嫉ノ呪1
まず初めに言っておく。今から話すことは到底信じられないようなことだと思う。俺だって当事者じゃなければ、とても信じられなかっただろう。
でも、こういうことは映画や漫画だけの話じゃなくて、実際にあるんだ。
たとえ信じられなくてもいい。だけど、これは本当に俺たちの身に起きたことなんだ。一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。『あいつ』がいなければ、本当に危なかったんだ。
俺の幼馴染に及川徹という男がいる。腹立たしい限りだが、この男はモテる。性格は残念の一言に尽きる奴だが、顔の造形だけはやたらに整ってるうえに、人あたりがいい。あとこいつは年上に可愛がられるのがめっぽう上手い。おだてるところを探すのが上手いというか、人の良い部分を見つけるのが得意なんだろう。こいつのそういう部分はバレーのプレースタイルにも表れていて、スパイカーの先輩なんかは及川のことをよく可愛がっている。
その及川は春高が終わり、代替わりすると同時に正セッターになった。まだ1年生だった及川がスタメン入りすることに異議を唱える奴もいたが、そいつらを黙らせたのは2年のセッターの先輩だった。
「チームが勝つために及川が必要なんだ。だったら、及川が正セッターになるのが一番だろ?」
「で、でも…」
「遊びや思い出づくりのためにバレーしてるんじゃないんだ。勝つためにやってるんだ! だったら勝つために必要な奴が選ばれるべきだろ! 違うか?」
この志戸さんという先輩に、及川はウザいくらいに懐いていた。正セッターの座を奪ったことに気を遣っていたというのもあるのかもしれないが、それ抜きにしても志戸さんは良い先輩だったし、頼りになった。キツイ練習のときは誰よりも元気で、試合で苦境に陥った時は誰よりも声を出していた。控えの志戸さんに負けてたまるかと、及川はますます練習に身が入るようになった。時折オーバーワーク気味になって、俺にぶん殴られていたが。そういう時はよく、志戸さんが注意していた。
「怪我したら元も子もないだろ? 何事も程よくな」
「はい、すみませんでしたっ」
「テメー、俺の言うことは聞かねえくせに、志戸さんの言うことは素直に聞くな」
「岩ちゃんその顔怖い! そりゃ先輩だし、それに志戸さんに真正面から注意されると、はいすみませんでしたって気持ちになるよね」
及川の言うことは俺にもなんとなくわかった。志戸さんは話しかけるとき、じっとこちらの目を見つめる人だった。あんな風に見つめられると、つい素直に従ってしまうというか、折れざるを得ないという気持ちになるのだ。その心の奥に踏み込んでくるかのような目に、たまに怖いと思うほどだった。まあそれが及川に効いていたので、その時はむしろありがたく思ってた。
「志戸さん、一緒にパスしましょう!」
「おし、やるか!」
「ハイ、お願いします!」
及川は本当に志戸さんに懐いてた。志戸さんも、及川を可愛がっているように見えた。それは俺たちが2年生に上がり、新入部員が入って以降も同じだった。その頃には、俺もエースの先輩の対角ポジションでスタメン入りできるようになって、部活が楽しくて仕方がなかった。
だがこの頃から、及川がちょくちょく体調を崩すようになっていた。と言っても練習を休むほどじゃない。顔色が優れないとか、なんとなくだるそうだとか、おそらく俺以外の奴だったら気づかないであろうレベルだった。
「また夜中まで研究だーとか言って、バレーのDVDでも見てんじゃねえだろうな」
「してないしてない! ここしばらくは、あったかくして早めに寝るようにしてるよ!」
「あんまり長く続くようだったら病院行けよ」
「うん」
