HQ夢主と牛若の買い物を目撃する烏野の話
「明日の練習終わったら、みんなでショッピングセンター行ってみようぜ!」
ことの発端は放課後練習が終わった後、お馴染みの寄り道場である坂ノ下商店で、肉まんに夢中になっていた日向が突如発したそんな発言からだった。いきなりの提案を受けた仁花が、目を丸くして日向の言わんとしていることを要約する。
「え、えーっと…先週に新しくオープンした、ショッピングモールのこと?」
「そう! すっげー広くてデカいんだって! そんで美味いものもいっぱいあるんだって!」
「やめてよ、その田舎者みたいな反応。ショッピングモールなんか今時、珍しくもないでしょ」
「なんだと月島ゴルァーッ!」
くだらないと言わんばかりにせせら嗤う月島に、日向は肉まんを持ったままの状態で怒り任せに突進した。仁花が慌てて2人の間に割って入り、日向を止める。
「す、ストップ日向! 肉まん落ちちゃう!」
「はっ! た、確かに月島のメガネなんかのために、肉まんを落とすワケにはいかない!」
「君の馬鹿さにはほとほと呆れかえるけど、面倒だからそれはいいよ。なんでそんなこと言い出し始めたわけ? どうせ美味いものがいっぱい食べられるだとか、そういうくだらない理由だろうけど」
「ちっがーう! 確かに飯は重要だけど、本来の目的は『テキジョーシサツ』だぞ!」
「「敵情視察?」」
「大きなショッピングセンターができると、お客さんがそこにばっかり集中して、その周りの小さな店にお客さんが来なくなっちゃうんだろ? そんなことになったら烏野町内会の人たちが困るじゃんか! だからテキジョーシサツして相手を知り、敵に対抗するために作戦を立てるんだ!」
どうやら最初の突拍子もない発言は、烏野にショッピングモールができたと聞いて、日向なりに烏野商店街の人々を気にかけての発言だったようだ。山口の師匠の嶋田や、遠征時の運転をかって出てくれる滝ノ上など、烏野バレー部の重要なサポーター達は地域に土着するタイプの商店街の人がほとんどで、シャッター街問題が社会問題になっている現代日本ではショッピングモールの存在は確かに大きな問題だろう。思いの外、深い意味のあった日向の言葉に、仁花は感動したように瞳を潤ませ、月島は呆れたように溜息を吐いた。
「ひ、日向が地方の小売店問題に真剣に向き合う日が来るなんて…! これなら次のテストの時事問題は大丈夫だね…!」
「谷地さん、そういう問題じゃないから。っていうか君は馬鹿なの? そういうことは君の考えることじゃなくて、商店街の人たちが考えることだから。急にショッピングモールが生えてきた訳でもないんだし、町内会の人たちだってもうとっくに対応策を練ってるに決まってるでしょ」
「でもいつもお世話になってるのに、烏野商店街の人たちの危機になにもできねーのは悔しいじゃんか! 山口だってそう思うだろ!?」
「お、俺? …でも確かに、嶋田さんも『客が持ってかれないように頑張らなきゃな』とか言ってたし…心配ではあるけど…」
「ほらな!」
「そのドヤ顔やめてくれない」
得意げに胸を張る日向に苛つきながら、本当に心配そうにしている山口を見て、月島が再び呆れたような表情を浮かべる。とはいえ、山口が心配性な性格だということは長い付き合いの中でよくわかっていることであったし、更に彼の場合は本当に嶋田に世話になっているので、月島にも心配な気持ちはわからないでもなかった。日向は山口の反応に満足したように笑って、店前のベンチに座ってぼーっとパックの牛乳を飲んでいる影山のもとへ走る。
「そういう訳だから、明日の練習が終わったら一緒に行くぞ、影山!」
「あ?」
「王様、君もとことん馬鹿だけど、更なる馬鹿に付き合ってやる必要はないからね」
