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殺し屋探偵に恋人ができた疑惑の話




あの『探偵』に男ができたらしい。
そんな噂が持ち上がったのは、ボンゴレ直属暗殺部隊ヴァリアーの本拠地の古城の、談話室でだった。


「うっそ、あのジンジャーのブスに?」


「こら、ベルちゃん! 女の子にブスだの何だのと言うんじゃありません!」


「そんなことよりもルッスーリア、それ本当なのかい? 正直、信憑性に欠ける話だけど」


「本当よ〜! 私の馴染みの掃除屋が、ローマの劇場で探偵が男と2人でいるのを見たんですって!」


「その男が殺しの標的だったってオチだったら、王子につまんない話聞かせた罪でブッ殺すから」


「ちょっとちょっと、有り得そうな話だけど、そんなことで殺されたらたまったものじゃないわよ〜!」


キャピキャピと小指を立てながら飛び跳ねるルッスーリアに、ベルフェゴールは磨いたばかりのナイフを突きつけた。その光景を横目に、マーモンは電卓を片手に帳簿の計算をしており、ヴァリアー幹部のうち3人の顔が揃っていた。ここに不在のレヴィ・ア・タンは任務中であり、スクアーロはボスのザンザスに報告に行っている最中である。


「なんでも、その男は探偵のことを『Maeuschen』って呼んでたらしいわよ〜。自分を殺そうとする相手のことを、そんな風に呼ぶかしら?」


「ふーん、『仔ネズミちゃん』ね。下賤な害獣ってところがピッタリなんじゃね?」


「あのケチくさい貧乏性女が、恋愛に現を抜かすタイプとは思えないけどね」


「ししっ、マーモンの方がよっぽどケチくさいっつーの。この世で最も恥ずべき犯罪は貧困なんだってさ、高貴な王子には無縁な話だけど」


「財政が傾きかけてる国連の鼻つまみ者の国の元王族に、そんなことを言われてもね。まあ、探偵に男ができたところで、僕らには関係のない話さ。そんな話はスクアーロにでもしてやればいい」


「う゛お゛ぉぉい!! 俺がどうかしたかぁ!!」


マーモンが電卓から目を離さないまま呟くと、タイミングよく報告を終えたスクアーロが談話室へとやってきた。またもやザンザスの怒りを買ったのか、頭からブランデーを被っている。長い銀髪から滴り落ちる酒が服を汚すのも気にせず、スクアーロはソファに腰かけた。


「うっわ、酒くさ。シャワーぐらい浴びてきてよ、野蛮な愚民はこれだからイヤなんだよね」


「はっ!! テメェに野蛮だ何だと言われてもなぁ!! それで、俺に何の用だ、マーモン!!」


「そう大声を出さなくても聞こえてるよ。別に用なんてないさ、ただ君の腐れ縁の噂話が持ち上がったから、君の名前を会話に出したまでだよ」


「あ゛? …メルかぁ?」


腐れ縁、の一言で通じるあたり、スクアーロもメルに少なからず親しみを覚えているのだろう。ルッスーリアはただでさえニヤついた顔を更に緩ませ、クネクネと腰をくねらせながらスクアーロに近づいた。


「聞いて驚きなさいな、スクちゃん! あの探偵に、春が訪れたんですってよ〜!」


「う゛お゛ぉぉい、気持ち悪りぃんだよ、このクソオカマぁ!! 何が春だ、ついこの前に夏になったばっかりじゃねえかぁ」


「んもう! そうじゃなくて、探偵にコイビトができたかもってことよ!」


「…は? メルにコイビトだぁ?」


いつものように大声で叫び出すかと思えば、スクアーロは素っ頓狂な声を洩らした。予想とは違った反応に、ルッスーリアとベルフェゴールは少し驚きながらスクアーロを見る。スクアーロはしばらくすると、くだらないとでも言うかのように鼻を鳴らして、ソファにふんぞりかえった。


「馬鹿馬鹿しい、あいつがそんなくだらねえものに現を抜かすタマかよぉ」


「わからないわよ、探偵だって女の子なんだから! いつかは白馬の王子様が迎えに来て、誰も知らない素敵な場所へと連れてってくれるかもしれないって、そんな夢を持ってるかもしれないじゃない〜!」


「ししっ、誰も知らない素敵な場所ね。ゴミ処理場の焼却炉とか?」


「ちょっとちょっと、生臭王子は黙らっしゃいな! …ま、私の王子様たちは最終的に、焼却炉でバーベキューパーティすることになっちゃうんだけど」


「で、なんでメルに男ができたなんて話になったんだぁ」


スクアーロの率直な疑問に、ルッスーリアが既に話した内容をもう一度説明する。とはいえ、もともとが伝聞の噂話だけに信憑性を証明するまでには至らず、スクアーロは更なる呆れ顔でルッスーリアを睨んだ。


