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▼ ミス・ヘイヘの過去 異変

「今日はあんまりいいレコードなかったな」


「めぼしい収穫はストーンズぐらいなものだものね」


「フェルナンド爺さんのレコードショップは入荷が遅えのがタマにキズだな」


3人は盗んだレコードの入ったバッグを持ちながら、路地裏にひっそり佇むカフェに入った。カフェの店主は馴染みの3人の顔を見ると、ニカッと笑う。


「よく来たな悪ガキども! 今日のご注文は?」


「モレッティビールを3本!」


「それからトーストサンドを1つ頂くわ」


「あ、俺も食う。ジョルジュは?」


「いらねぇ。こんなシケたカフェのパサついたトーストなんざ食えるか」


「おおそうか。モレッティビールが2本、ローザとエルネストにな」


「冗談だよマスター! 俺も食うよ!」


「最初っから素直になりやがれクソガキ」


店主がビール瓶を3本、カウンターに置いた。各々1本ずつビールを取り、蓋を空けて乾杯する。


「そうだマスター、これかけてくれ」


「お? なんだストーンズか。相変わらず良い趣味してやがる」


店主がレコードプレーヤーに、ジョルジュが渡したレコードを取り付けた。やがてリズムのいいギターの音が流れ始める。





カラン





音楽に混じって扉の開く音がした。3人と店主が同時に扉の方を見る。そこには、如何にも高級そうなブランド物の服を身に纏った、一人の美しい女が立っていた。


「失礼、道に迷ってしまって。メンゼル社の支社はどちらかしら」


「あ、ああ! いま地図を取ってくるよ、ちょっと待っててくれ!」


女の微笑む姿に顔を真っ赤にした店主は、急いで厨房に引っ込む。女の顔を見たジョルジュが、エルネストにそっと耳打ちした。


「美人だな」


「その割には反応が薄いな兄弟。マスターなんざトマトみたいになってるぜ」


「そりゃあな。あの女も美人だけど顔はローザの方が整ってんぜ」


ふいに女が3人の方を向く。ジョルジュとエルネストはスッと目を逸らしたが、反応が遅れたローザは直に正面を向き合ってしまう。すると女が見定めるようにローザの顔を見つめた。


「…何よ、人の顔じろじろと見て。不愉快だわ」


その視線に堪えられず、ローザがぶっきらぼうに言い放つ。ジョルジュはビールを噴き出し、エルネストはクツクツと笑いを押し殺した。


「…あなた、名前は?」


「…ローザだけど、それが何?」


「…いいえ。気になっただけよ。気になった、ね」


女の意味ありげな言い方にローザは眉を寄せるが、息を切らしながら駆け付けた店主の言葉を皮切りに、女から目を逸らした。女は相変わらず、微笑んだままだった。













「クソっ! ジョルジュとエルネストの奴、馬鹿にしやがって!」


その晩、孤児院から抜け出したディエゴは、路地裏に転がる空き瓶を蹴り飛ばした。実は孤児院の誰より苛烈な性格のディエゴは、何かに苛立つとよく孤児院の外に出て物に当たった。空き瓶の割れる音で我に返ったディエゴは、落ち着いたように息を吐いた。


「誰かそこにいるの?」


ふいに後ろから聞こえてきた高い声に、ディエゴの身体が跳ねた。咄嗟に逃げ出そうとするも、すでに声の主はディエゴの真後ろにいる。恐る恐る振り向くと、そこには暗闇の中にいてなお美しい、一人の女が立っていた。女を見た瞬間、ディエゴは見惚れて顔を赤く染めた。


「…あ…。お、俺…」


「怖がらないで。怪しい者じゃないわ。…あなた、こんな時間に何してるの? お家は?」


「あ、も、もう、帰らなきゃ…」


ディエゴが急いで女の脇を通ろうとする。しかし、ディエゴの細い腕を女が掴んだ為、ディエゴは女に引っ張られるようにして止まった。


「お家はどこ? 送ってあげるわ」


「え…、いや、大丈夫です!だから、あの…」


「こんな遅い時間に子供が一人で歩くのは危険だわ。あなたのお家はどこ?」


「…せ、聖アガフィヤ孤児院」


「…そう」


女がディエゴの手を引いて、如何にも高級そうな車に乗り込んだ。女が運転手に行き先を告げると、車が発進した。


「あなたのお名前は?」


「デ、ディエゴ。ディエゴ・バルバード」


「そう。いい名前ね」


「…あ、あなたの名前は?」












「イディナ・メンゼルよ」











車が去った後、ディエゴがいた路地裏のすぐ隣のビルの裏口で麻薬取引が行われていたのが判明したのは、その3週間後であった。


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