「うるせえボゲェ! なんだか知らねえが、飯食えるんだったら行く」
「おっしゃ! 谷地さんと山口も来てくれるよな!?」
「う、うん! さっそく地方商店街のシャッター街化問題に関する資料を作っておくね!」
「谷地さん、そこまでする必要はないと思うけど…。でも、俺もなんだかんだ気になるし、やっぱり行くよ」
「よーしっ! それで、月島のインケンメガネは来ないんだな〜。1年はみんな行くけどな〜」
「『陰険』を漢字で書けそうもないヤツがよく言うよ。いいんじゃないの別に、お好きにどう…」
「ひ、日向! そういう言い方は良くないと思います! 月島くんだけ仲間外れなんて、同じチームメイトなのに酷いよ!」
「そ、そうだよ日向! ツッキーは烏野商店街にあるケーキ屋が大のお気に入りで、あんな言い方をしてるけど誰よりも商店街に愛着を持ってるんだよ!」
「えっ、なに言ってんの谷地さん、それから山口も」
「ぐぅっ…。た、たしかにさっきは言い過ぎた…。ごめん月島! やっぱり一緒に行こう!」
「いや行かないけど、君たちなんなの? 人の話を理解できないほど馬鹿なの?」
「カレーは食えんのか」
「王様は黙ってココイチのカレーでも食べてて」
「テメェ月島ァ!! ココイチを馬鹿にするんじゃねえ!!」
「それじゃあ、明日の練習が終わったら行こうなーっ! 絶対だぞーっ!」
「だめだこいつら、もう何ともできないや」
肉まんを持った手を頭上に掲げる日向、「楽しみだね〜」と笑いあう仁花と山口、それからどうでもいいことに烈火の如く怒り出した影山の同期ら4人に、月島は何度めかの溜息を吐いた。こうして烏野男子バレー部の1年生5人は、烏野の都市部に新しく出来たという、大型商業施設に行くことになったのだった。
「ひ…広い…!」
「お、お店がいっぱい…!」
「飯食うとこめっちゃある!」
「君たち本当にバカみたいだからやめて」
そして当日、練習が終わった後の午後5時頃、約束通り日向をはじめとした5人は烏野高校から徒歩で20〜30分ほどの距離にある、真新しいショッピングモールへとやってきた。県内の他の施設と較べても結構な規模らしい広い敷地内には、食事処からファッションブランドや書籍店、日向と影山が喜ぶようなスポーツ用品専門店まで、この世のあらゆる商業施設が一揃いしていた。オープンしたばかりということもあるだろうが、老若男女問わない多くの人で賑わっている。
「ライバルは強敵だな…! よしっ、山口! 嶋田マートの一番の敵、デパ地下に行くぞ!」
「ちょっと日向、走ったら危ないよ! あと下りのエスカレーターはあっちだよ!」
「あっ、日向と山口くん行っちゃった…! あぁぁぁ、でもここの雑貨屋さんかわいいぃぃぃ…!」
「あのバカ2人は気にしないで好きなところ見てていいと思うよ」
日向と山口が食品売り場に走り去り、仁花はいかにも女の子らしい雑貨屋に目を奪われて動けなくなっている。いつもは男所帯にいるとはいえ、やはり女子なので可愛いものには弱いようだ。影山は3階にあるフードコートの店舗の案内を見てよだれを垂らしており、月島はドン引きするような冷めた目でそんな影山を見下ろす。
「あ、月島くんと影山くんも、どこか行きたいところがあったら行ってきてね! 私のことは置き去りにしてもらって大丈夫ですので!」
「別にさして行きたいところもないからいいよ」
「俺も金ないからいい」
「なら何で君はここに来たの」
「余計なお世話だボ…!」
半笑いでちょっかいをかけてくる月島に、影山が条件反射的に「ボゲェ」と言い返そうとすると、何かに気付いて急に動きを止めた。不審に思った月島が影山の視線の先を追うが、あちこち人でごった返しているので、特に目を見張るような光景も見えない。
