烏野高校1年2組の教室。カーテンに仕切られた空間で、凛々はクラスメイトに渡された衣装を見つめて苦笑いを浮かべた。
「本当にこれ着るの…?」
「当たり前! 凛々ちゃんは宣伝係なんだから!」
「大丈夫、絶対に似合うし!」
「うーん…まあ準備とか全然やってないし、衣装着て歩くくらいやるけど…」
今日は烏野高校の文化祭。なのだが、凛々にとっては今日まで特に関わりのない事であった。何故なら、バレー部の練習にかまけきりの凛々にとっては、文化祭の準備にかける時間などなかったからである。なので企画から仕入れから、あらゆる準備はすべてクラスメイトに全て任せていたのだ。その結果、当日になって自分がクラスの出し物の宣伝係になっていることを知った訳だ。
「着れた?」
「着れた…けどこれはちょっと…!」
「どれどれ、ご対面〜!」
クラスメイトがカーテンを開けると、そこには赤い花柄のチャイナドレスを身にまとった凛々の姿があった。身体のラインがくっきり浮き出るタイトな生地に、マイクロミニのスカート丈が凛々の日焼けとは無縁な白い脚を強調している。しきりに恥ずかしそうにスカート丈を伸ばす凛々の姿に、クラスメイトたちから歓声が飛んだ。
「可愛いー! 超似合うよ!」
「ほんと、脚長いからミニスカチャイナドレスが映える!」
「スカート短すぎるって! 私、典型的なバレー脚なのに…」
「いや、むしろそれがエロくて良いんだけど…」
「黙れ男子! 凛々ちゃん、こっち来て! 髪お団子にするから!」
薄桃色の牡丹の髪飾りを持った女子が、凛々を椅子に座らせて髪を弄り始めた。
凛々のクラスの出し物は『チャイナ喫茶』である。ウェイターが全員、中華風の服を着て、提供する食事も烏龍茶や肉まん(提供は坂の下商店)という、なかなかに凝った出し物だ。そして学校中を歩いてチャイナ喫茶の宣伝をする凛々の衣装も、チャイナドレスになっている。
ヘアセットを終えた凛々は、これまたクラスメイトが準備した黒地に金のラインが入ったピンヒールを履き、『1年2組チャイナ喫茶』と描かれた看板を持つ。これで準備万端だ。
「それじゃ、いってらっしゃーい!」
「はぁ〜恥ずかしい…行ってきまーす…」
クラスメイトに見送られ、廊下に出る。その瞬間に周りの生徒たちからの視線が一気に凛々に向けられたが、凛々はスカート丈のことばかり気にしていた。しかし、与えられた仕事はしっかり行わなければならない。履き慣れないピンヒールで慎重に歩きながら、恥ずかしさを吹き飛ばしてニコニコと笑顔を振りまいた。
「1年2組、チャイナ喫茶やってまーす! みんな来てくださいねー!(やばい、ピンヒールめっちゃ歩き辛い! これで学校中歩いたら脚の筋肉ムキムキになるんじゃね? テンション上がってきた!)」
主に男子生徒が一気にざわめく。当の凛々は体育会系思考を妖艶な衣装と無邪気な笑顔で隠し、若干ふらふらとしながら前へ進む。すると、通りがかった教室からよく知った顔が飛び出てきた。
「凛々ー!!」
「翔陽! わっ、なにそれ可愛い!!」
1組の教室から出てきたのは、いつもの制服姿に猫耳と猫尻尾、猫ひげをつけた日向だった。よく見ると、1組の教室内にいる生徒たち全員が猫耳をつけている。
「凛々すげー、かっけー! なんか強そう!」
「チャイナ服だと強そうなの? それにしても、猫耳かわいいー! あ、すごいモフモフする! 気持ちいい!」
「俺んとこ猫カフェ! だからほら、俺も猫!」
「え、猫いんの?」
「いない! ふいんきだけ!」
「いないのかい! でも、影山が喜びそうだね! 教えてあげよっかなー」
日向の手を引いて、凛々は影山のいる3組の教室に向かった。教室の中を覗くと、なにやら様々が絵や彫像が飾られている。教室前の看板には『美術展示』と描かれていた。
「うわ、影山っぽくない…」
「ほんとだ! 影山に美術とか似合わねー!」
「あ、あれ影山かな?」
凛々が指さした先には、クラスメイトと何か話している影山の後ろ姿が見えた。
「影山、翔陽んとこ猫カフェなんだってさー!」
