の孤児
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顔も声も知らない人の背中を借りながら、偶然の産物を生み出し続けるこの電車の中で
私は今、どんな顔をしているのだろうか。
息苦しく、缶詰のようなこの中で、私はいったい何を思うのだろう。

電車の窓からちらりと見えた私の顔は、目のしたに大きくできたくまと
死んだ魚のような目がいやに大きくギョロついていた。
しかし、所詮、私が見ているのは鏡の世界であって、現実世界の私ではない。

でも、想像だけはできた。
きっと、現実の私はもっと醜いのだろう。
温もりに飢えた野良犬のような、貪欲な目をしているのだろう。
ギラリと不気味にひかるその瞳には、孤独しかない、冷たい色をして…
そして、私は誰よりもつまらない色をした人間になっていくのだ。


いつだったか。
そう昔でもなくて、でも本当はもう何年も前のよう気もする。
そんな曖昧な記憶の中に、埋れた言葉を思い出した。


「宝子。人はね、価値のある人なんていないのよ」
「本当は誰も、きっと神様と呼ばれる人だって、無価値なものなんだわ。」


ねぇ、宝子。

そう優しく、どこか冷え冷えとした笑みを浮かべた女性が
5歳にもならない私を宥めるように、そう言うのだ。
豊かな黒髪が潮風に揺られ、海のよう広く、穏やかなその女性は
壊れ物を扱うかのように、丁寧に私の小さな頭を撫でながら。
存在を確かめるように、私に話しかけながら。
意味のわからない私は、ただ無邪気に笑っていたけれど
今ならその女性の言葉がわかる気もする。


しかし、わからないことのほうが多い。
それが世の常というやつなのだろう

女性はいったい誰なのか。
どうして、悲しげに笑っているのか。
夢の中で出会うたび、そして、こうした一瞬に思い出すたび
私の目頭が熱くなり、喉がぎゅっと締まるのだ。
口の中がパサパサになって
体の中の水分という水分が、全て目頭へもっていかれたような
そんな錯覚に陥る。

いや、もしかしたら本当にそんなことが起きているのかもしれない。
なぜ、そうなってしまうかも

今の私にはまだ、わからない。




「宝子!」

隣からかけられた言葉に、私は無理矢理、現実へとひきずりだされた。
閉じていた瞼をあけ、その姿を確認すれば
やはりそれは「友人」と呼ばれる人物だった。
まんまると豚のよう太った彼女の額には
いくつかの汗が浮かび、少し息も荒い。
きっとまた、遅刻をしそうになって慌てて電車に乗ったのだろう。
私は気だるげに、マフラーで半分以上隠れていた顔を出し
小さくおはよう、と言った。

「暑くないの?そんな格好して!まるで、豚みたいよ!!」
「…朝、冷え込んでたから」
「カレー美味しいよね!」

相変わらず脈絡のない彼女との会話に

『貴方の方が醜く肥えた豚のようだわ』

とも言えず、私はため息と共にその言葉を飲み込んだ。
彼女と話すとたいてい、私はいくつもの言葉をこうして浪費しながら生きている。
それは支離滅裂な主語も述語もないような
そんな言葉をつらつらと紡ぎだす彼女に
私は心底疲れてしまっていたせいなのかもしれない。
どんな素敵に満ちてキラキラと輝く童話も、彼女の手にかかれば
陳腐な言葉で塗り固められた
生臭い話に変わってしまうのだから、不思議である。
人間という生き物は、こんな汚い話を平然と
髪の毛1本分の羞恥心というものもなく、話せるのだろうか。
…もしかしたら、そんなことを考えている人など

もう

どこにもいないのかもしれない。


私は顔をマフラーの中にうずめながら、目だけをギョロギョロと動かす。
この車両の中に、ほんの少しでも、自分の言葉どれだけ滑稽であるか
そう考える人がいるだろうか。

肌の艶が消え失せ、操り人形のような男性の体を前に押し返しながら
期待もしていないようなことを思う。
例えいたところで、私はどうすることもできない。
それは百も承知であったが、彼女の話をまともに聞くよりも
無意味なことを考えて、時間を無駄に浪費することの方が
よっぽどましであった。




「宝子!ここ、降りる駅!!」
「…うん」

朝はまだ始まったばかりだが
私は今日一日がなんの変化もない、平凡なものだと、知っていた。



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121129



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