「なに、どうしたの」
「今、牛島さんがいた」
「は? 牛島さんって、白鳥沢の?」
「あそこ」
影山が指を指した先は、靴を取り扱っている店舗の一角だった。店内は黒に統一されたフォーマルな雰囲気で、外国人モデルが映っているポスターが大々的に貼り出されており、はたから見る限りそれなりに良いブランドのように見える。そんな店の中に、確かに一際背の高い見覚えのある人物がいた。県内でバレーをしている高校生ならば、誰しもが知っているあの人物だ。
「ホントだ、牛島さんじゃん」
「え!? う、ウシジマさんって、『東北のウシワカ』さん!?」
「あ、谷地さん。なんか買ったんだ」
「シャチ! このペンの色合いが可愛くて…!」
「あ、凛々もいる」
「えぇっ!?」
影山の次の発言に、今度は仁花が反応した。行きかう買い物客の群れで良く見えないのか、ピョンピョンと飛び跳ねながら影山が指さす方を見る。
影山の言う通り、烏野女バレの1年生でここにいる全員がよく知る人物、小谷凛々と、『東北のウシワカ』と称される白鳥沢のスパイカー、牛島若利が店舗内に一緒にいた。この2人は幼馴染であるため、2人が一緒にいるところを見かけることはよくあったが、まさかこんなところで遭遇するとは誰も思っていなかった。そもそも、若利に至ってはこういうところには一切興味がなさそうに思える。
「うわあ、本当だぁ…! でもあのお店って、すごく高い革靴専門のところなのに、なんであの2人がいるんだろう?」
「よし、盗み聞きするか」
「王様、さては日向のバカが映った? あの2人がどこにいようとあの2人の勝手でしょ、放っておきなよ」
「誰がバカだボゲェ! テメーは気にならねえのかよ」
「全然。 第一、盗み聞きなんて卑しいマネしないで、明日にでも直接聞けばいいじゃん」
「あ? イヤシイってなんだ?」
「ごめん、君の語彙力を過信し過ぎた僕が馬鹿だった」
「なんかわからねえが馬鹿にされた気がするぞテメー…!」
「ふ、二人とも喧嘩しないで…! って、あ! あの2人こっちに来るよ!」
睨み合う月島と影山の間に仁花が割って入ったと同時に、凛々と若利の2人が店から出てきてこちらに向かってきた。だが、どうやら3人に気付いたわけではなく、先ほどまで仁花がいた雑貨屋の脇にある昇りのエスカレーターに向かっているようだ。影山と仁花は何となく後ろめたくなってきて、慌てて雑貨屋の中に入って隠れる。月島はというと、こういったところで知り合いと顔を合わせるのは嫌いな性格なので、同じように雑貨屋の中に隠れた。すると、凛々と若利の話し声が聞こえてきて、意図的ではないにも関わらず影山が企んだ通り、盗み聞きをすることとなった。
「よし、靴と鞄は買ったから、残るはスーツだけだね!」
「付き合わせてすまん、必要ないと言ったんだが」
「いや、必要だよ! 大学の入学式、いつものジャージで出る気だったの? 若ちゃんママ直々に頼まれたんだから、この凛々ちゃんにお任せあれ!」
「ああ」
「…とはいえ、私もそんなに服とか詳しいわけじゃないけど…。でも、お母さんたちの身立て通り買えばオッケーなはず! えーっと買わなきゃいけないのはブラックスーツ? だっけ? なはず!」
聞いているこっちがそれでいいのかと不安になるようなことを言いながら、凛々と若利は上の階に向かった。どうやら、あの2人は若利の礼服一式を買いに来たようだ。確かに、若利は高校3年生で卒業を控えているし、卒業後は大学進学するのだろうから、そういった格好が必要になってくる時もあるだろう。その見立てを幼馴染である凛々が務めることになったという訳だ。さすがは家族公認カップルというか、相手の母親が一枚噛んでいるあたり周到だなと思わざるを得ない、なんてことを月島は思った。
「なるほど、スーツかぁ…! 確かに礼服は必要だもんね!」
「あの身長だとサイズ合うやつ探すの大変そうだな」
「最近のスーツは190cmまで対応してることがほとんどだから大丈夫でしょ」
「あ! いたいた、谷地さーん!」
そこへ食品売り場に行っていた日向と山口が、何故かソフトクリームを手に持って戻ってきた。家族と遊びに来た子供か、と突っ込みたくなったのを、月島は何とか抑えた。
「ここのデパ地下すげえ! 解体ショーしてる!」
「解体!? 臓器!? 売買!?」
「違う違う、人体じゃなくてマグロだから!」
「マグロ…!」
「王様、みっともないからよだれ拭いて」
「でも俺も腹減った…。なんか食いに行こう!」
手に持っていたソフトクリームをあっという間にたいらげ、日向はぐぅとなる腹を押さえる。すると、仁花が何か思いついたように手を叩き、上の階に向かうエスカレーターを指さした。
「じゃあ3階のフードコート行こうよ! みんな好きなもの食べれるし!」
「さんせー!」
「はあ…あんまり騒がないでよね」
「金ねえけど食えるもんあんのかな」
「牛丼屋とかもあるみたいだし大丈夫だと思うよ。いざとなったら貸そうか?」
「山口、おっとこまえー! 月島も見習えよな!」
「え、なんだって? 僕に奢ってくれるって?」
「誰もそんなこと言ってねーよ!」
「え、エスカレーターで暴れると落ちちゃうよ!」
敵情視察という当初の目的はどこへ行ったのやら、はしゃぎ気味の他4人に呆れながら、月島は突っかかってきた日向を適当にあしらう。5人は空腹を埋めるために、凛々と若利がつい先ほど乗って行ったエスカレーターに乗り、3階のフードコートへと向かった。
「はぁ〜…なんか高そうなお店だ…」
一方、凛々は2階に構えるスーツブランド店の前で、スーツを見立て中の若利を待っていた。幼い頃からお世話になっている若利の母と、自身の父母に頼まれたはいいが、凛々も若利に負けず劣らずバレー以外のことはほとんどしてこなかった人種である。正直なところ全く役に立たないので、店まで一緒に行って店員に見繕いを頼むことぐらいしかやれることがない。
「でも、もうすぐ若ちゃんも大学生なのかー…。なんか感慨深い感じだなぁ」
小学生時代からの幼馴染の若利も、気がつけばもう18歳。冠婚葬祭の礼服が制服で済む時期も、もう終わりつつあるのだ。親心という訳ではないが、凛々にとっても感慨深いものがあった。
「…それにしても、けっこう時間かかるんだなぁ。やっぱりサイズ無いのかな?」
小奇麗なスーツ姿の女性店員に若利を引き渡し、店員がノリノリで若利を試着室に連れていってから十数分ほど経つが、いまだに若利が出てくる気配はない。凛々が気になって店の奥の試着室の方を覗くと、何着ものスーツを持った店員がニコニコしながら仕切りの前に立っている。この様子だと、時間がかかりそうだ。
「まあ、若ちゃん背高いし、顔もかっこいいからな〜。若ちゃん、また凄い仏頂面で出てくるんだろうな〜…」
本人が不要だと思っていることに時間を費やすことが嫌いな若利にとって、なかなかに酷な時間になるかもしれない。心の中でどんまいと呟き、凛々はもといた店前のスペースへと戻ることにした。店の中にいればいいのかもしれないが、ごく普通のジャージ姿の凛々には、高級そうなスーツ店の雰囲気は居辛いものがあった。待っている間、来週行われる英語の小テストの予習でもしておこうか、そんなことを思った矢先だった。
「あのーすみません! ちょっとお時間よろしいですか〜?」
「え?」