「でも猫はいねーぞ、猫耳だけだぞ!」
「あ?」
影山が振り返った。しかしそこに影山の顔はなく、あるのは『ムンクの叫び』の叫びをあげている男の顔だった。
「「ぎゃーーーーーーーっ!!!」」
「び、びっくりした…お面ならそうと言ってよ…」
「お前らが勝手に驚いただけじゃねーか」
1年の教室が並ぶ廊下を凛々、日向、そしてムンクの叫びのお面をつけた影山の3人が並んで歩く。日向は自由時間、影山は凛々と同じように宣伝係の仕事中だ。チャイナドレスの少女と、猫耳の少年と、ムンクの叫びのお面の男の三人連れは流石に目立つのか、すれ違う人々ほぼ全員が二度見していた。
「ってかそのまま振り向くなよ!! 口から内臓出るとこだったろ!!」
「口から出るのは心臓だろ」
「いやどっちも実際は出ないからね」
凸凹コンビ二人のやり取りに、あらぬ方向からツッコミが飛んでくる。三人が振り返ると、そこにはクラスの出し物の受付中らしき山口の姿があった。ただ何故か、おさげ髪にセーラー服という格好である。
「山口!?」
「え、あれ山口なのか?」
「ぐっちー! 何その格好、めっちゃかわいい!」
「えっ、日向の隣のチャイナ服の子、凛々だったの!? 気づかなかった、なんでチャイナ服?」
「山口こそ、なんでセーラー服なんだよ!?」
「俺のクラス、男女逆転喫茶だから」
山口が黄色の文字で『忠子』と書かれた手作りの名札を見せてくる。つまり、男子が女子、女子が男子の格好をして接客する喫茶店らしい。
「へー! ってことは、ツッキーもセーラー服? ツキ子ちゃんなの?」
凛々がニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべると、山口がヤバいとでも言いたげに表情を歪めた。この反応を見るからに月島も女装姿で、更にはその姿を凛々や日向たちに見られたくないのだろう。それを察知するや否や、普段のお返しだと言わんばかりに凛々と日向は携帯電話のカメラを起動させ、教室の扉に手をかけた。
「あっ、ちょっと入るんなら受付通して…! っていうかツッキーに怒られるよ!」
「この機会を逃しちゃツッキーをいじれないじゃん! いざツキ子ちゃんにご対面〜!」
「月島ー!! 遊び来たぞー!!」
勢いよく扉が開かれ、教室内の生徒達が一斉にこちらを見る。
その中に、某アイドル風の衣装を身につけ、ゆるふわウェーブのロングヘアーをなびかせる、やけに身長の高いメガネの女子がいた。名札にはピンク色の可愛らしい文字で『ほたる』と書いてある。女装姿の月島であった。
「きゃーっ、ツッキーかわいいーっ! あ、ツッキーじゃないか、ほたるちゃんか〜!」
「ブッフォ、女の子の格好でもメガネかよ!!」
「あれ月島なのか? 髪長いぞ?」
「そりゃカツラに決まってんだろ! っていうかなんだそのゆるふわ〜な髪型!! ブフォッ」
「ほたるちゃん、私より色白いし肌キレイ…ちょっと敗北感…だけど可愛いからオッケーオッケー!」
好き勝手騒ぐ凛々達の様子に、教室の入り口で山口がハラハラしている。すると、月島が急にすがすがしいほどの笑顔を浮かべ始めた。
「お客様、いったいどちらのどなた様ですか〜? 冷やかしなら帰ってくれません?」
「はぁっ!? なんじゃその言い草!!」
「だって僕、中国人と猫とムンクの知り合いなんていませんし〜」
わざとらしく他人行儀な笑顔を浮かべて氷の視線で見下してくる月島に、凛々と日向がかちんとくる。影山だけが不思議そうな顔で「ムンクってなんだ?」と呟いていたが、誰ひとりそこには触れなかった。
「むっかー! かくなる上は写真撮って後々笑ってやる!」
「あ、撮影は別料金で〜す。1枚5万円からね」
「たっか!!! ツッキーの女装に5万円の価値あんの!?」
「ツッキーじゃないです、ほたるです〜」
「うぎゃー、むかつく!! いいもん、こっちは翔陽の猫耳もふって癒されるもん!!」
「凛々、そこただの髪の毛!」
(もふもふ…いや何考えてんだ俺は、相手はあの日向だぞ…!!)
