log | ナノ
海知らず




まるで霧のような雨が海を覆っていた。二、三人乗るのが限界な小さな船では雨を凌いでくれるものなどあるはずもなく、ルフィと共に真っ暗な空を見上げる。大降りでないことが幸いし、波はそれほど立っていない。こんな船では、嵐が来たらすぐにでも転覆してしまうだろう。その上、目の前には永遠にかなづちを約束された人間がいる。さすがに時化た海の中、人一人抱えて泳ぐことはゾロにも厳しい。うっとうしい雨に目を眇めると、空を見上げていたルフィがゾロに顔を向けた。霧雨といえど、長い間雨に打たれているせいで、ルフィの黒い髪からは水滴が滴っている。ところどころほつれ薄汚れた麦わら帽子も、どこか重たげだった。ゾロは濡れた腕で、忌々しげに顔を拭う。

「ゾロは雨嫌いなのか」
「まァ、好きではねェな」
自分から問いかけた割にゾロの答えに反応することもなく、ルフィはまた空へ顔を戻した。それから両手を枕にして、船縁に背中を預ける。危なっかしいその体勢に、ゾロは知らず眉を寄せた。海に落ちたら自力で上がってこれることはないと、分かっているのだろうか。これからどこへ向かうかも明確に決めることをしない船長は、一人楽しげに足を揺らしている。ゾロは顔をしかめ、雨を遮るように瞼を閉じた。波が打ち寄せる音だけが二人を纏う。ふと思い返してみれば、今は梅雨の時期だということに気がついた。よく分からないまま始まったゾロの海賊稼業は、しばらくこうして雨に見舞われるのかもしれない。

「なんかよ、雨の中にいると泳いでる気分になるだろ」
存外、至近距離から聞こえてきたルフィの声に瞼を上げれば、目の前にルフィの顔があった。さすがに驚き、思わず仰け反る。ルフィは身を乗り出したまま、ゾロの顔を覗き込んでにっと笑った。嵐にでもなんねェかなーと、とんでもないことを言ってのけるルフィに呆れ、ゾロは深々とため息を吐く。ルフィが悪魔の実を食べたのはガキの頃だと言っていた。それ以前に泳いだことはないのだろうかと疑問を持つ。きっと、これからも青に包まれた世界や、全身を纏う心地好い水の感触を知らずにいるのかと思えば、同情さえ感じられた。それこそが、悪魔の実を食べることへの代償なのだろう。その代わりに能力を手に入れるなど、ゾロには到底理解できなかった。間違って食べてしまったとして、その力を持て余してしまう人間が多いのだと聞いたことがある。ゴムだなんてふざけた能力だが、ルフィの強さは海軍基地で目の当たりにしたばかりだった。努力なくして悪魔の実の能力を使いこなすことは、きっと不可能に近いのだろう。ルフィに本当の海の感覚を味わわせてやりたいと思うが、それも無理な話だ。

「縁起でもねェこと言うな。嵐が来たらちっぽけな海賊船ごとおれたちも沈むぞ」
「ちっぽけでも今に大きくなるぞ! そうだ、次の仲間は船大工にしよう」
「アホかてめェ! 海にでも投げ出されてみろ、お前はどうなる」
「おお、はぐれてもおれが絶対ゾロを迎えに行くぞ」
ゾロは額を覆うと、話にならねェと息をついた。お前かなづちなんだろうがとため息まじりに告げたゾロに対し、ルフィはそうだったとあっけらかんと笑ってみせた。こんなやつと海に出たのが間違いだったと頭が痛くなる。何もかも、型に当てはまらない野郎だと、呆れて物も言えない。出会いからして、嵐のようなやつだった。今更後悔しても仕方がないと、ゾロは風に吹かれルフィの頭から離れていった麦わら帽子に手を伸ばす。波が打ち寄せ、船が大きく傾ぐ。手にした麦わら帽子は水を含んでおり、随分重く感じた。

「まァ、せいぜい見つけ出してくれよ。キャプテン」
「にしし、おう。ありがとな、ゾロ!」
ルフィの頭に麦わら帽子を被せてやると、ゾロは口端を上げた。この男に着いていくと、最終的に決めたのは自分自身だ。例えあの状況でも、他の相手ならバカバカしいと一蹴してみせる。ルフィの誘いに対して下した決断は、きっと間違っていない。柄にもなく、二人でいれば叶わないものなどないと思った。不思議な男だと、また船縁に身体を預けたルフィを眺め、ゾロはもう一度瞼を閉じた。



船に戻ろうとしたはずが、気づけば森の中にいた。それもこれも雨が降り出したせいで、目印にしていた鳥がいなくなってしまったからだ。水を吸って重みを増した服がうっとうしい。鳥は飛び立つものだということにはまるで思い至らず、当てもなく森の中を彷徨い歩いた。腹が減った。船を降りてから、そろそろ半日は経つだろう。日の高さで今の時間を量ることは不可能だったが、ゾロの空腹の度合いがそれを証明していた。雨の中、無駄だとは分かっていたが、着流しの裾を捲り上げると両手で絞る。足元に大量の水が流れ落ちた瞬間、ゾロを呼ぶルフィの声が聞こえた。振り返ると、傘を差したルフィが駆け寄ってくるのが見える。

「お前が傘差してるなんて珍しいな、ルフィ」
「ゾロ雨嫌いだろ? だから濡れねェように持ってきた」
「もう手遅れだけどな」
ルフィは戻らないゾロを心配して探してくれていたようだ。一緒に迷子になるからという理由で、いつもゾロを迎えに来るのは大抵他の仲間だった。だから、ルフィが来たことに少し驚いた。ルフィはゾロの頭上に傘を差し出すと、初めて会ったときからまるで変わらない笑顔を浮かべる。

「ちゃんと、見つけ出したぞ」
最初、ルフィの言葉の意味を理解できなかった。共に歩き出してから、やっとあのときのやりとりを思い出す。興味のないことはすぐに忘れてしまうルフィが、あんな些細なやりとりを覚えていただなんて信じられなかった。それに、いつも嬉々として雨に打たれるルフィが傘を差してくるなど、普段では考えられない。きっと、他の仲間も驚いたことだろう。ゾロはすぐ迷子になるからなあ、そう言いながらルフィは楽しそうに真っ赤な傘を回した。迷子になった覚えは一度もないが、いつか道に迷ったときには、きっとルフィが迎えに来てくれるのだろう。ゾロは雨に濡れた顔を拭いながら、確信を持ってそう感じた。

(201306 拍手文)


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -