ちょっとまじめな白鳥沢 | ナノ
 人の知恵さとり難しと恐れけり


人の知恵さとり難しと恐れけり ぽんと撥ね火の竹の不思議を











「38.2℃か…。完全に風邪だなこりゃ」
「ん〜…熱い、布団引っぺがして〜…」
「蹴るな蹴るな、ちゃんと被ってろ」


 白鳥沢には学校から徒歩で十分くらい離れたところに学生寮がある。地元が県外の俺は勿論のこと、白鳥沢のバレー部の生徒なんかは大体がこの寮で生活してる。飯は美味いし寮母さんは優しいし、いいところだ。そんな白鳥沢の寮の隔離部屋のベッドで、俺は蹴り飛ばした布団を再びかけられた。そう、俺は現在絶賛風邪っぴき中なのだ。


「監督と担任には寮母さんが連絡つけてくれたから、とりあえず寝てさっさと治せ」
「ラッキー、今日筋トレの日じゃん…。めっちゃ良いタイミングで熱出たわ〜…」
「それ監督に言っとくかんな」
「ウソ、冗談です、ちょー練習行きたいです」


 同室の隼人君の冗談にノリでそう返したけど、半分本音だった。こうしてる間にも、他の奴らはバリバリ練習して上手くなっていく。俺は白鳥沢に来てから、生まれて初めてバレーが上手くなりたいなんて思うようになった。


「じゃあな、ちゃんと寝てろよ」
「ん〜…」


 隼人君が出て行くと、俺はこの隔離部屋に一人きりになる。時計を見てみると、まだ早朝の六時半だった。とはいえ七時には朝練が始まるし、隼人君は長いこと残ってくれた方だ。さすが同期一の男前。
 ベッドで過ごす一日は長い。起きてても辛いだけなのだから寝てしまいたかったが、熱のせいか変に目が冴えてしまった。


(昔からそうなんだよネ…。風邪の時、寝た方が楽だってわかってるのに、なかなか寝れないの…)


 こういう時、子供の頃のことを思い出す。あまり風邪を引かない子供だったけど、ごくたまーに熱を出して寝込んだことがあった。それも前日の夜までは何ともなかったくせに、朝になって急に熱を出すんだ。だから母さんは、俺が風邪を引くといつもバタバタしてた。急いでお粥つくって、近所のコンビニでポカリ買ってきて、そんで俺に言うんだ。


“しっかり水分取って、お腹空いたら冷蔵庫にお粥あるからあっためて食べなさい。じゃあ、大人しくしてなさいね”


 そう言ってバタバタと忙しそうに家を出てく。俺は自分の部屋で一人で、寝たいのに寝れなくて身体が辛いけれど起きてた。喉が渇いたらポカリを飲んで、腹が減ったらお粥をあっためて食う。そうしたらその日の夜には熱は下がってた。医者いらずな子供だ。
 俺は風邪を引くのは嫌いだった。嫌いな学校はサボれるけど、長い長い一日をひとりきりで過ごさなきゃいけないから。バレーもできないし、ゲームをしたり漫画を読んだりすることもできない。ただベッドでじっとして、喉が渇いたらポカリを飲んで、腹が減ったら何か食って、そんだけ。誰もいない家の中で、俺ひとりで。
 そういえば一回だけ、母さんに言ってみたことがあった。傍にいてくれって。そう言えばもしかしたら母さんが「仕方ないわね」って仕事を休んで、傍にいてくれるんじゃないかって、そう思ってやってみた。でも母さんは溜息を吐いてこう言うだけだった。


“覚、困らせないで”


 俺はその頃から何考えてるかわからない子供で、学校でのあだ名は『妖怪』だった。感情を表に出すのが苦手で、嬉しかったら笑ったり、悲しかったら泣いたり、そういうことができなかった。そんな俺のことがきっと可愛くなかったんだろう。母さんが俺のために仕事を休んでくれたことは一度もなかった。
 別に関心がなかった訳じゃない。勉強しなさいとか、行儀よく食べなさいとか、そういうことは言われてたし、愛されてなかった訳じゃない。普通に良い親だ、俺よりよっぽど酷い親を持つ人はたくさんいる。こんなんで不満を言ってたら罰当たりなんだろうなって自分でも思う。ただ、俺が本当に必要としている時に決して傍にいてくれない、そんな親であることは確かだった。

