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No.04


 その日、名前は朝からとてもわくわくしていた。それもそのはず、上等兵となった兄が休みの日に自分と会ってくれるというのだから。持っている着物で一等上等な物で着飾り、お世話になっている茶屋の女将に出発の挨拶をすると、わくわくを隠しきれない顔で家を飛び出した。

『兄様!』

 百之助は先に来ていた。名前は兄を見つけると、走り出して急いで兄の元へ向かった。

『お待たせしてしまいすみません…』
「いや待っていない。それよりも危ないからそう走るなといつも言っているだろう」

 いつもの優しい兄だ、名前は嬉しくなって叱られているにも関わらず頬が緩んでしまった。

『兄様、あそこに新しくできた蕎麦屋があるんです。いかがですか?』
「そうか、なら行ってみよう」

 兄妹は並んで蕎麦屋を目指す。最近めっきり兄に会うことができていなかった名前は、しっかり兄の姿を目に焼き付けようと小さい頃よりだいぶ高くなった兄の顔を見上げた。左右対称に切りそろえられら髭は男らしくて素敵だし、体つきもがっしりしてる。やはり兄様は幾つになっても素敵な兄様だ。名前は嬉しくなってにやけながら兄の顔を見上げていた。

 蕎麦屋に入り、店主お勧めだというニシン蕎麦を揃って頼んだ。食べながら話は兄のことになった。

『兄様、第七師団はいかがですか?皆様すごく優秀な方々だとお聞きしております。そんなところに所属なさるなんて兄様は流石です』
「おだてても何も出ないぞ」

 百之助はニシンにかぶりついた。名前は心外だとでも言いたげな顔をした。

『全部本当のことです!そんな中で上等兵になられた兄様は私の自慢ですから!』

 まるで自分のことかのように胸を張る名前に、百之助は苦笑して名前の口元についたニシンのカスを取ってやった。名前は顔を赤らめて恥ずかしがった。

「そうか、軍のことか………そういえば弟に会った」

 突然いつもと変わらぬ声色でありえないようなことを話し始めた百之助。名前は驚いて箸で掴んでいた蕎麦を落とした。

『え……今なんと………弟……?』
「ああ、俺たちの弟だ。と言っても腹違いの弟だがな」

 そう言って蕎麦を啜る兄を、妹は大層なものを見るような目で見るもんで兄は少し笑った。

「なんだ、驚いたか?」
『あっ当たり前ですっ!突然なんのことでもないようにお話しするから…っ!』
「あの父と本妻から生まれたのだから当然陸軍に入っていると思っていたが、同じ隊にいるとは俺も思わなかった」

 汁を飲み始めた百之助に名前もハッとし、残りの蕎麦を慌てて食べ始めた。

「階級は少尉、俺より上だった。なのに部下の俺を『兄様』と呼んで来る」

 自分と同じ呼び方に名前はなぜか少しドキリとした。そんな名前に気づかない百之助は話を続ける。

「『規律が緩みますから』と何度注意しても『ひとりっ子育ちでずっと兄弟が欲しかった』と俺にまとわりついてきたよ」

 フッと笑う兄に、名前は言い知れぬ不安を覚えた。同じ北海道にいれど滅多に会えない妹と、同じ隊に所属して『兄様』と呼び慕う高潔で立派な弟。なぜか自分とまだ見ぬ弟を比べてしまったのだ。

『………私、兄様とお呼びするのやめた方がいいかしら』
「なんだ、急に」
『ほら、以前から兄様と呼ぶなとおっしゃっていたし…それに……その…弟さんとも呼び方が被ってしまうわ』

 呼び方が被るからなんだと言われてしまえばそれまでなのだが、名前にとってこんな些細な呼び方一つが、なぜか今は何よりも大切なことに思えたのだ。

『……あ、ああ!そういえば私もいつかその弟さんにお会いできたりするのかしら?でもやっぱり階級が上の方なら難し、』
「名前」

「その呼び方は、お前だけのものだ」

 兄がニヤリと笑った。名前は足元の方からゾワリという名前が味わったことない謎の感覚が全身を伝った。

『は、はい…兄様』

 兄は目を細めて満足げに笑った。名前もそんな兄を見て笑った。名前は不幸ではなかった。






 それから兄が出撃した二〇三高地で、弟が死んだと聞かされた。結局名前は彼の顔どころか名前さえも知らないままだった。

 名前は祖母からだけでなく、お世話になっている親戚の女将からまでお見合いを勧められるようになった。今までどれもすぐ断って来たが、あの日…蕎麦屋で弟のことを聞いて以来、すぐに断ることはなく一度や二度は相手と会うようになっていた。しかしそれは急に結婚したいという願望が湧いたわけではない。

 ただ無性に、兄にとって"良い妹"でいたかっただけだった。