「どうせ男の方は30分後には死体になってたってオチじゃねえかぁ。その手の話がしたけりゃ、売春窟にでも行くんだなぁ」


「ししっ、クソつまんねー。どうせならボスに女ができたぐらいの面白い話持ってきてよ」


「その女を豚のエサにするところまでがセットだろう、ボスの場合は」


「…んもーっ! そういう反応を期待してたんじゃないのよーっ! アンタたち、つまんないわーっ!」


「はぁ?」


不満そうに叫び出したルッスーリアに、ベルがナイフをちらつかせながら首をかしげる。ルッスーリアはぷんすかと憤りながら頬を膨らませ、スクアーロに詰め寄った。


「お゛え゛ぇ、気色悪い顔するんじゃねえ!!」


「んもうっ! スクちゃんの朴念仁! 私はあの『探偵』に男ができたって聞いて、『あいつにそんな奴が…べっ、別に俺には関係ねぇし…!』みたいな反応をするスクちゃんが見たかったのよーっ! 何よ、みんなしてスカした反応しちゃって!」


「なんで俺がそんな反応しなきゃならねえんだぁ!! コミックの読み過ぎだぁ!!」


「そりゃ私だって、9割がた標的だったってオチだと思ってるけど、それにしたってその反応はつまんないわーっ!」


「じゃあそんな話をするんじゃねえ!!!」


勝手な物言いをするルッスーリアに、ついにスクアーロの堪忍袋の緒が切れ、その派手な髪色の頭目掛けて拳を叩き落した。ゲラゲラと笑うベルを尻目に、マーモンは呆れた顔で計算を終えた電卓と帳簿を懐にしまい込む。


「ま、どうだっていい話だろう。探偵だって、今から30分後に死体になってたとしてもおかしくないんだ。どんなに盛ってようが愛しあっていようが、所詮死ぬまでの悦楽さ」


「つまんねー、人生悟っちゃってるよこの赤ん坊。王子の栄光は死後も続くけど」


「ああ、君だったら負の遺産登録も夢じゃないね。それよりもルッス、先週持ち帰ってきた死体、さっさと処分してよ。もう腐りかけじゃないか、あれ。腐乱死体の掃除は割増料金取られるし、消臭だってタダじゃないんだから」


「えぇ〜っ。せっかく好みドンピシャなボディだったのに。エンバーミングしとけばよかったわぁ。それじゃあ仕方ないから、バーベキューパーティしてこようかしらねっ」


スクアーロに殴られた頭をさすりながら、ルッスーリアはグラサン越しにウインクを1つして談話室から出ていった。その背中に中指を立て、スクアーロは眉を顰める。


「ケッ、イカれてやがるぜぇ」


「それを君が言うのかい。この中でマトモなのは僕1人だけだよ」


「ふざけんなハイエナ野郎。てめー、この間の任務で始末した『ディーラー』の売り物、ボスに報告しないで勝手に横流ししたろ。王子知ってんだからな」


「あ゛ぁ? まさかヤクを売っ払ったんじゃねえだろうなぁ。銃ならまだしも、ヤクは横流しなんざするんじゃねえぞ。本部に睨まれたらテメーの首を差し出すからなぁ!」


メルの恋人疑惑の話題は隅に追いやられ、如何にもヴァリアーらしい世間話が繰り広げられる。この時はまだ、メルの話は信憑性の欠片もない噂話として片付けられていた。












それから3週間ほど経ち、新たな任務が与えられたスクアーロとベルの2人は、標的が宿泊しているローマの高級ホテルへと潜入していた。ホテルのベッドメーキングのスタッフに変装し、山積みにされたシーツを乗せたカートと、使用済みシーツの入ったランドリーカートを押して、標的のいる部屋へと向かう。


「う゛お゛ぉい、ベル! 手順は頭に入ってるなぁ」


「部屋に入って標的を気絶させる。手足を折りたたませて縛って、シーツで包んでランドリーカートにポイする。後は汚れたシーツを捨てに行くフリしてバックヤードから出て、レヴィが待機してる車に乗っけて逃走。こんなん6歳のガキでも余裕だっつーの」