だが、及川の体調は依然変わらずで、むしろ少しずつ悪化してるように見えた。練習中はそんな素振りは見せなかったが、授業中や休み時間はほとんど寝ていたし、食欲も無いのか食べる量も徐々に減ってきていた。及川自身も変に思って病院へ行ったらしいが、軽い風邪と診断されて風邪薬をもらってきただけだった。だがその薬も効いているようには見えず、別の病院へ行ったが診断は同じだった。そんな中でもバレーだけは全力でやっていたが、そのうちバレーにも影響が出るようになることは予想できた。
そんな時だった。『あいつ』が及川の前に現れたのは。
「あの、あなた呪われてますよ」
『あいつ』こと水無瀬夕莉は、及川の前に現れるなりそう言った。その時は移動教室の真っ最中で、声をかけられた張本人の及川はポカンと口を開けていた。その時すぐ横にいた俺も、「あ、色々拗らせてる及川のファンか」と思ってしまったほどだ。
なにせ、水無瀬の外見は異様だった。まあまあ暑くなって生徒全員が薄着になり始めてきた頃だというのに、ブレザーに黒タイツという肌を見せない格好だった。そして何よりも印象的だったのは、その長い黒髪。前髪は目にかかるほどで(及川曰く姫カットというヤツらしい)、混じりけのない純粋な黒の髪が腰まで伸びていた。そう、まさに日本人形を連想させるような外見だった。
「あははは、ごめんね〜。及川さん、これから授業でさ…」
「最近、体調悪いですよね。足、重くないですか」
適当にやり過ごそうとヘラヘラしていた及川の表情が一瞬固まった。体調が悪いのは知っていたが、足が重いというのは俺も初耳だった。水無瀬は持っていたノートに何か書いた後、その部分を切り取って及川に渡した。
「その住所の神社に行って、そこの手水舎の水飲んでみてください。できたら大きいペットボトル1本分くらい飲んだ方がいいですよ。神主さん、あなたを見たら察してくれると思うので」
それだけ言うと水無瀬は、ポカンとしている及川と俺を残してさっさとその場から去っていった。渡されたノートの切れ端には、割と近所にある神社の名前と住所、それから簡単な地図が書いてあった。外見に似つかわしくない、女子らしい丸い文字だった。
「…なにこれ?」
「俺に聞くなよ。…お前のこと、呪われてるとか言ってたけど」
「ぷっ、岩ちゃん昔っから心霊写真とか信じるタイプだったよね〜! ばかばかしい、そんなワケないでしょ。どこの誰がこんなイケメンを呪うというのさ」
「俺とかじゃね」
「えっ、なにそれやめてよ! いくら及川さんの陰に隠れてるからって、そんなことしなくても!」
「殺すぞクソ」
相変わらずの軽口を叩いた後、及川は水無瀬に渡された紙切れを丁寧に折りたたんで、俺のズボンのポケットに勝手に突っ込んだ。女子から貰ったものを捨てるのは忍びないということらしいが、ゴミを押し付けんなと及川のケツを蹴っといた。教室に着いたらゴミ箱に捨てとこうと思ってたが、このことがあったせいで遅刻ギリギリになって慌てて席に着いたから忘れてた。
後に水無瀬がオカルト研究部所属で、その外見から『お菊さん』とあだ名されてるのを知り、俺も及川も納得した。結局は色々拗らせたヤツだったんだろうと。水無瀬にまつわる噂も、信憑性のカケラもないものだったので仕方ないだろう。曰く、1日に3回以上『お菊さん』に会うと不幸が起こるとか。曰く、『お菊さん』が映り込んだ写真は全て心霊写真になるだとか。曰く、実はもう死んでいて学校に来ているのは人間そっくりの人形だとか。最後の噂なんて、考えた奴はホラー作家の才能があると思ったぐらいだ。だからそんな奴の言ってることも、到底信じていなかった。そう、この時は。
ある日の夜、救急車のサイレンの音が鳴っているのに気づいて目を覚ました。窓の外を見てみると、三軒ほど隣の民家の前に救急車が止まっている。その家は、俺の近所にある及川の家だ。
「及川…!?」
俺は慌てて自分の部屋から出て外へ向かった。同じく起きてきたらしい母ちゃんが、すでに救急隊員にどうしたのか尋ねている。
「母ちゃん!」
「一、あんたも起きてきたの?」