凛々が振り向くと、金髪に大量のピアスという風貌の若い男がチラシを片手に、ニコニコとした笑顔を浮かべて凛々のもとへ駆け寄ってきた。風貌と態度を見るに、どうやら同じ2階にある他の店舗の店員のようだ。男は手に持っていたチラシを凛々に差し出して、外見からは予想できない軽妙な営業トークを繰り広げ始めた。
「僕、すぐそこの店舗でエステやってる者なんですけど〜。ほら、あそこにあるブリュンヒルデ玲子ちゃんの看板のお店! 見えます?」
「あ、えっと、はい、可愛い感じのお店ですね」
「でしょ〜? オーナーの趣味で内装にも凄いこだわってるんですよ〜。ところでお姉さん、高校生ですよね? ここのスーツ店ってすごい高級志向なのに、そんなお店から出てきたからビックリしちゃいましたよ〜」
「あ、いや、私じゃなくて連れが…」
「なるほどなるほど! お父さんとかですかね? あ、なんか関係ない話ばっかしちゃってすいませんね! 実はそこのお店で、オープン記念の超お得な割引やってまして〜。あ、でもお姉さん凄く可愛いから、他のお店でエステとかやってるかもしれないんですけど〜」
「い、いえエステとか全然知らないんで…!」
「あ、そうなんですか? それだったら是非、うちのお店でエステデビューしてほしいな〜なんて思ったりして! 最近は高校生のお客さんも多くて、うちもそういうお客さんのための料金プラン組んでますんで! よかったらお試しにこの10分のコースとどうですか〜?」
凛々が単純なだけかもしれないが、このエステ店の店員らしき金髪の男、相当な口達者であった。断りを入れる暇さえ与えず、軽快に放たれるマシンガンの如き営業トークに、凛々はどうすればいいだろうかと困惑してしまった。正直、エステ等の類には全く興味が無いし、それにお金だってそんなにあるわけじゃない。だが、この愛想のいい笑顔を向けられると、日本人気質の悲しいところか率直に断りづらいのだ。
「す、すいません、今は連れを待ってるんで…」
「あ、お時間がなかったら全然大丈夫ですよ! ただうちのお店、さっきも言いましたけどオーナーの趣味で、すごい内装に凝ってて〜。よかったら雰囲気だけでも味わっていきませんか? 店内ではオリジナルの美容クリームの販売とかもしてて、今ならサンプルも配ってたりしますんで! ほんの1〜2分だけでもどうですか〜?」
逃げ道を1つずつ潰していく会話術に、さしもの凛々もどんどん追い詰められていった。これが凛々1人だけだったら、「じゃあ少しの間なら…」と言って付いていってしまいそうなほどである。しかし、今は若利を待っている最中であるし、1〜2分で終わらないのがこういった話の落とし穴だ。相手には悪いが、ここは自分のためにも相手のためにもきちんと断らなければ。
「え〜っと…ごめんなさい、そろそろ連れが来ると思うんで…」
「あ、それでしたらお連れさんと一緒でもいいですよ! 最近はメンズエステとかも始めてまして〜…」
「俺がどうかしたか」
するとそこへ、凛々にとっての鶴の一声が聞こえてきた。凛々と男が揃って声の方へ振り返ると、予想だにしなかった光景に凛々も男も目を丸くして驚いた。
そこへ現れたのはご察しの通り、店員に品物を見立てられていた若利だったのだが、問題はその格好だった。最初に告げた予算では買えそうもない高級そうなグレーのチョークストライプのスーツに、明らかに礼服向けではないブラックのシャツ、ピンドット柄のパープルのネクタイという、率直に言えばどう見てもマフィアかヤクザにしか見えない格好だった。高校生離れした190cm近い立派な体躯に、本人からすれば常通りなのだが異様に威圧感のある無表情も加わり、その筋の人間だと言われれば疑うことなく信じてしまいそうな有様である。若利に慣れている凛々ですらたじろいでしまうような姿に、凛々に声をかけた男は顔をサァーッと青ざめさせ、動揺してしどろもどろになりはじめた。