「いいかぁ、まだ殺すんじゃねえぞぉ。吐かせる情報が山のように…」


小声で手順を確認しながら部屋へ向かっていると、ふとスクアーロが何かを目にして表情を強張らせた。不審に思ったベルがスクアーロの視線の先に目を向けると、そこには2人にとって見覚えのある人物がいた。


「…探偵? なんでこんなところに…」


「ベル、2つ先の部屋に入れ。あそこは空室のはずだぁ」


そう、そこにいたのは『探偵』と称される殺し屋、メルの姿があった。エレベーター前で静かに佇むメルの姿に、2人は驚きつつもそれを表情に表すようなことはない。スクアーロは咄嗟の機転で空室となっている部屋に、ベッドメーキングに来たスタッフを装いながら入室した。扉をほんの少し開けて外の様子を確かめつつ、ベルと小声でやり取りをする。


「なんであいつがここにいんの? 今回の標的って、ただの雇われ誘拐屋なんだけど」


「あいつも殺し屋だ、誰かに依頼をされりゃ殺すのは当然だろぉ。…だが、先を越されていたとしたら面倒だぜぇ…。とにかくメルがこの場を去るまで待ってろ」


「りょーかい」


僅かな隙間から、スクアーロが外の様子を伺う。メルはいつも通りの涼しい表情で、なかなか来ないエレベーターを待っている。その時、メルの持っている携帯電話が鳴り、メルが電話に出た。


「Pronto. …『Maeuschen』って呼ぶのはやめてって、前にも言わなかったっけ」


どこかで聞いた覚えのあるドイツ語の響きに、スクアーロとベルが顔を合わせた。記憶を辿り、その言葉が前にルッスーリアが話していた『メルの恋人疑惑のある男』のメルの呼び名であることに気付くと、スクアーロは驚いたようにメルを覗き見、ベルは笑いだしたいのを我慢するかのように小刻みに震えだした。当のメルは、照れてる風でもなく嫌がる風でもなく、淡々と受け答えしている。


「…ああ、バーにいるんだ。部屋に行ったけれど、いなかったから。…そういう言い方はやめて、このまま帰ってもいいんだけど? …わかってるよ、あと言っておくけど、あまり飲み過ぎないように。それじゃあ、また後で」


メルが電話を切るのと同時に、上へ向かうエレベーターがやってきた。メルがエレベーターに乗り込み、エレベーターが上に昇っていくのを確認し、スクアーロとベルは部屋から出る。ベルは任務中だというのにニヤニヤと笑いながら、スクアーロの顔を覗き込んだ。


「へぇ〜、まさかルッスの言ってることが本当だったとはね〜。隊長、どんな気持ち? ぷぷっ」


「うるせぇ、任務中だぞぉ! …まだわかんねえだろぉ、標的を油断させるために色目使ってるだけかもしれねえぞぉ」


「3週間も標的を殺せないとか、なにそのクソみてーな殺し屋。廃業した方がマシじゃね」


「いいから黙ってろぉ!! テメーから先にかっさばいてやってもいいんだぞぉ!!」


「うっせーな、今任務中なんだけど」


この後、結果として任務は成功したものの、スクアーロの頭の中に大いなる『謎』が残った。メルの話していた相手、ルッスーリアやベルの憶測が正しければ『恋人』となる相手は、一体誰なのか。それは、好奇心というよりは、『疑問』に近しい感情だった。














「…で、一番何か知ってそうなあたしに聞きに来たってワケ?」


ルッスーリアが淹れたコーヒーを飲みながら、ヴァリアーの談話室のソファに腰を掛けたローザが呆れたように溜息を吐いた。面白そうだからと談話室に勢揃いしたヴァリアー幹部の面々に一切怖気づかないだけ、大したタマであるとスクアーロは思う。何故ここにローザがいるのかと言うと、ボンゴレ本部からの依頼を終え、報酬を受け取りに本部までやってきたローザを、スクアーロが「聞きたいことがある」と半ば無理やり連れてきたのだった。


「そうよっ、これよこれっ! これが私が求めてた反応よ! ヤキモチと嫉妬心に苦しむスクちゃん、絵になるわ〜っ!」


「うるせえ、黙ってろクソカマ野郎ぉ!!」


「言っておくけど、あたしは1か月半近く前から、あなたがたのボスのそのまたボスの依頼でブラジルに飛んでたのよ。それにメルとは3か月近く会ってないわ、そんなの知ってるワケがないでしょう」


