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白鳥沢主将が報われる話



初恋が唯一の恋愛だ、といわれるのは至言である。というのは、第二の恋愛では、また第二の恋愛によって、恋愛の最高の意味が失われるからである。

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ



















「で、結局小鳩はどうすんの? 牛島に告るの?」


「んぐぅっ!?」


何の気なしに巴が言ってのけた言葉に、小鳩は食べている最中だった昼食の弁当を喉に詰まらせた。慌てて卓上のペットボトルのお茶を呷って流し込み、息苦しさから解放されると、目の前でのほほんとしている巴を恨めし気に見下ろす。小鳩と巴の2人しかいない白鳥沢学園の教室内に、小鳩が咳き込む音が響いた。


「げほげほっ、巴〜…! お願いだから、急にそういうこと言うのやめてもらえる…!?」


「ごめんごめん、謝るって! でもさ、もうすぐあたしらも卒業で、他の奴らとも離れ離れになっちゃうじゃんか。牛島だってちょくちょく大学の練習混じりに行ってるから、もう半分くらい東京暮らしなんだし」


巴はそう言いながら、窓の外の景色にちらりと視線を向ける。季節は2月、ここ白鳥沢学園のある宮城ではしんしんと雪が降っているが、地形のためか積雪量は少ない。とはいえ、暖房が効いている室内を出れば、肌刺すような寒さに襲われることだろう。
18歳の小鳩の春は終わった。親友の巴、女子バレー部の仲間たちと築き上げた3年間はいずれ訪れる終わりを迎え、そして新たな春を迎えようとしていた。そう、白鳥沢学園はもうじき卒業式を控えているのだった。


「あ、あああああのね、巴は勘違いしてるけどね、私は別にう、牛島くんとその、そそそ、そういう関係になりたいってわけじゃ…」


「でもさ、小鳩も牛島も上京組とはいえさ、同じ大学じゃないから会える機会も少なくなるだろ?」


「うっ…」


「牛島はこれから全日本とか呼ばれるんだろうし、小鳩は勉強忙しくなるだろうし、告るなら今しかないんじゃねーの?」


「うっ、うぅっ…! 巴、的確に痛いところ突いてくる…! そっ、それよりも巴の後期試験の方が先決だよ! 昔からの夢を叶えるんでしょ?」


「うっ、小鳩も負けじと痛いところ突いてくんな…! わーってるってば、メシ食ったら勉強するよ!」


小鳩が話を逸らそうと巴のことを持ちだすと、巴はバツの悪そうな顔をして急いで昼食のパンにかじりついた。いささか卑怯な手を使ったかなと、なんとなく申し訳ない気持ちになりながらも、小鳩はほっと息を吐いて食事を再開する。
白鳥沢のエースである巴には実業団からも声がかかっていたのだが、本人はその誘いを断って進学すると決めた。その際に白鳥沢の男女双方のバレー部でひと悶着あったが別の話なので割愛するとして、巴は幼い頃から『白鳥沢バレー部の監督』になることが夢だったので、その為に小鳩の進学先である大学の教育学部を志望していた。
巴だけでなく、みな今までとは違う道を歩もうとしている。バレーを続ける者、バレーを辞める者、そのどちらもがあと幾ばくかの時が経てば、この白鳥沢学園を卒業する。いつか訪れる終わりが、もう間もなく訪れる。


(…牛島くん、きっともう私の手の届かない人になってしまうんだろうなぁ…。い、いや、牛島くんが活躍してくれるのは嬉しいことなんだけれども…!)