「君たちほんとうるさいからさっさと帰ってくれない」
あまりの馬鹿さ加減に呆れ果てたのか、すっかりいつもの調子に戻った月島に人知れず山口がほっと息を吐いた。
「信じられん月島のヤツ! フツー客に飲み物注がせるか!?」
「くっそう、ほたるちゃんの写真欲しかった…後で4組の子からもらお」
「腹減った。月島んとこのケーキ小さすぎんだよ」
4組の男女逆転喫茶で軽いお茶をした後、凛々、日向、影山の3人は再び宣伝に努めることにした。ちなみに、3人の接客をしたのは月島で、日向がオレンジジュースを注文するなり、机に紙コップとペットボトルをドンと置いて「うちはセルフサービスなんで〜」と言ってのけた。
「この際だから5組も見てこう! やっちゃん何してんのかな〜」
「あっ、俺知ってる! 谷地さん『スタジオ』やるって言ってた!」
「「スタジオ?」」
凛々と影山が首を捻ると同時に、5組に到着した。そこそこ繁盛しているようで、入り口には行列ができている。3人が教室の中を覗くと、そこには学校とは思えない光景が広がっていた。
「れ、レトロ…!」
「すげー!! 昭和っぽい!!」
「明治じゃねーのか」
「いや、大正じゃない? ってか影山、明治時代なんて言葉知ってたんだね」
「テスト前に菅原さんが教えてくれた」
そこに広がっていたのは、この教室だけ大正時代にタイムスリップしたような『レトロ』な空間だった。温かみのある照明が教室内を照らし、本来白いはずの壁は壁紙を貼ったのか木目調のものになっている。部屋の真ん中には古びたカメラのようなものが置かれ、カメラの先にはこれまたレトロな雰囲気の椅子とスクリーンが設置されている。生徒たちは皆、書生やはいからさんの格好をしていた。
「スタジオって、写真スタジオか!」
「すげー! なんかカッケー!」
「あっ、そうだ影山! お面取って、やっちゃんビックリして心臓止まっちゃう!」
凛々に言われて影山がお面を取るのと同時に、わいわいと騒いでる3人に気づいたらしい仁花が振り向いた。明るい黄色の地に赤い花柄があしらわれた着物、紫色の袴に茶色いブーツ、髪には赤の大きなリボンと、完璧なはいからさんルックだ。凛々がその可憐さに深い感動を覚えていると、仁花も凛々のチャイナ服に気付いて凛々と同じような表情を浮かべた。
「やっちゃん…!」
「りっちゃん…!」
そのまま無言で抱き合う2人に、日向と影山が首をかしげる。2人とも「ヤバいこの子かわいいいいいいいどこの妖精さんですかあああああああ」というようなことしか考えていないのだが。しばらく抱き合っていると、急に仁花の顔色がさぁーっと青くなった。
「あわわわわわわどうしようただでさえ美人さんなのに、中華美人さんになったりっちゃんと抱き合ってるところなんかファンに見られたら…!! 暗殺されるうううううう…」
「いやいや、やっちゃんのが可愛いからね? はいからさんめっちゃ可愛い! 和風美少女!」
「谷地さんすげー、なんか竹刀とかぶん回してそう!」
「服重そうだな」
「はぅあっ!? 日向、猫耳! すごい、フワフワしてる! 時に影山くん、その手に持っているものは…?」
「これっスか?」
影山が外していたお面を再び被る。急に現れたムンクの叫びを見た仁花は、叫び声すらあげずにそのまま後ろ向きに倒れた。
「ぎゃーっ、やっちゃーん! 影山、だから外してって言ったのにー!」
「や、谷地さーん! 影山ボケ、谷地さんが死んじゃったらどうすんだ!」
「日向うるせえボゲェ!! や、谷地さんなんかスンマセン…」
「いえノミの心臓の私が悪いので…ムンクの叫びに食べられるかと思った…」
文化祭はまだまだ続く。
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bkm