「ししっ、残念でした隊長〜。あまりにも哀れすぎるから王子が恵んでやろっか」


「傷心の上司を慰めるだけの懐があるなら、君が今までに殺し屋狩りで殺した連中の掃除代、払ってほしいんだけど」


「うっせー、経費で落とせよそんなモン」


「でもソレ、本当にメルの恋人なの? どうせ標的でしたってオチなんじゃないの?」


「標的ってことではないみたいね。ソロモンみたいに1週間以内にとはいかなくても、探偵も仕事は速く済ませるタイプだし、殺しに3週間もかけないでしょう?」


「そういや、ソロモンだったってオチは? アイツだったら『仔ネズミちゃん』呼びしそうなもんだけど」


「ソロモンの野郎が用もないのに自分のホームから出てくる訳がねえだろぉ」


「とりあえず、こういう時は状況をまとめるのが一番だってメルがよく言うわ。まずは目撃談をまとめましょうじゃないの」


話を聞いているうちに面白くなってきたのか、ローザは覆面の下でにやにやと笑いながら全員を集めた。まずはじめに、最初の目撃談を聞いたルッスーリアが記憶を辿って話し始める。


「えーっと、最初に話を聞いたのは3週間と3日ほど前ね。私の馴染みの掃除屋が、ローマの劇場に腕を組みながら入っていく探偵と男を見たんですって。男は探偵のことを『Maeuschen』、仔ネズミちゃんって呼んでいたそうよ」


「その次が王子と隊長が任務中、ローマの某ホテルにいる探偵を見たと。探偵はその男と電話してて、なんでもその男が宿泊してるホテルに探偵が来たみたいだったよ。男の部屋まで知ってたし、おまけに『あまり飲み過ぎないように』とか言っててさ、その時の隊長の顔がマジ笑いもので」


「そんな余計な話はどうでもいいんだよぉ!! …ちなみに、宿泊記録も確認してはみたが、どうやら偽名だったようで何の痕跡も出てこなかった。裏の人間なことは間違いねえなぁ」


「ちょっとちょっとスクちゃん、あなた結構ストーカー気質ね…叶わないからって相手を殺したりするのはダメではないけど目覚めが悪いわよ…?」


「う゛お゛ぉぉい!! 何勘違いしてやがる!! 標的の泊まってるホテルの同じ階に裏の人間がいたなら、調べておくのは当然だろうがぁ!!」


「ししっ、社畜乙。とまあ、これが全部だと思うけど」


「ふうん、どっちの目撃談もローマなのね」


「聞く限りでは、ドイツ語圏の人間みてえだからなぁ。ローマは空港もあるし、ドイツからにせよ他の国からにせよ、海外から来たってことじゃねえかぁ?」


「そういえば、メルもドイツ系のイタリア人だわ。生粋のシチリア人よりは、ウマがあったのかしらねぇ」


「誰の顔を見て言ってやがる! 第一、こんな目撃談ごとき大した情報には…」


ローザが書き留めたメモ書きを覗き込みながら、スクアーロが何かに気付いた。その場にいる全員が、急に黙り込んだスクアーロを不審に思っていると、スクアーロはルッスーリアの方へ顔を上げる。


「おい、ルッスーリア。テメーの掃除屋がメルを見かけたローマの劇場っていうのは、コンスタンツィ劇場のことかぁ?」


「ええ、そうよ? ローマの劇場といえばそこじゃないの〜! あの時は確か、『椿姫』が上演されてたわねぇ」


「メルはオペラの類は嫌ってる筈だぜぇ。ソプラノの高音を聞いていると、死んだ母親の金切り声を思い出すんだとよぉ」


「えっ? それじゃあ、どうして探偵はその劇場に…」


「スクアーロの言っていることが本当なら少なくとも、デート目的じゃないってことなんだろうね」


「じゃあ仕事の為に来たってこと? でもその男は3週間後も生きてるし、標的ではないんでしょう?」


「標的じゃなくて、クライアントだったってことじゃないかい? とはいえ、殺しの依頼や受け渡しを、そんな人の目に付きやすいところでするとも思えないけど」


「…もしかして、メルの『表の仕事』関連じゃないかしら」


ローザが呟いた言葉に、その場にいた全員がハッと息を呑む。マフィアや殺し屋など、裏世界に生きる人間が表世界での隠れ蓑として、一般的な仕事を兼任していることは多い。ヴァリアーなどは暗殺という特殊な仕事内容から、ペーパーカンパニーとして警備会社を3社ほど擁している。メルも例外ではなかった。


「メルの表の仕事はフリーのライターなの。正しいにせよ間違ってるにせよ、情報が集まりやすいからってね。メルの場合は名ばかりの名刺じゃなくて、本当に雑誌やインターネットニュースの記事を書くこともあるらしいわ」