小鳩が密かに想う相手、牛島若利は、それは素晴らしいバレーボールの才能を持つ選手だ。全日本代表に選出され、世界を舞台に活躍する選手となるのも、そう遠い話ではないだろう。
対して小鳩は、大学でもバレーボールを続けるとは決めていたものの、プロ選手になるつもりは一切なかった。もともとプロになれるほどの素質はないとわかりきっていたし、それにバレーとは全く異なる将来像を描いていた。小鳩は高校卒業後、都内にある大学の法学部に進学し、その後は父親が社長を務めている会社の法務部に就職する予定であった。これまでバレーボールのおかげで、若利とわずかばかりの繋がりを得ていたものの、これからはそうもいかなくなるのだ。


「でもさ、しつこいようだけどさ、小鳩はこのままでいいの?」


「え…? こ、このままっていうのは?」


「牛島に自分の気持ちを伝えないまま、離れ離れになっちゃってもいいのかって」


「え、えええええ!? む、ムリムリムリ…! う、牛島くんに、自分の気持ちを伝えるなんて…! 結果は目に見えてるし…!」


「でも、行動するのとしないのとじゃ、自分の気持ちも違ってくるじゃん? フラれたらフラれたで、案外スッキリして次に切り替えられるかもしれねーし! ダメでもともと、当たって砕けてきなって!」


「巴…もう私がフラれるって決定事項なんだね…いや自分でもそう思うけど…」


悲惨な結果ありきで告白を勧める巴の邪気のない笑顔に、小鳩はありがたく思うと同時に、何だか悲しくなってきてガックリと項垂れた。しかし、巴の言うことは決して間違いではなかった。自分で言うのもどうかと思うが、小鳩は恋愛にせよなんにせよ一途な性質だった。このまま何事も無く卒業したとして、若利への想いを引きずっていくのは目に見えている。それならばいっそのこと、キッパリとフラれてしまった方がまだマシではある。


「…自分でも、このままでいいのかとは思うんだよね…。でも、実際に行動に移すとなると…」


「恐れ多くなって萎縮しちゃうんだよネー!」


「きゃあっ!?」


いきなり背後から声をかけられ、小鳩は驚いて小さな叫び声を上げた。振り返ると、制服姿の小鳩や巴とは違い、バレー部専用のジャージを身に纏った天童が、コンビニ袋を手にぶらさげながら立っていた。天童は別の席から椅子を持ってきて座ると、袋の中に入っていたチョコレート菓子のパックを開けて、中身を机の上に広げた。


「コンビニで昼飯買ったらクジやってて、一回引いてみたら見事に当たってさ〜。無い頭を振り絞ってる巴と、それに付き合ってやってる空知ちゃんに、差し入れダヨー!」


「うるせー、こちとら死に物狂いなんだよ! 食うけど!」


「ごめんね天童、ありがたくいただくね。天童は今日も練習に顔出しに来てたの?」


「工が来てくれ来てくれってうるさいからネ〜。それより、空知ちゃんがついに若利君に告白するって?」


「ぎくっ…! そ、その話もうやめない!?」


妙に楽しそうな表情でこちらを覗き込んできた天童に、小鳩は真っ赤な顔を隠すようにそっぽを向いた。天童は心底面白そうにケラケラと笑いながらも、大人しく身を引いて机の上のお菓子を食べ始める。


「まあでも、やる後悔よりやらない後悔だからさ〜。実際に告白するとなると難しいし怖いのはわかるけど、そこは崖から飛び降りる気持ちで頑張ってみた方がいいと思うよー?」


「そうそう、女は度胸だぞ小鳩! 牛島がなんかムカつくこと言ってきたら、あたしが黙っちゃいないから安心しろって!」


「ファイト一発、空知ちゃん! そーれ、イッキ、イッキ!」


「ひ、他人事だと思ってぇ…! もうっ、わかったよーっ! う、うし、牛島くんに、ここここここ、告白、してきますっ!」


「「よしきたーっ!」」


2人に煽られた小鳩がやけくそにそう叫ぶと、巴と天童がしてやったりと言わんばかりにハイタッチをした。こういう時だけは息ピッタリの2人を見て、小鳩は恨めしそうに唇を噛んで、天童の差し入れのお菓子に手を伸ばした。