 それからかな、俺は他人が何を考えてるのか、何となくわかるようになった。あ、いま俺のこと怖いって思ったな、とか。何を考えてるのかわからなくて薄気味悪いって思ったな、とか。被害妄想じゃないかと言われたらそれまでだけど、でも別に傷つくようなことでもないし。
 中学の時の監督やコーチが俺を持て余してるのも、チームメイトが俺のことを信用していないのも、わりと早いうちから全部わかってた。そういう俺のことを、母さんがますます面倒に思ってるのも、わかってた。だから、声がかかった高校の中で一番遠くにあった白鳥沢に進学した。でもそれは俺の人生の中で、一番良い選択だった。

 白鳥沢に来て、三つの衝撃があった。まずはウチの大エース、若利君。
 若利君ばかりは、何を考えてるのかこれっぽっちもわからなかった。初めて会った時から今の今まで、俺に対してどんなことを思ってるのか、ちっともわからない。というより俺に興味がないんだろうな。興味があるのは俺のバレー、俺自身には何の興味もないんだ。本人はそんなことないって言うんだろうけど。
 でも俺はそれがむしろ楽だった。だって俺がどんなヒドい奴だったとしても、俺が試合でドシャットを決めている限りは、若利君はきっと俺を遠ざけたりしないから。みんな若利君は近寄りがたいなんて言うけど、俺は若利君の近くにいるのが好きだ。

 二つ目の衝撃は、白鳥沢というチームそのもの。
 中学の時は、結束力の強いチームを作るために、俺みたいに『チームの和を乱す』っていう奴は除け者にされてた。別に恨んでないけどね、ある意味では正しい選択だと思うし。でも白鳥沢は、そういう正しさなんて糞食らえだっていう、変なチームだった。
 俺はやっぱり何を考えてるのかわからない奴だと思われてたけど、でもブロックが凄いからって、ただそれだけで受け入れられた。クセの強い奴が集まって、そしてできた形は歪だけど、ちゃんとその形を大切にしてくれるのが白鳥沢というチームだった。

 三つ目の衝撃は、何の間違いか俺が好きになってしまった、超バレー馬鹿のあいつ。
 別に俺は女の子と付き合ったことがないわけじゃないし、それなりの経験も積んでる。だけど、あいつは完全にイレギュラーだった。あんな女、今まで会ったことなかった。
 本当に朝から晩までバレーのことしか考えてなくて、それ以外のことはちっとも気にしてなくて、自分に向けられる好意も悪意もそのままそっくり受け入れてしまうようなヤツだった。素直を通り越して馬鹿正直すぎて、嘘をついたり人を疑ったり言葉の裏を読んだりすることができなくて、俺がわざと怒らせるような態度を取ればその通りの反応をしてくれた。
 だから、楽だった。あいつにとっては俺の行動だけが全てで、俺の内面なんて何も気にしなかったから。俺のこんな捻じ曲がった感情なんて、絶対に知られたくなかったから。

 あーあ、こんなこと考えてたら学校行きたくなってきた。今まで人生で一度も学校に行きたいだなんて思ったことなかったのに。白鳥沢に来て俺は本当に変わったよなぁ。
 若利君、今日現文あるとか言ってたっけ。あのお爺ちゃん先生の授業、眠くてしんどいんだよね。若利君も寝るんだろうな。ああ見えて結構、授業中とか普通に寝ちゃうタイプだし。英太君は英語の宿題、結局やってきたのかな。昨日の練習終わりに、「朝早く起きてやる」とか言ってたっけ。獅音は「あれはやってこないパターンだな」とか言ってたけど、俺もそう思う。隼人君、いつもより朝練行くの遅くなっちゃって、悪いことしたなあ。相部屋だし、風邪うつってないといいけど。
 そう言えば、今日は空知ちゃんがクッキー焼いてきてくれるんだっけ。俺が食いたいって言ったから作ってきてくれるのに、悪いことしたなぁ。クッキー食べたかったなぁ。あーあ、巴なにしてんのかなぁ。ドシャットするブロッカーがいないから、気持ちよくスパイク打って調子乗ってるんだろうなぁ。俺にドシャットされて悔しそうだけど、俺のことスゲーって思ってるあの顔、今日は見れないのかぁ。
 やだなぁ、風邪って。ほんとやだ。学校行きたい。バレーしたい。英太君からかって遊びたい。空知ちゃんのクッキー食いたい。若利君と一緒に昼飯食いたい。そんで、巴に会いたい。