「連れに何か用だろうか」
「いっ、いいえっ!! チラシをお配りしてただけなのでっ!! 決してそれ以上の他意はありませんのでっ!!」
「…? よくわからんが凛々、行きたいところがあるならば俺は気にしなくてもいい」
「い、いや、別にそういうわけじゃないので…。あんまりお金もないし…」
「そ、それじゃあ僕はこの辺で!! ど、どうもすみませんでしたっ!!」
男は辛うじての営業スマイルを浮かべると、その場から一目散に走り去っていった。脱兎のようなその姿に凛々は軽く罪悪感を感じながら、改めてとんでもない格好で現れた若利を見る。
「と、ところで若ちゃん、その格好はなんなんでございましょうか…」
「薦められたものを着ただけだ。だが冠婚葬祭には向かんな」
「そ、そうですね…。だけど何なんだろう、この似合いっぷりは…。若ちゃんって高校生だったよね…?」
「お客さま〜! 大丈夫でしたか?」
そこへ若利のスーツの見立てを頼んだ女性店員が、心配そうな表情でやってきた。女性店員は凛々と若利を店内に招き入れ、ホッとしたように胸をなで下ろす。
「さっきの金髪の男に声をかけられてたでしょう? あの男、うちみたいな値段設定が高めのお店から出てきたお客さまばかり狙って声をかけていて、他の店からも苦情が上がってたんですよ」
「えっ、そうなんですか…。話が上手いから付いてっちゃう人もいるんだろうなぁ…」
「ここは客引きは禁止なのに、本当に困りものなんです…。でもお客さまの迫力のおかけで、あの男も少しは懲りると思います!」
「そ、そうでしょうね…良いんだか悪いんだか…」
「?」
不思議そうに首を傾げた若利と、嬉しそうに笑う女性店員に、凛々は苦笑いを浮かべることしかできなかった。あの金髪男は今頃、「ヤベー、ヤクザの娘に声かけちゃったよ…!」などと店員仲間に言っているのだろうかと考えると、妙な罪悪感を感じざるを得ない。改めて若利の姿を見ても、やっぱりどう贔屓目に見てもカタギには見えなかった。
「あ、あの、この人のスーツなんですけど、ちょっとさすがにこれは…。大学の入学式のときに着ていくものなので、もうちょっと学生っぽい感じなのを…」
「あ、申し訳ありません! ただその…脱ぐ前にもう少し拝まさせてもらってもよろしいでしょうか?」
異様に嬉しそうな女性店員に、自分が見たいがためだけにこのスーツを勧めたんじゃないかと凛々は疑問に思ったが、そのおかげで助けられたことは事実なのでグッと言葉を飲み込んだ。
「腹減った…」
「俺も…」
「えっ、今さっき食べ終わったばっかなのに!?」
空の食器を前にそんなことを言い始めた影山と、それに同調した日向に、仁花と山口は思わず驚いてしまった。フードコートにやってきた烏野の5人は、各々自由に食べたいものを買ってきて夕飯前の腹ごなしをしていたのだが、日向と影山にとってはそれが逆に食欲に火をつけることになってしまったようだ。テーブルに突っ伏す2人を、月島は面倒くさそうな目で見た。
「そんだけ食べておいてまだ食べたりないとか、君たちの胃袋どうなってんの? あと食べ終わったんならさっさと食器置き場にソレ持っていきなよ」
「わかってるっつーの…。やっぱダメだ、なんかもう一個食べよう…」
「だ、大丈夫!? 声に力が全然入ってないよ!?」
「山口…! 500円貸してくれ、牛丼買ってくる…」
「それはいいけど、影山も日向もゾンビみたいになってるよ…。途中で転んだりしないようにね…」
餌を求めるゾンビのようにゆらりと立ち上がった2人に、山口が引き攣った笑いを浮かべながら財布の中からお金を取り出して貸し与えた。その異様にも見える様子に周りの買い物客らから視線が集まっていたが、月島は他人の振りをしてフラペチーノを飲んでいた。