「その代わり、天童もちゃんと卒業前に想いを伝えておきなよ…! 私だけなんて恨むからね…!」


「…え〜、サトリなんのことだかわかんな〜い」


「えっ、天童も白鳥沢に好きなヤツいんの!? 何だよ、言えよ水くせーな! そんで誰? あたしの知ってるヤツ?」


「知りませ〜ん、空知ちゃんの勘違いで〜す」


「あっ、わかった! 桃ちゃんだべ、めっちゃめんこいもん! お前よく桃ちゃん桃ちゃん言ってたし!」


「お前ほんっと馬鹿、ほんっとアホ。そんな頭で鍛冶君の跡を継ごうとか、いかしたジョークですねって感じ」


「んだとゴルァーッ!! ジジイは関係ねえべや!!」


お馴染みの言い争いを始めた巴と天童を見て、小鳩は自分の話題が逸らされたことにほっと息を吐いた。しかし、一番の問題はこの後、『告白する』などと大それた発言をしてしまった自分自身にあるのだ。いくら乗せられたとはいえ、今まで秘め続けてきたこの想いを、あの牛島若利に伝えなければならない。小鳩は現時点で既に真っ赤になった顔を隠すように、そして「どうしてあんなことを言ってしまったんだ」と自省するように頭を抱えた。
















それから日は経ち、とうとう卒業式の前日となった。この日、小鳩は巴ら3年生のバレー部部員たちと共に、代替わりした2年生たちが中心となっている女子バレー部の練習場である体育館へとやってきた。男女ともに白鳥沢バレー部では、卒業式前に『送別試合』と称して3年生で構成される卒業生チームと、1、2年生らの現役チームで試合をすることが伝統となっているのだ。


「み、美羽…。もう試合も終わったんだから、そろそろ私に抱き付くのやめよっか…」


「ぐずっ、小鳩ざん゛っ、本当に卒業じでじまわれるんでずかぁっ…! 永遠に白鳥沢にいでもらうごどはでぎないんでずかぁっ…! びええええん!」


「美羽、とりあえずその顔どうにかして。小鳩さんの練習着に鼻水つけたら私が殺すぞ」


「「先輩離れできなさすぎかー」」


「ったく、嬉しいんだか不安なんだか…。まあでも、今のチーム良い感じじゃん。これだったらインハイだって春高だって優勝できるよ」


「こはくが褒めるなんて滅多にないぞ! それぐらい凄いってことなんだから、みんな頑張れよーっ!」


「「「はいっ!!」」」


美羽や泉澄といった後輩たちから泣かれたり引き留められたりと惜しまれながらも、小鳩ら3年生の送別試合は終了した。桃華がニコニコと変わらぬ笑みで見守る中、3年生たちがコートの片づけや体育館のモップ掛けを始める。これも、今まで使ってきた用具たちに最後に改めて感謝するという、白鳥沢バレー部の伝統であった。


「支柱めっちゃ重いんだけどー。杏樹、手伝ってー」


「沙羅、そういうか弱い女子アピールいらないから」


「いやマジで重いんだって、引退してから筋肉どっかいったんだもん」


「なっさけねーなー! 天童も沙羅と同じで高校で引退組だけど、さっきからめっちゃドシャットしてんぞ!」


巴は支柱を楽々と持ち上げながら、網ネットの向こうで行われている男子バレー部の送別試合の様子を指差した。女子の試合は既に終わったが、男子は最終セットの真っ最中であった。現役チームに敗けた女子の卒業生チームと真逆で、男子は卒業生チームの方が現役チームを圧倒している。


「若利、ラスト!」


卒業生チームのセッター、瀬見が上げたトスに、若利が素早く助走を取ってスパイクに飛んだ。ズガンッ!!!と轟音をたてながら放たれたスパイクは、現役チームの後衛にいた五色のレシーブを掠め、コート外へと吹っ飛んでいく。コート外の選手たちから歓声が上がる中、若利はいつも通りの鉄面皮を崩すことなくチームメイトの声かけに応じていた。


「すっげー、春高の県決勝の時よりスパイクの角度エグいんだけど」


「小鳩ー、牛島大活躍中だよー」


沙羅と杏樹が支柱を持ち上げながら、得点台を片付けるために用具倉庫の中に入っていった小鳩に声をかける。すると、小鳩は油の刺さっていないブリキのおもちゃのようなぎこちない動きで、沙羅と杏樹の方へと振り返った。その顔には何故か、滝のような汗が流れている。