 こんなに頭の中でグルグル色んなことを考えてるのに、時計を見てみればまだ7時にもなってない。今頃みんな朝練中なんだろう。ボールの音がここまで聞こえてきたらいいのに。早く熱下がってくれないかな。今だったら鍛治君のシゴキも地獄の筋トレも、心底楽しめる気がする。やらなくて済むんならやりたくないけど。
 俺、もう二度と風邪なんか引かない。こんな気持ちになるんだったら、絶対に引かない。これ以上ないくらい体調管理をしっかりしよっと。やだなぁ、嫌なことばっかり考えちゃって。考えることしかできないから、ベッドの上は嫌いなんだ。



* * *



 バァンッ!!!


 あれからどれくらい経っただろう。急に響いたデカイ音にビックリして、俺はベッドから転げ落ちそうになった。
 音のなった方を見ると、そこには何故か巴がいた。土鍋とお椀の乗ったお盆を持ってて、腕にコンビニ袋をぶら下げてる。デカい音がしたのは足で扉を蹴って開けたからか、相変わらず慎みのないヤツ。


「よっ、生きてる?」
「…なんでいんの…」
「あれ、思ったより弱ってる? ほらお粥、寮母さんから預かってきた」


 思ってた以上にか細い声しか出なかった。そんな俺に巴はズケズケと近付き、持っていたお盆を机に置く。


「天童、小鳩にクッキー作ってきてもらってたんだろ? ほんとは小鳩が直接届けに行こうとしてたんだけど、また後輩の女子から呼び出されちゃったから代わりにあたしが来た」
「なにそれ、空知ちゃんまた告白されてんの…」
「そしたら寮母さんにお粥持ってくよう頼まれたからさ。あとコレ買ってきてやったぞ!」


 そう言って巴はコンビニ袋から丁寧にラッピングされたクッキーと、それから桃の缶詰を取り出した。寝転がったままボケっとその様子を眺めてる俺に、巴は印籠を見せるみたいに缶詰を見せてくる。


「カゼといえば桃缶っしょ! ダッシュでコンビニに買いに行ってやったんだから、ありがたく思えよ!」
「…そうなの?」
「は?」
「カゼのときに桃缶とか、食ったことない」
「えー? もったいねーの。カゼ引いた時に食うお粥と、桃缶ほど美味いもんはないのに! ほら、お粥あったかいうちに食いなよ。起きれる?」
「…起こして…」


 起きようとしたけれど、自分で起きれるだけの力が出なかった。巴は俺の両腕を引っ張って起こして、ちょうど太ももあたりの布団の上にお盆を置く。出来立てアツアツのお粥、うまそー。
 すると巴は背負っていたエナメルバッグから大量の購買のパンを取り出して、その場でそれを食べ始めた。なにそれ、それ全部食うの? 太るよ? っていうか、ココで食うの?


「なに、ココで食うの…」
「だって1人で食ってても寂しーだろ」


 巴がさも当然のことみたいに言う。俺は思わず、返す言葉を失った。
 フツーさ、体調悪い時はそっとしておいてやれとか言うじゃん。そっちのが割と定説じゃん。まあ巴のことだから定説の意味知らないだろうけどさ。あとぶっちゃけ俺もよくわかってない。そんなことはどうでもいいけど、とにかくさ、ほんと気遣いとかできないタイプだよねこいつ。知ってたけど。
 でも俺、ほんとはずっとそうしてほしかった。母さんに。してもらえなかったけど。


「ここの寮母さんのメシ美味いべ。小さい頃、ジジイについてきて練習とか見に来るとさ、差し入れに来てくれた寮母さんによく手作りおやつもらったんだよなー」
「へー…」
「久々に会ったけど、全然変わってなくて嬉しかったわー! 向こうもあたしのこと覚えててくれてて、さっき夕飯用の煮物もらった! めちゃくちゃ美味かった〜」
「ほー…。ごちそうさました、桃缶開けてー…」
「なんだよ、桃缶も開けられねーの? 本格的に弱ってんのな。うりゃっ!」


 巴が桃缶を開けて、寮母さんが用意してくれたらしいフォークに桃を乱暴にぶっ刺して、俺に渡してきた。別にいいけど、もう少し丁寧に刺せっつーの。そんなことを思ってたら、巴もフォークで桃を取って食べ始めた。俺へのお見舞いじゃないんかーい。


