まず、くしゃみが出た。医者にかかったわけではないが勝手にハウスダストということにして後藤は気付かないふりをした。
次に、咳が出るようになった。この辺りで他の職員から心配されはじめたが、「空気が乾燥してるからなあ」と加湿器のスイッチを入れ、がむしゃらに働いた。
一応風邪薬は飲んでいたが、忙しい時期でほとんど休めない状態で治るわけもなく。
とうとう本日、後藤は風邪に完全敗北したのだ。

「……すみません、ありがとう」

水分のほとんどない掠れた声でそう言って受話器を置く。心配そうな同僚の声にますます情けなくなった。
体はだるいし頭は痛いし、喉はおかしいし鼻水は出るし、びりびりと皮膚が痛みを訴えてくる。明らかな風邪の症状に後藤は額を押さえた。
(熱高いな、昔は多少無理しても大丈夫だったのになあ)
歳かなと思うとさらに増す体の怠さ。その後一緒に弱気がやってきた。咳がおさまると静まりかえる、自分以外の生活音がない部屋。
だから余計に、一人の寂しさや、風邪の辛さが増幅される。
せめて誰かいてくれたら。再び咳込みながら息苦しさに涙を浮かべた後藤は苦笑いした。

「……よりによって、こんな時に一番頼りにならなさそうな奴の顔が思い浮かぶなんてな」

そう呟いて、からからになった喉を潤してから後藤はもう一度目を閉じる。
(……ついてない)
それでも、せめて隣にと願うのは、一人。

気付けば小憎らしいタレ目が、夢の中で後藤を見つめていた。
達海、と呟くけれども声が出ない。
おかしいなと思い何度か声を出そうとすると、達海はため息をついた。

「……無理すんなって、わかってるから」

妙にクリアな音声に、後藤の頭が少しはっきりする。
目だけ動かして状況を確認すると、夢ではなく本物の達海がベッドの横にしゃがみこんで後藤を見つめていた。

「あーあ、弱っちゃって。無理してるからだぜー?人のこと言えないけどさあ」
「達海、どうしてここに」

ぺらぺらと喋る達海の手を引いて掠れた声を出すと、達海は「有里に頼まれた」と言う。
(そりゃそうだ)
わかってはいたが少し残念に思っていると、「それと」と付け加えて達海が笑った。

「弱ってる後藤の顔、見ときたかったからさ。……あ、そうだ、ちょっと失礼」

有里から持たされたんだ、と言いながら達海が冷えピタを取り出す。そして、汗で湿った後藤の前髪をそっとかきあげ、額にそれを貼った。
ひやりとした感覚に、ふ、と呼吸が楽になると、達海が満足そうな顔をする。

「達海、手冷たい」
「お前はあっちーな、……ん。気持ちいいだろ」

そう言って、達海が手の平や甲を後藤の頬に押し付けてきた。
(優しい)
それが予想以上に気持ちよく、後藤は少し痛む目を閉じる。

「ごとー……寝た?」
「寝てない」

ぬるくなった手を離し、達海が小声で後藤に話しかける。
その声に反応してうすく目を開けると、達海が後藤の額に触れた。

「まだ熱いなあ……そんでさ、俺帰った方がいい?」
「それは……」

ずき、と胸が痛くなり、後藤は口をつぐんだ。
GMとして、監督である達海をこんなウイルスだらけのところに居させてはならない。
(わかってる)
そうわかってはいるのに。
ゆっくりと髪を撫でてくれる達海の手を握ると、「ん?」と言って達海が後藤を覗き込んだ。
一度、そばにいるあたたかさを知ってしまえば、それが失われるのが怖くて仕方なくなる。
特にこんな、身体が弱っている時は。

「ごめん、達海。そばにいて」

もう掠れてほとんど声にはならなかったけど、達海には届いたようで、達海はこつんと後藤の額に額をくっつける。

「いーよ、俺馬鹿だから風邪ひかねーし。できることは少ないけどさ」

一緒にいてやるから。
そんな達海の言葉にふいに後藤が涙ぐむと、それを馬鹿にするでもなく、やはり達海は穏やかに笑っていた。

「……達海が優しいと、不安だ…」

あまりにらしくない達海がおかしくなって後藤が少し笑うと、ニヒ、と達海も笑い声を上げる。

「そりゃもちろんただとは言わないよー?とりあえず治ったら飯奢れよな」
「……わかったよ」

繋いだままの手をぽんと軽く叩いてから、達海が後藤の手を両手で挟んだ。
この部屋は寒いのだろうか。
少ししか経っていないのに達海の手はまたひやりとしている。
しかし、逆に心配そうな目で達海を見つめると、達海はおかしそうに笑った。

「俺は大丈夫だって。それより、はやくよくなれよ、後藤。後藤がずっと元気ないと、それこそ俺の体調までおかしくなりそうだ」

照れ臭そうに笑った達海が冗談じゃないほどに愛しく思え、ぼんやりとした頭のまま後藤は繋いだ手になんとか力を入れる。

「ん?なに、ゴトー」

首をかしげる達海に、思い余って後藤は唇を動かした。

この風邪が治ったら結婚しよう。

弱った心と頭で、だけど至極真面目にそう呟くと、達海がぶは、と吹き出して笑う。

「真剣なのに…」
「ははは、目ェ据わってるよ。あー、ほんとに疲れてたのな、……がっつり寝て、はやく元気になれよ、ゴトー」

繋いだ手を撫でたり指を絡めたりしながら、ベッドにもう片方の手で頬杖をつく達海。
あまり見ない、とても優しい目に見つめられながら、後藤は素直に「ありがとう」と唇を動かした。




数日後、まだ風邪をひいているような赤い顔で、達海にからかわれている後藤の姿があった。

「風邪ごときで死にそうな顔しちゃってさー、あんなに笑えるプロポーズないよ、後藤」
「……覚えてない。なにやってんだ俺…恥ずかしい」
「まあ40度近く熱あったからね、ぼんやりしてたんだろ、……で」

内緒話をするように口元を手で覆った達海が、にっと笑う。

「正式なプロポーズはまだ?」

からかっている口調ではあるけど、期待したような達海の目。
くすぐったい雰囲気に、くっと笑ってから後藤は、「指輪買ってからな」と囁いた。




end

つばささんありがとうございました!

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