「えっ、小鳩どしたよ、汗がヤバいことになってっけど」


「だっ、だだだだだ大丈夫っ…! 得点台、いま片付けるから…!」


「いやさっきから壁にガッツンガッツン当たってるから。とりま、一旦落ち着こうか、ハイ深呼吸ー」


沙羅1人に支柱を任せ、杏樹は小鳩の震える手から得点台を取り上げ、元あった位置に移動させた。小鳩はよほどの緊張状態にあるのか、得点台をぶつけてしまった壁のあたりに「ごめんねごめんね」と謝るという、謎の奇行を繰り返していた。


「ちょっとー、誰だよ小鳩にメダパニかけた奴。こんなんなっちゃったじゃんかー」


「な、ななななななんでもないから!! 別に、緊張しすぎて頭おかしくなりそうとか、心臓爆発しそうとか、そういうことじゃないから!!」


「スピードワゴンもビックリの解説っぷりだね、小鳩。あれか、前に巴が言ってた例の件か。牛島告白大作戦か」


「いやーーーっ!! 言わないで、お願いーーーっ!!」


告白、という具体的なキーワードを聞いてしまい、小鳩は顔を真っ赤に染めながら耳を塞いだ。その様子を見た沙羅と杏樹はやれやれと呆れつつも、普段は頼れる主将なのにこういった場面では純情なところが小鳩らしいなと思う。


「小鳩、落ち着いて考えてみ? 小鳩は社長令嬢で将来は法律家、白鳥沢を首席で卒業なうえに宝塚系美人ときた。牛島は確かに逃がしたら大きい魚かもしれないけど、小鳩だったら絶対にそれ以上の男を捕まえられるって」


「安心して崖から飛び降りてくればいいよ。世に男は牛島だけじゃないし、小鳩は自分の高スぺぶりをちゃんと知った方がいいって」


「沙羅も杏樹もありがとう…。結局私はどうあがいてもフラれる運命なんだね…。わかってたけど…」


「「あっ」」


赤くなったり青くなったり、忙しなくコロコロと変わる小鳩の顔色に、沙羅と杏樹は思わず吹き出しそうになる。しかしここで吹き出すと、それこそ立ち直れないほどに小鳩が落ち込んでしまうことが予想できたので、辛うじてのところで我慢した。支柱を片付け終えた沙羅は、小鳩を激励するのを杏樹に任せ、倉庫外で男子の試合の見物をしている巴とこはくを呼び寄せる。


「巴、こはく、ヘルプー」


「ん? どうしたよ?」


「あの双子め、また何かやらかしたか…ってどうした小鳩!?」


こはくは沙羅に呼ばれてすぐに倉庫の中へと駆けつけるなり、明らかに様子のおかしい小鳩を目の当たりにし、ぎょっと顔をしかめた。遅れてやってきた巴は「あちゃー」と呟いて、まだ告白前だというのに玉砕している小鳩のもとに駆け寄る。


「小鳩、大丈夫か? 言い出しっぺはあたしだけど、本当にムリだったらムリすることないぞ?」


「う、ううん、大丈夫…。実際、ここで踏ん切りをつけておかないと、自分が苦しいだけだと思うから…」


「牛島も罪な男だよ、ウチの主将こんなに苦しめやがって」


「今からそいつを、これからそいつを、殴りに行こうかー」


「ふざけるのはやめんか、この性悪双子! …まあ、とりあえず小鳩は落ち着いて、顔でも洗ってシャキッとしてきなよ」


「う、うん、そうする…。ごめんね、みんな…」


「気にすんな、あんたはウチの主将だからね。ほら、行った行った」


こはくに促され、小鳩は額から伝ってくる汗を拭い、体育館外にある水道へと向かった。小鳩が体育館外に出ると、それと同時に男子の送別試合が終了し、ホイッスルの音が館内に響く。結果は、若利たちの卒業生チームの勝利のようだ。こはくは倉庫の中からその様子を確認すると、すぐさま他の3人に振り返る。


