No.XX
▽本編のIF もしも勇作さんと会っていたら
「兄様!」
百之助をそう呼ぶのは最愛の妹と、腹違いの弟しかいなかった。この弟は「規律が緩みますから」と百之助が何度注意しても部下の百之助を「兄様」と呼ぶので、百之助は少々うんざりしていた。
「その呼び方はおやめくださいと言いましたよね?あなたは少尉なのですから部下である私をそうお呼びしないでくださいと」
「す、すみません…やはり兄というのものが嬉しくて…」
そう、それに敬語もやめなかった。少尉に敬語を使われるのは如何なものか、周りの評判も良くなかった。百之助はため息をつき、勇作の用を聞いた。
「あの、父上にお聞きしたのですが…兄様には妹様がいらっしゃるのですよね?」
あの父親、余計なことをベラベラと。百之助は心の中で悪態をついた。
「ええ、まあいますが……それが?」
「私、兄弟だけでなく女兄弟にも憧れておりまして……一度お会いしてみたいのですが、姉様は現在どこにお住まいでしょうか?」
百之助の無言の「だからなんだ」攻撃に気づくことのない勇作は、嬉々としてまだ見ぬ姉を思い頬を赤らめた。百之助早速名前のことを"姉様"と呼ぶ勇作にため息をつきたくなった。
勇作はどこまでも高潔な人物だった。
名前に勇作のことを話すと、彼女もまたまだ見ぬ弟のことがひどく気になるようでまだ名も教えていない弟にとても心を躍らせていた。
『お名前は?……勇作さんとおっしゃるのね!まさか弟に会える日が来るなんて…』
昔、名前に一度だけ父やその子供について聞いたことがある。母の葬式にも来なかった父のことを、名前は当然好いてはいなかった。しかしその子のことは、
『半分しか血が繋がっていなくても兄弟は兄弟だと思います。たとえお父様がどんな方でも子に罪はありません。本妻の子と妾の子ですからおそらく一生会うことはないと思いますが…自分に兄だけでなく弟もいるというのは少し不思議ですね』
好いていない父のことを未だに「お父様」と呼び続ける名前の能天気さというか人の良さというか。そんな名前のことも百之助は思い出していた。
百之助は名前に弟のことを話したことを少し後悔しながら、弟に会う日を今か今かと待つ名前から楽しみを奪うことはできなかった。
「初めまして。私、第七師団の花沢勇作少尉であります」
『はっ初めまして……尾形名前…です』
三人が集まったのはとある茶屋。名前と百之助が隣合って座り、その向かい側に勇作が座っている。名前と百之助と勇作、三人とも全く顔は似ていないため、パッと見では三人の血が繋がっていることはわからないだろう。
「まさか姉様にお会いできるとは……とても嬉しいです!」
『あ、姉様だなんて…私も…、嬉しいです』
勇作は屈託のない笑顔を名前に向けた。その笑顔を受けた名前は照れながらも笑顔を返した。
『えっと………あの、ご趣味は?』
「見合いかよ」
百之助はそう突っ込まずにはいられなかった。名前は勇作に何を話しかければ良いかわからず、思わず変なことを口走ってしまったのだ。
『あっえっそ、そうですよね…すみません、いきなり変なこと聞いてしまって……花沢さんは立派な軍人さんなのに』
「お気になさらずに。あと花沢さんだなんて他人行儀な呼び方でなく、ぜひ勇作とお呼びください」
『そ、そんな…花沢さんは少尉殿ですし…その…………………うっ…ゆ、勇作さん……』
「はい!」
勇作が目をキラキラさせながらこちらを見つめて来るので、名前は折れるしかなかった。兄から"何度注意しても兄様と呼んでくる"と聞いていたが、その通り彼は存外押しも我も強いようだ。
それが面白くないのは二人の兄、百之助である。名前にとって今まで近しくて親しい身内は自分しかいなかったのに、急に出てきた弟が馴れ馴れしく妹に接するのをどうすれば暖かく見守ることができようか。ムッとして今にもこの二人の間に割り込んでやろうかという時、二人が同時に百之助の方を向いた。
「兄様、この度は姉様とお会いする機会をいただきありがとうございます!」
『兄様、私からもありがとうございます。勇作さんとお会いすることが出来てとても嬉しいです!このような機会を与えてくれた兄様はやはり私の素敵な兄様です…!』
弟と妹は兄に向かって輝く笑顔と瞳を向けた。キラキラとした視線を受けた百之助はウッと少し仰け反りながらも、坊主の頭をぽりぽり掻いた。百之助に名前の期待を裏切ることはできない。
なんやかんや百之助は名前にとっては"良い兄"なのだ。
終劇