「ん〜、久々に食うと美味い! ほら、天童も食いなって!」
「わーったよ、いただきまーす…」


 巴に急き立てられて桃を食べる。甘くて、それでいてどこか酸っぱい、ごくフツーの桃缶の味だ。
 だけど、確かに美味い。なんでかわかんないけど、元気な時に食べるのよりも数倍美味い。遠慮なしに桃を取る巴の手をペシンと払い、俺は桃缶にがっついた。


「んまい、たしかに」
「だべ? 感謝しろよな!」
「桃缶製造業者さん、アリガトウゴザイマス」
「あたしにだよ、ボゲ!」


 お粥の力か、桃缶の力か、冗談を言えるだけの気力は戻ってきたようだ。桃缶をペロリと平らげ、俺はもう一度あおむけに寝転がった。巴はあれだけあったパンをもう食べ終えてる。カービィかよ。


「んー、なんか足んない…。学食行くかぁ」


 そう言って巴が立ち上がった。そしたらなんでか、身体が勝手に動いて、巴の手を掴んでた。巴が驚いたように俺を見たけど、完全に無意識的にしてしまった行動に、俺が一番ビックリしている。何を言えばいいのか、言葉が見つからない。
 こういうとこだよな、俺の「妖怪」なところ。ノリとか勢い任せのこととか、思ってないことはいくらでも言えるけど、本当に思ってることは言えない。唯一言ったのは、白鳥沢に来る前に鍛治君に言った、どういうバレーがしたいのかってことだけだ。あれだって結構勇気がいった。鍛治君はそれで勝てるなら何の文句もないって、そう言ってくれたけど。


「天童?」


 巴が首をかしげてる。ああ、くそ、今の可愛い。黙ってりゃ結構可愛いんだから、口開かないでそうしてればいいのに。でもそんなこと言えない。俺がお前のこと好きだなんて言えないんだよ。
 自分でもわかってる、俺のこの感情は普通の”好き”なんかじゃない。英太君みたいに、巴のことを幸せにしてやりたいとか、そんなこと思えない。俺は俺の中の欠落した部分をこいつで埋めて、俺がぬるま湯みたいな安堵感に浸るために巴を利用して消費して貪りつくしたい。だから俺の本当の気持ちなんて、言ったところで返ってくるのは冷たい拒絶だ。だって実の母親にすら受け入れられたことがないんだから。覚、困らせないで。困らせないで。
 妙な考えが頭の中をグルグルと回る。やっぱり、風邪なんて嫌いだ。こんなこと考えてるのは、風邪引いてるからだ。そう思ってたら、巴が急にプッと吹き出した。


「なんだよ、お前カゼ引くと人恋しくなるタイプか!」
「…?」
「ったく、しゃーないなー」


 そう言って巴は腰を下ろして、俺の頭をワシャワシャと撫でた。ちょうど巴の頭上に蛍光灯が光ってて、巴の顔がよく見えない。


「元気になるまで傍にいてやっから」
「……」
「だから早く一緒にバレーすんぞ」


 …ねえ、ほんとになんなのお前。なんで俺が言ってほしかった言葉を、知ってんの。なんで、俺が今まで心の底から望んでたことを、平気でやるの。
 俺はただの、何考えてるかわからない妖怪みたいな凄腕ゲスブロッカーとして、この白鳥沢という楽園で生きる。どうせここは期間限定の楽園だ、いつか訪れる”終わり”は避けられない。それならここにいれるその間ぐらい、俺のエゴを貫き通したって神サマは許してくれるだろう。
 巴。俺は、お前がいてくれたらそんでいい。お前が笑って傍にいてくれたらそんだけで、今まで何も望みどおりにいかなかった人生が全部チャラになる。叶わなかったものも、手に入らなかったものも、何もかもどうでもいいと思える。だから、今だけでいいから。この楽園から去り行くその日が来たら綺麗さっぱり何もかも諦めて、元いた妖怪の国に1人で帰るからサ。


「…巴」
「ん?」
「なんか、話してて。今日の学校のこととか、そんなんでいいから」
「今日の学校なぁ。あ、そういえば朝練の時にさー…」


 くだらない話をしててほしい。それで、笑ってほしい。そんだけでいい、他には何も望まない。できたてのお粥と桃缶と巴があれば、風邪になったって俺は大丈夫。そう思いながら、本当にくだらない巴の話を聞いていた。




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