日向と影山は辛うじて残っている力で、この場で最も単価が安いであろう某牛丼チェーン店の店舗へと向かう。一刻も早く空腹を埋めたくて仕方がない、頭の中にそれ以外の考えが浮かんでこないほどだった。なのだが、そろそろ夕食の時間帯と言うこともあってか、レジまで数人の客が並んでいる。その間、2人はメニューに記載されている牛丼の写真と値段を、空腹のためかギラついた目で見ていた。
「なに食う?」
「安くて量の多いやつ」
「それじゃあ牛丼大盛一択だな…。くそー、タマゴ乗っけたい…。ソフトクリーム買わなけりゃお金足りたのになー…」
「あれ? 翔陽と影山?」
そこへ聞き覚えのある声がして、日向と影山が同時に振り向いた。
「えっ、凛々!? あとジャパン!?」
「あ、うっす」
「こんなところで会うなんて奇遇だね〜! 若ちゃんは2人に会ったことあったっけ?」
「ああ、全国前に一度会った」
やけに大荷物を抱えて牛丼屋の列に並んできた凛々と若利に、2人がショッピングモールにいたことを知らない日向は驚き、影山は若利に向かってペコリと頭を下げた。凛々は嬉しそうに2人のもとへ駆け寄ってくる。
「ビックリしたーっ! 凛々も来てたんだな!」
「何だお前、知らなかったのか?」
「んなっ、影山は知ってたのかよ!?」
「さっき見かけたからな」
「え、そうだったの? 全然気づかなかった、声かけてくれればよかったのに〜。翔陽と影山は2人?」
「ううん、谷地さんと山口と、あと月島のヤツもいる!」
「えっ、やっちゃんいるの!? 若ちゃん、私ちょっと挨拶してくるね!」
「ああ。…おい、順番が来たぞ」
笑顔を浮かべて友人の仁花のもとへ向かった凛々を見送った後、若利が日向と影山に向かって、ちょうど空いたばかりの一番右のレジを指さす。2人は散歩を待っていた犬のようなキラキラとした瞳で、すぐさま注文に向かった。
「えっと、牛丼大盛2つで!」
「かしこまりました〜。そちらのお客様はいかがなされますか?」
「え?」
アルバイトらしき店員が笑顔で告げた質問に、日向と影山は一瞬たじろぐ。既に2人分注文したのだが、と思いながら店員の視線の先に振り返ると、何故か若利が背後に立っていた。その手には高校生には似つかわしくない、黒い革の財布を持っている。
「いや、俺はいい。会計はいくらだ」
「はい、合計940円になります〜」
「えっ、あの、牛島さん? どうかしたんすか?」
「俺が払う。凛々が世話になっているからな」
財布からスマートに千円札を取り出して店員に渡した若利の姿に、日向と影山は思わず後光を見出しそうになった。その試合中の西谷にも匹敵するほどの男前ぶりに、心の中で「かっけぇ〜〜〜っ!!!」と叫びながら90度きっかり頭を下げる。
「あざぁーっす!!」
「あ、あのっ! タマゴ乗っけていいですか!?」
「構わんが」
「うおおおおお! ありがとうございますっ! 牛島さんかっけーっ!」
「?」
牛丼屋の前で叫ぶ2人の声がフードコート内に響く。その声は凛々や仁花らの耳にも聞こえていたが、月島だけは徹底して他人の振りをするのだった。
ちないにその後、肝心の烏野商店街はというと。嶋田や滝ノ上らの案で、積極的に特売セールや割引券の配布といったサービスを行った結果、もともといたその地域の固定客だけでなく新規の客層も呼び込むことに成功し、シャッター街化することなく順調に運営を続けている。またそれとは別に、白鳥沢学園内で『牛島若利はヤクザの組長の一人息子らしい』というどこから湧き出たのか不明な噂が広がったが、それはそれで1つのネタとして天童を中心としたバレー部の面々に大いに楽しまれたそうだ。