、獅音が優しく巴を制した。巴は俺たちの知らないところで今までずっと、鴨井に自尊心をズタボロに傷付けられていたんだ。鴨井が自分自身のプレースタイルを押し通したいばかりに、高いトスを求める巴を犠牲にして、それによって生まれた敗北の責任を全て巴に押し付けていたんだ。いっそ馬鹿正直なほどに素直な巴が、理不尽に押し付けられたそれを絶対に拒まないと知りながら。
 許せなかった。イップスに陥るほどに巴を追い詰めて、平然と強者のように振る舞う鴨井をどうしても許すことができなかった。その日の放課後、練習前の鴨井を呼び付けて巴のことに関する怒りを軒並みぶつけると、鴨井は不遜にも俺の怒りを鼻で笑ってみせた。


「瀬見、巴のこと好きなの? そんなに顔真っ赤にして怒っちゃって」
「なっ…!」
「冗談だよ、冗談。牛島と大平にも同じこと言われたけど、ほんとに『鷲匠監督のお孫さん』に甘いんだね、あんたら。そもそもうちのチームのことにいちいち口出さないでよ。自分たちは全国に行ったことがあるからって、女バレのこと見下して楽しい?」


 そう言って部室へと去っていった鴨井の背中を睨みつけながら、俺は心の奥底で誓った。俺は何があろうとも巴が求める限りトスを上げ続ける。あいつがスパイクを打てるようになるまで、あの凄まじいスパイクがもう一度放たれるその時まで、絶対に巴の味方であり続けると。
 その日から俺は居残り練を終えた後、巴のスパイク練習に付き合い続けた。巴の家の庭にあるコートを借りて、時間の許す限り巴にトスを上げ続けた。当然身体はクタクタだし、睡眠時間も削れて授業中は殆ど寝る羽目になったし、それに伴って成績もガタ落ちしたけど。
 そんな日が1ヶ月近く続いたある日、巴は急にスパイクの打ち方を思い出した。俺が上げたトスに長く助走を取り、全身のバネを使って高く飛び上がって、フルパワーでボールを打ち抜く。俺たちがよく知っているあのスパイクが、ようやく戻ってきた。興奮して巴に駆け寄った俺に、巴はいつも通りのあの笑顔を返してくれた。


「瀬見、ナイストス! やっぱりあんたはすげーセッターだな!」


 その笑顔を見て、俺はようやく自分の気持ちに気付いた。俺が自分の生活を削ってでも巴にトスを上げ続けたのは、この笑顔が見たかったからなのだと。鴨井の言った通りになったということが癪ではあるが、俺はいつの間にかどうしようもなく巴のことが好きになっていた。




* * *




「今日からこの子も練習混じるから! いいよな!」


 巴がそう言って居残り練に連れてきたのは、やたらと美形で身長の高い女子だった。まるで宝塚の男役みたいな雰囲気のそいつは、やたらと緊張した面持ちで男子だらけの周囲を見渡している。どうやら巴に半ば無理やり連れてこられたみたいだ。


「あれっ、確か『1年の女子に王子様みたいな子がいる』ってめっちゃ噂になってた子じゃ〜ん! 確か空知ちゃんだっけ?」
「えっ、嘘!? 私そんなこと言われてるの!?」
「天童よく知ってんな! この子、小鳩っていうんだ! ポジションはセッター!」
「え、えっと…。改めて、空知小鳩っていいます。そんなに上手くないけど、脚は引っ張らないようにするのでよろしくね」


 そう言って丁寧に頭を下げるその姿は凛々しくて品があって、確かに王子様と呼ばれるのも納得の雰囲気だった。空知はスパイク練中の若利や獅音に挨拶しに行って、巴はスパイクに入る前にジャンプサーブの練習中だった俺のところまで来た。


「小鳩、瀬見と同じポジションだから仲良くしてやってよな! トスのコツとか色々教えてやって!」
「それはいいけど…。珍しいな、巴が女バレのヤツ連れてくるなんて」


 イップスを克服し高等部に上がってからも鴨井の巴への態度は変わらなかったし、巴を腫れ物のように扱う女バレの雰囲気も依然と変わらなかった。まるで巴1人を除け者にすることでその他全員の連帯を高めているかのように見えて俺は心底胸糞が悪かったのだが、空知は巴がわざわざ連れてきたぐらいだからその中には当てはまらないヤツなのだろう。巴は嬉しそうに笑って、早速若利にトスを上げにかかる空知を指さした。


「あの子、聖アンナ学院の女バレでさ。中総体で一回試合したんだ」
「聖アンナって、あのお嬢様学校の? 強いとは聞かねえけど…」
「うん、そん時はウチが勝った。でもさ、その時の試合で1本だけ良い感じで打てたスパイクがあって、それを見て白鳥沢に来てくれたんだって。あたしにトス、上げにきてくれたんだって…」


 そう呟く巴は心底嬉しそうで、なのに俺は少しだけ心が痛かった。
 どんなに巴のためにトスを上げても結局は男子と女子でチームが違うから、俺は本当の意味で巴のセッターになることはできない。今度からは巴は俺ではなく空知にトスを要求することができるし、空知が上げたトスを嬉々として打ちに行くのだろう。巴にとっては良いことなのは間違いないが、俺は俺だけに許されていた特権を他人に明け渡さなければならないような気がして、少しだけ寂しかった。
 俺がそんなことを考えてセンチになっていると、空知のトスから若利のスパイクが決まってとんでもない轟音が響いた。初めてトスを合わせたにしては上出来すぎるほどの威力に、天童が「相変わらず殺人スパイクだネ!」と囃し立てている。空知のトスは特別優れているところがある訳でもないが、十分な高さとネットからの距離を確保した打ちやすそうなトスだった。事実、普段俺があげるトスに対して殆ど言及してこない若利が、珍しく空知に声を掛けに行った。


「ナイストス」
「…えっ!? あ、あああ、ありがとう…!?」
「凄いじゃん、小鳩! あの牛島にトス一発目から褒められるなんて滅多にないよ!」
「ゆ、夢じゃないよね、これ…? あの牛島くんにトスを上げれただけじゃなく、ナイストスって言ってもらえるなんて…」


 若利にトスを褒められたことに余程感動したのか、空知の顔がどんどん赤らんでいくのが側から見ててわかった。それを見ていたら俺もセッターとして対抗心が湧いてきて、サーブ練を切り上げてスパイクトスに入ることにしたのだった。




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