「いいか、あんたら。小鳩には散々助けてもらったからね。最後の花道くらいは私らが用意してやろうじゃないの」


「当たり前! 小鳩のおかげで、あたしは白鳥沢のエースでいられたからな!」


「どうせ散るなら爆発四散させてあげようかねー」


「芸術は爆発だからねー」


4人はお互いの顔を見合い、全く同じタイミングで1度頷くと、すぐさま駆け出して倉庫から出ていった。
















(はぁ、私って情けない…。こんなメンタルでよく主将なんてできたな…)


校舎から聞こえてくる吹奏楽部が演奏する校歌(明日の卒業式のための練習のようだった)を聞きつつ、体育館外の水道で顔を洗いながら、小鳩は思わず溜息を吐いた。若利に告白すると決めたその日から、若利のことを考えただけでこれだ。卒業式は明日、更には若利は卒業式が終わったらすぐに東京行きの新幹線に乗ることになっている、つまり今日こそが最大のチャンスなのだ。なのに、肝心の告白の言葉すら用意していない。考えてこなかったわけではなく、考えようとすると頭が真っ白になってしまって、何も思いつかなかったのだ。


(…そもそも、結果なんてわかりきってる、言ってしまえば出来レースなんだから…! そんなに緊張することなんてないんだぞ、私…! ああでも、やっぱり駄目だ、心臓飛び散りそう…!)


別に、フラれるのはわかりきってるのだから、フラれることが怖いのではない。告白することで関係が変わることを恐れているわけでもないし、そもそも若利は小鳩が告白したことで態度を変えるような人間ではない。ではなぜ、こんなにも緊張するのか、小鳩は今日までずっと考えてきた。


(…きっと、こんなに緊張しているのは、私のこの気持ちをちゃんと牛島くんに伝えられるのかどうか、自信が無いからなんだ)


自分の想いは、いわゆる普通の恋心とは違うのだと、小鳩は思っている。決して、若利と恋人関係になりたいわけじゃない。若利から愛されたいわけじゃない。そのために、若利が想っている相手を蹴落とそうなどという気持ちは、微塵も起こらない。
じゃあ、小鳩の若利へ対する気持ちは、一体なんなのか。それは小鳩にも、正確には言い表すことができなかった。自分でもなんなのかよくわからない気持ちを、若利に伝えなければならない。小鳩が一番怖がっているのは、この想いが間違った形で若利に伝わることだった。


「…ああ、もう〜…。私って肝心なところで、本当にダメなんだから…」


「そんなことはないと思うが」


「いや、そんなこと…って、へ?」


思わぬタイミングで聞こえてきた声に、小鳩は一瞬間の抜けた声を洩らしてしまう。そしてその声の主が誰であるかに気が付いた時、洗い流したはずの汗がいっせいに額からつぅーっと伝ってきたように感じた。ぎこちない動きで振り返ると、そこには先ほどから小鳩が頭を悩ませている元凶といってもいい人物、牛島若利が立っていた。


「う、うううううう牛島くんっ!?」


「どうかしたか」


「い、いえ、その、あの、」


もはや意味のある言葉さえ発せられなくなっている小鳩に、若利は「?」と首をかしげながら近づく。思わず小鳩が後ずさると、若利はその手に持っていた白いタオルを差し出してきた。


「えっ、あ、あの、これは」


「諏訪に渡された。空知が顔を洗いに行ったのにタオルを忘れていったから、届けてくれと」


(こ、こはくぅぅぅぅぅ!!!)


謀られた、と小鳩は確信した。すると、またもやタイミングよく、先ほどまでしつこいと言っていいほど鳴り響いていた、吹奏楽部が演奏している校歌が、ピタリと鳴り止んだ。誰もいない水道前に、しぃんとした静寂が広がる。


「…いらないのか?」


「あっ、いや、あの、あ、ありがとうございます…!」


静寂の中、若利の低い声が小鳩の耳にダイレクトに響いてくる。そういえば、試合が終わったはずなのに、男子の誰も水道にやってこない。普段ならば誰か1人くらいは、顔を洗いに来たり頭から水を被りに来たりして、騒がしい場所となっているのに。まさか、これすらもチームメイト達の手回しだというのか。


(…い、いや、ここは前向きに受けるとべきでしょう、小鳩…! 仲間たちが繋いでくれたプレーを繋ぎ切らなくて、なにがセッターか…!)