「つまり、嫌いなオペラを見に行ったのは、その表の仕事のためだってことかぁ…。一体何の記事だぁ?」


「ドイツの経済誌の記事だよ」


そこへ、予想だにしない人物からの声が響き、全員が驚いて声の方へ振り返る。そこには、まさに話題の中心人物であった張本人、メルの姿があった。出不精で滅多にヴァリアー本部などへはやってこないメルの思わぬ登場に、馴染みであるローザやスクアーロですら目を丸くして驚いている。


「メル!? なんでこんなところにいやがるんだぁ!?」


「依頼の受け渡しに家光さんのところに行ったら、『この日本土産の饅頭をヴァリアーへ渡しておいてくれ』って使いを頼まれたから。一応殺し屋である私に子供のお使いを頼んだりする大物、家光さんぐらいなものだよ」


「あのクソオヤジはどういう頭をしてんの? 食べるけど」


メルが溜息を吐きながら差し出した和風な趣の紙袋を、ベルが受け取って中に入っていた饅頭の箱を取り出した。一方、スクアーロは饅頭に目もくれず、すぐさま帰ろうと踵を返したメルを追いかける。


「おい、待ちやがれぇ! 今のはどういうことだぁ!?」


「言った通りだよ。私が嫌いなオペラを見に行ったのは、表のライターとして記事の執筆を依頼されたから。一応、活動実績は作っておかないと、確定申告にだって行けやしないんだから」


「…じゃあ、お前と一緒にいたっていう男は誰だぁ。ホテルに泊まるのに偽名を使う野郎だ、どうせろくな野郎じゃねえだろうがなぁ」


「私に執筆を依頼した、ドイツのとある経済誌の編集長。前に殺しの依頼をされたことがあってね。それ以来、表でも裏でも常連になってくれてる。…熱心なネオナチでね、偽名を使うのはいつものことだよ」


「…天下の『探偵』を『仔ネズミちゃん』呼ばわりとは、ずいぶん肝っ玉のでけえクライアントだなぁ」


「父親がフランス人らしくてね、誰にでもそういう口の利き方をする人なんだよ。…ホテルに行ったのはクライアントの帰国前に報酬を受け取るためで、ヴァリアーの標的に手を出すつもりなんかなかったよ。むしろそんな奴がいること自体知らなかった。任務の邪魔をしたんだったら、私に落ち度はないけど謝るよ」


「いや、任務は問題なく成功した。…本当だなぁ?」


「私は必要のない時は、なるべく嘘はつかないようにしてる。知ってると思うけど」


そう言ったメルの瞳に、嘘をついている人間特有の焦りや恐れの色はない。恐らく、本当なのだろう。スクアーロは何だか、あんなに頭を悩ませていた自分が馬鹿馬鹿しくなって、大きく溜息を吐いた。


「まあ、テメーがそんなくだらねえものに現を抜かすような腰抜けだったら、俺がとっくに叩っ切ってるだろうからなぁ」


「くだらないもの? 表の仕事は結構大事だよ、ヴァリアーだってペーパーカンパニーがあるでしょう」


「あ゛? 何の話をしてんだぁ?」


「…あれ、どういう話をしてたの? 私がヴァリアーの標的に何か関係してるんじゃないか、って話をしてたんじゃないの?」


「…あ゛ぁー…そういうことにしておけ、面倒くせえ」


どうやらメルは、話の本題であった『恋人疑惑』の部分は聞いておらず、スクアーロとベルが任務で入り込んだ標的の宿泊先にメルもいたという点から、自分の存在が何か任務に影響したのではないかと思ったようだった。主題は違うのだが、関与する人や場所は同じであるし、そもそも恋人疑惑の話を蒸し返すのも気恥ずかしく思われたので、スクアーロは適当にその話題を逸らした。ところがそれで黙るメルではなく、むしろメルの謎を解きたいという好奇心を刺激したのか、先ほどまでと打って変わってスクアーロに詰め寄り始めた。


「ということは、その話ではないということだね。気になるなぁ、その話」


「う゛お゛おぉぉい!! そういうことにしておけって言っただろうがぁ!!」


「スクアーロ君、私との付き合いも長いんだから、知られたくないことがある時は私が興味を持たないような受け答えをしなきゃ。じゃあ、何かしら知ってそうなローザにでも聞いてこよう」


「あ゛っ!? おいテメェ、待ちやがれぇ!! メル!!」


小さな好奇心に胸を躍らせて再び談話室に向かうメルを、スクアーロがどことなく耳を赤くさせながら追いかけた。



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