「なんかあったのか!? まさか及川じゃ…!」
周りの家からも住人たちが出てき始めたその時、及川の家から担架を持った隊員が出てきた。担架に乗っていたのは、まぎれもなく及川だった。酷く青ざめた顔色をしていて、俺は身体中の血の気がサーッと引いていくのを感じた。
「及川!」
「…岩ちゃん…?」
「どうしたんだよ!? 一体なにが…」
「一!」
母ちゃんに引っ張られて、俺は及川から離れた。隊員の邪魔をするなということらしい。及川はそのまま救急車に運ばれて、その後を追って及川の父ちゃんと母ちゃんが付き添いに救急車に乗った。家の中から及川の兄貴の貫志君が出てきて、俺たちに事情を説明してくれた。
「一、悪いなこんな夜中に。一のお母さんも、すみません」
「貫志君、何があったんだよ!?」
「夜中に徹が急に気持ち悪いって言い始めたんだよ。病院連れて行こうとしたら、あいつ『立てない』って言ってて…。顔色もやばいし、これは救急車呼んだほうがいいってなって呼んだんだ」
貫志君の言葉に、俺は頭がクラクラして倒れそうだった。立てないってどういうことだ。まさか、足が動かないんじゃ―――
「最近、体調悪いですよね。足、重くないですか」
こんなことを思い出してる場合じゃない。だけど、俺はあのとき水無瀬が言っていた言葉しか頭に浮かんでこなかった。心配そうにしてる母ちゃんや貫志君を置いて、俺は急いで家に戻った。
「一、どうしたの!?」
脱ぎ捨てた靴もそのままに、部屋へ戻って制服のズボンのポケットを探る。捨て忘れてたノートの切れ端が、しっかりそこに残っていた。俺はその紙を握りしめて、そこに書かれている神社に走った。
神社の周りはろくに街灯もなく、俺は携帯電話のライトを頼りに神社を探した。もうかなり遅い時間帯で、参拝客はおろか通行人も誰もいなかった。やっとのことで階段を見つけ、踏み外さないよう尚且つ急いで階段を駆け上がる。すると、そこには古びた社と手水舎、それから水無瀬がいた。
「お前…!」
水無瀬は学校で見た制服姿ではなく、ベルトだのチェーンだのがついた黒ずくめの格好(及川曰くバンギャみたいなファッションらしい)をしていて、夜に溶けていきそうだと思った。俺がライトで照らさなければ、存在を確認すらできなかっただろう。水無瀬は俺につかつかと歩み寄り、じっと俺を見るなりいきなり眉を寄せて嫌そうな表情をした。
「水、飲みませんでしたね」
「は?」
「これでは、禊だけではどうにもならないです。呪いの根元を絶たないと」
水無瀬はそう言うなり、俺の脇をすり抜けて階段を下りていった。俺は慌ててその後を追う。
「おい、及川は本当に呪われてるのか!?」
「はい、呪われてます」
「お前だったら、それを何とかできるのか!?」
「はい、できます」
あまりにもアッサリと水無瀬が言った。こんな真っ暗な空間でライトもつけず、平気で階段を下り切った水無瀬を追って、その腕を掴む。俺は藁にも縋る思いで、水無瀬に頭を下げた。
「頼む、あいつを、及川を助けてくれ!」
「…」
「あいつがいなくなったら、俺は誰のトスを打てばいい…!」
今にして思うとどうかしてると思うが、俺にはこの時水無瀬しか頼れるものがなかった。もうどうしようもない、あいつを助けるにはこれしか方法はないと、本気で思い込んでいた。水無瀬はそんな俺の肩をポンと叩いて、驚くほど穏やかな優しい声で言った。
「大丈夫です。任せてください」
試合中の及川の言葉ぐらい、頼りになる言葉だった。水無瀬は俺の手を引いて神社のある山中から国道に出ると、即座に通りかかったタクシーを止めて最寄りの病院まで向かった。及川は救急車で搬送されたばかりなのに、なぜ搬送先の病院を知っているのかという疑問が浮かぶのは、ずいぶん後になってからだった。
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