「やあメル。」
「こんにちは、ラスさん。」
パーティー会場で自分の常連客のラスと会ったメルは、早々にソロモン達から離れた。正直、ソロモンの思惑がわからない。いや、思惑などないのかもしれないが、何故自分をパーティーに参加させたのか。どちらにせよ、得体の知れないものには近付かないのが一番だ。
「珍しいな。メルがこんな所に来るなんて。」
「いや、まあ、色々ありまして・・・。」
「まあいい。ちょうどメルに依頼しようかと思っていた事件があるんだ。後でゆっくり話そう。」
「はい。」
ラスはウェイターが運んできたシャンパンをメルに手渡し、離れたテーブルにいるバッツドルフに挨拶に行った。一人取り残されたメルはシャンパンを一口飲み、皿にオードブルを盛る。山盛りになった皿を手に座れる場所を探していると、シャンパンを持った右腕を誰かに引かれた。ソロモンだ。
「外に出ないかい?ちょうど、二人分のテラス席が空いている。」
「・・・はぁ。」
ソロモンに手を引かれてメルはテラスに出た。自分より頭一つ分高いソロモンの表情を伺う。薄く微笑むソロモンからは、何の感情も感じられない。メルは僅かに身体を強張らせて、テラスの冷たい椅子に座った。
「・・・何でしょう?」
「なに。探偵殿のお手並み拝見でもしようかと思ってね。」
「先程ではご満足できませんでしたか。」
「いいや?ただ、君が与えられた謎に対し、どんな推理をするのかが気になるんだよ。」
「・・・それでは、どんな謎を?」
メルの知的好奇心がざわついた。『謎』に対し、どうしようもない期待感が高まる。そんなメルの様子を見て、ソロモンは目を細めて笑った。上質の香りがする紅茶を一口飲み、メルに向き直る。
「簡単だよ。私が持っていたエラリー・クイーンの本があったろう。あの中で、私が一番気に入っている本は何か、当ててみてくれ。」
ソロモンはテーブルの上に5冊の本を置く。メルはその本を手にとって見てみる。自分がホテルで見た本と同じことを確認すると、懐から紙とペンを出した。
「答えを当てても直前で違うと言われればそれまでですから、その紙に答えを書いておいてください。私はあちらを向いていますので。」
そう言ってメルは後ろを向いた。ソロモンは疑い深いな、と笑いつつ、流れるような手つきで紙にペンを走らせる。その紙を畳んで自分の手の下に隠した後、メルにどうぞと促す。
「ありがとうございます。」
メルは本を手に取ってパラパラとページをめくる。5冊とも同じようにページをめくると、5冊のうち1冊の本を手に取る。
「この『オランダ靴の謎』です。」
「・・・何故だい?」
「この本だけ強い紅茶の香りがします。あなたはどうやらよく紅茶を飲むようですし、この渋みの強い香りは、そこにある紅茶の香りと一致します。つい先程まで、読んでいらしたんじゃないですか?」
「・・・続きが気になって読んだのかもしれないよ。エラリー・クイーンはシリーズものだからね。さっさと全ての作品が読みたくなるんだ。」
「それにしてはホテルで読んでいらした『シャム双生児の秘密』の栞の位置が変わっていませんが。それに、他の本からはホテルで飲んだジョルジの香りはしても、そこの紅茶の香りはしません。」
「ヌワラエリヤ、と言うんだ。渋みのある、味わい深い紅茶だよ。」
「そうですか。それに、あなたの爪の先に付いたインク、指に付いたインクは拭き取ったようですけど、爪の先までは気がいかなかったようですね。」
ソロモンはゆっくり目線だけで自分の指先を見る。確かに、爪の先に薄く、黒いインクが付いていた。
「・・・なるほどね。」
「はい。あと・・・。」
「あと?」
「この中だったら、私は『オランダ靴の謎』が一番好きなので。」
ソロモンは一瞬意表をつかれたように固まっていたが、やがて腹を抱えて大笑いした。メルはソロモンが笑い転げてる隙にソロモンの手の下の紙を奪う。開いて見てみると、『the dutch shoe mystery』と書かれている。
「はははははっ、参った!これは両手を上げるしかないな!はははははっ・・・。」
ソロモンは紅茶を飲み干し一息吐く。笑いすぎて涙ぐんだ瞳がメルをじっくり見遣る。しばらくしてから、メルが持っていた紙を奪い返し、白紙の部分にペンを走らせた。書き足した部分が見えないよう畳み、メルに渡した。
「また今度、二人で食事でも行こうじゃないか。もちろん私が奢ろう。」
呆気にとられているメルをよそに、ソロモンは会場内へ穏やかに去って行った。メルは恐る恐る紙を開く。そこに書いてあったのは、ソロモンの居住地と思われる住所だった。
情報屋ソロモンへの依頼は必ずソロモンの住む屋敷で行われる。その屋敷の場所を知るのは、ソロモンが『友人』と認めた者だけ。
「・・・気に入られたのかな。」
情報屋ソロモンの友人になれたということは、普通のマフィアならば万歳三唱して喜ぶことだ。しかし、メルには特に喜びもなければ悲しみもないので、とりあえず目の前のオードブルを平らげることにした。
その後、ソロモンから正式に『友人』としての歓迎を受け、メルは「友人なら敬語を使う必要はない。これからはタメ口きくから。」と宣言し、またソロモンの爆笑を買ったのだが、それはまた、別の話である。