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No.05


「名前、バアちゃん家に帰るか?」

 兄はいつも突然だ。名前に相談などしてくれず、全部自分で決めてしまう。

『…どうしてそんなことを聞くんですか…?北海道にお誘いしてくれたのは…、兄様じゃないですか』
「……状況が変わったんだ」

 名前には"状況"とは何のことだかわからないが、軍についてのことだろうという予想くらいはつく。ならばもしかして兄様は私を守るためにこのような提案をしてるのか?名前は考える。

「………花沢中将が自刃した」
『は、花沢って……!』
「ああ、俺たちの父上だ」

 名前は思わず大声を出してしまい、慌てて口元を手で覆った。一度も見たことがない父、名しか知らない父が自刃とは。名前の中に悲しみという感情は湧かなかった。ただただ驚くばかりだ。

「詳しくは話せない。だが第七師団は残された花沢中将の息子である俺を担ぎ上げるだろう」

 その時、名前は初めて軍の中で百之助が花沢中将の妾の子であるということが知れ渡っていることを知った。本妻との子である弟が軽率に『兄様』と呼ぶのだから、百之助が色々有る事無い事噂されたことは想像に難いことなのに、何故か名前は今の今まで気がつかなかった。兄はどんな気持ちだったのだろうか。名前は思慮の足りない自分をとても恥じた。弟と比べてしまったあの日の自分を。

「俺の周りも騒がしくなる。ここを離れた方がお前にとってはいいだろう」

 女である名前には軍のことなど全くわからず、また軍も名前のことよりも百之助の方を重宝することだろう。だが仮にも花沢中将と血の繋がりがある名前が、何かに巻き込まれないと断言することは誰にもできなかった。

「……それに、最近は見合い相手とも積極的に会っていると聞いた」

 名前は勢いよく顔を上げた。誰から聞いたのだろうか、祖母か親戚の女将か。

「名前なら茨城でも十分嫁の貰い手がある。だから、選べ」

 兄の鋭い眼光に捕まった。

『…選ぶって……?』
「ジイちゃんバアちゃんのいる茨城に戻ってよそへ嫁に行く。その場合は俺とはもう会うことはないだろう」

 名前の目元がくしゃりと歪んだ。それが今にも涙が出そうな証拠だと兄は知っていた。

「北海道に残るなら……これから何が起こるかわからないし、お前にも危険が及ぶかもしれない。それに今まで通り俺ともそうは会えない」

 出された二択に名前はグッと押し黙る。どちらにしろ兄に会えなくなるかもしれない二択なんて、名前はどちらも選ぶことはできない。

『……私が勧められたお見合い相手の方とよくお会いするようになっていたのは…そうすると兄様が安心してくださるかなって………いつまでも兄様にべったりで手のかかる妹じゃなくて、兄様にとって"良い妹"になれるかもって……そう思ったからなんです』

 名前の告白に百之助はわずかに目を見開いた。

『ねえ兄様……私にとって一番は兄様のことなんです……兄様にとってお見合いをして嫁に行く妹は、"良い妹"ですか…?』

 今にも泣き出しそうな名前から百之助が目を離すことなはい。しっかりとお互いがお互いを見る。

「…その方が"良い妹"と言ったら…お前は嫁に行くのか?茨城にも戻るのか?」

 頷いてそのまま俯く名前は小さなつむじを百之助に向けた。昔からずっと一緒だった。茨城に来た時も、母が亡くなった時も、北海道に移った時も、今も。

「……俺にとっての幸せは、俺の側に名前がいることだと言ったらお前はずっと俺の側にいてくれるか」

 名前が伏せていた顔を上げる。その勢いで溜まっていた涙が瞳から一つ溢れた。

「茨城に戻して嫁にやった方が、名前にとって安全なのはわかっている。それでもお前にはどこにもいかず、ここにいてほしい」

 そう思う俺はお前にとって"良い兄"ではないかもしれない。百之助の言葉に名前は出てくる嗚咽を我慢しながらただ首を横に振っていた。たまらなくなった名前は百之助の懐に飛び込んだ。兄はそんな妹を受け止め、ぎゅっと強く抱きしめてくれた。百之助の軍服の胸元が名前の涙でじんわり濡れていった。百之助は妹の頭をそっと撫でた。

「…泣き虫め」

 兄の声色はとても優しかった。

『…っ私にとって兄様は……いつも、いつまでも…私にお優しくてかっこいい素敵な兄様です……っ!』

 名前は不幸ではなかった。名前は自分を哀れだと思わなかった。だってこんなにも"良い兄"がいるのだから。

 名前は幸せだった。












 百之助は幸せだった。

 名前にとって自分は"良い兄"ではないだろう。自分が見せたくないものから目を反らせ、甘いものだけ与える兄なんて。だがそうすれば名前はずっと自分の側にいてくれることを百之助は知っていた。

 百之助は名前を少し哀れに思った。こんなにも歪んだ自分に好かれてしまったことに。だがそれも気づかれなければ良い話だ。きっとこれからも名前が兄を疑うことはないだろう。

 百之助は自分を少し不幸に思った。この世で一番愛し、愛してほしいと思っている名前が妹だったからだ。だが妹だったからこうして小さい頃から今までずっと一緒に過ごすことができ、無条件で信用を得ることができた。名前があんなに断り続けていた見合い相手と会うようになったと聞いたときは少し焦ったが、見合い相手と兄だったら自分の方を優先するだろうという自信はあった。だからきっとああ言えば名前は自分を選ぶと、百之助は確信していた。

「(ああ、早く名前も俺を愛してくれ)」


 兄妹は不幸ではなかった。





終幕