そう考えてみると、不思議と小鳩の胸に一抹の勇気が湧いてきた。環境は整えてもらった、告白する相手も目の前にいる。若利から受け取ったタオルを握りしめながら、小鳩は思いっきり息を吸い込んだ。


「…あ、あの、牛島く…!」


「空知、今までありがとう」


ところが、小鳩が言葉を発するよりも先に、若利がそう言ってきたので、小鳩は驚いて言葉を失ってしまった。今、ありがとうと言った? 私に? 思わず目を丸くして若利を見返すと、若利は普段より柔らかい目で小鳩を見下ろしていた。


「空知には何度も助けられてきた。空知がいてくれたおかげで、学ぶことができたものも多い。改めて礼を言わせてくれ」


「えっ、そ、そんなことないよ…! 私なんて、白鳥沢の選手として相応しかったかと言われたら、とてもそんな器じゃなかったし…」


「そんなことはない。前から思っていたが、空知は自分を卑下しすぎだ」


「え…?」


とんでもないと首を振る小鳩に、若利は少しムッとしたような様子で、至って真剣に小鳩に向き直った。真正面から鋭く強い眼差しを向けられ、小鳩はその黒い瞳から目が離せなくなる。若利は淀みない口調で、何の迷いも無く小鳩への評価を口にし始めた。


「空知はいつも周りを見ている。自分よりも他の部員を気遣って、試合の最中は常にスパイカーを気遣ったトスを上げている。だから鷲匠のようなスパイカーが、本領を発揮することができた。空知は当たり前のようにやっているが、普通はそんな風にはいかない」


「え、え…!」


「試合以外の場所でも、いつもチームメイトが全力で練習できる環境づくりに努めていた。どんな時でも自分以外のところに目を向け、1人1人の部員の良い部分も悪い部分もしっかり把握していた。だから皆が空知のことを慕って、空知のためにバレーをしていたんだ」


「そ、そんな、大げさな…! 私は別に…」


「大げさではない、鷲匠たちも俺と同じことを言うだろう。俺は空知のそういうところを尊敬している」


まさか若利の口から聞くことになるとは思わなかった言葉に、小鳩は目を丸くして驚いた。若利は小鳩の反応など気にしていないのか、それともわかったうえでそうしているのか、立て板に水を流すようにつらつらと小鳩を褒めていく。


「空知は俺にとって主将の手本だ。空知が女子の主将を務めてくれたおかげで、俺は多くのことを学ぶことができた。だがやはり、主将としての振る舞いは空知には及ばなかった。悔しいことではあるが」


「ちょ、ちょっと待ってください、牛島くん! も、もういいです、本当に!」


小鳩が顔を真っ赤にして、まだ続きを述べようとしている若利を止めた。心臓の音がばくばくとうるさい、目の前の彼にまで聞こえそうで怖くなってくる。だが、それ以上に、泣きたいほどに嬉しい。溢れ出そうな涙をこらえながら、小鳩はごくりと息を呑んだ。


「…あの、牛島くん」


「なんだ?」


「…私も、牛島くんのこと、とても尊敬してるよ」


驚くほど、するすると言葉が出てきた。あれほど考えに考え抜いて、それでも何も思い浮かばなかったというのに。小鳩は今、なにかとても温かいもので心が満たされたような、そんな気持ちだった。


「牛島くんの、自分に絶対的な自信を持っている姿、私にはとてもキラキラして見えた。その自信を保つために、気の遠くなるような努力をしているところも、心の底から尊敬してた」


「俺は当然のことをしているだけだが」


「そう、そう言ってしまえるところも、私は凄いと思うの。…きっとね、私は牛島くんに認められたくて、そういう自分になりたくて、バレーをしていたんだろうな」







今、わかった。自分の本当の気持ち。
きっと私は、自分を変えたかったんだ。
だから、私は牛島くんのことが、とても輝いて見えていたんだ。







「…好きでした、ずっと。牛島くんのこと」


小鳩は笑って、そう言うことができた。若利は、にわかに驚いたような、そんな表情を見せて、そしてすぅっと目を細めた。それだけで、小鳩には十分なほどだった。


「こちらこそ、ありがとう。牛島くんと一緒にバレーができて、本当によかった」


「…あぁ。ありがとう、空知。…すまない」


若利はゆっくりと頷いて、小鳩に向かって薄く微笑んだ。小鳩はその微笑みに、穏やかな笑顔を返した。

















「空知さん」


数時間ほど経って辺りがすっかり暗くなる頃、皆と別れて帰路についていた小鳩を、若利の後輩である白布が追いかけてきた。小鳩は白布の声に気付くと、ゆっくりと振り返り、そして笑いかけた。


「白布くん、どうかしたの?」


「いえ、あの…」


「あ、もしかして心配かけちゃった? 巴たちもそうだったけど、みんなちょっと心配性だよね」


「…こういう言い方するのはアレですけど、思ってたよりも元気ですね」


白布の素直な発言に、小鳩はアハハと声を上げて笑った。空元気でもなんでもなく、むしろスッキリしたような笑い声だった。白布が小鳩の隣に並ぶと、2人は同時に歩き始めた。


「…完全に吹っ切れた、って言ったら嘘になるんだろうけどね。でも、良い形で終われたなって思うんだ」


「良い形で?」


「この先、牛島くんのことを考えただけでドキドキしたり、身近で良くないことがあったら牛島くんのことが心配になったり、そういうことは続くんだと思う。…でも、もうへこんだりすることはないかなって」


「…」


「なんていうか、『誇れる恋』ができたなって、そう思うんだ。牛島くんのこと好きになってよかったって、胸を張って言える終わり方ができた。それに、きっと私は牛島くんに『好き』って言ってもらうよりも、今日言ってもらった言葉の方が欲しかったんだと思うんだよね。…私、変なこと言ってるかな?」


「…いえ、空知さんらしいと思います」


穏やかに笑顔を浮かべる小鳩に、白布は心から安心して笑い返した。小鳩は安心したように笑って、その場で立ち止まって背伸びをする。


「でも、やっぱり牛島くんのこと、一生好きなままなんだろうなぁ。この先、彼氏とかできなかったら、お父さんとお母さんは悲しむだろうな、なんて」


「大丈夫です、俺がなります」


「あはは、またまた…って、え?」


冗談交じりの呟きに返ってきた、至って真面目そのものな言葉に、小鳩は驚いて隣に立つ白布を見下ろした。白布は真っ直ぐな瞳で小鳩を見つめ、そしてじりじりと距離を詰めてくる。


「牛島さんのこと、好きでいいじゃないですか。俺だって牛島さんのことは尊敬してます。そういうどこまでも一途なところ含めて空知さんなんだって、俺なら受け止められます」


「えっ、あの、ちょ、白布く、」


「牛島さんのことを忘れてくれなんて言いません。牛島さんのことが心から好きだっていう想いも一緒に、これから歩いていけばいいと思います。ですから、空知さん」


白布はそう言いながら、小鳩の細くて白い手をグッと握りしめた。小鳩は思わずヒッと息を呑むも、その真っ直ぐな視線から目を逸らすことはできなかった。白布は小鳩の瞳をじっと見つめたまま、芯の通った声を発した。


「俺と、付き合ってください」


















・報われてねえじゃねえか!っていうツッコミに対する管理人の解説。
管理人は、小鳩の恋心は尊敬の延長線上のものであると思っています。なので、彼女が報われるには、尊敬する牛島くんに少しでも近づくこと、尊敬する牛島くんに認めてもらえるような自分になること、そしてそれを牛島くんが認めてくれるようになること、それしかないという結論に至ったというわけです。
リクエストが『小鳩の恋が成就する話』ではなく『小鳩が報われる話』でしたので、このように書かせていただきました。牛若×小鳩カップルの話は別のリクエストを頂いておりますので、そちらで存分に書かせていただこうと思います。


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