「……家、入んねえの?」 黒尾君の声が聞こえる。きっと動かない私を見て訝しげな表情を浮かべていることだろう。 黒尾君の声に、反応しなくちゃ。……反応しなくちゃ、いけないのに。身体が動かない──違う、動こうとしない。 分かってる。こんなこと無意味なんだってこと。この一瞬をいくら引きのばそうとしたって、虚しくなるだけだってこと。 「もう、入るよ」 声は震えてないだろうか。おかしな態度をとってないだろうか。 振り返らずに、家の門に手をかける。振り返るなんて、出来るわけがない。だって、泣き顔だけは見られたくない。 「棗、ちょっと待て」 そう聞こえたかと思うと、温かさに包まれた。……私は今、抱きしめられているのか。 中学の頃よりも差のついた身長、肩幅、腕の太さ。こんなにも変わったのに。なのに、彼の温かさも匂いも抱きしめ方も変わらない。 こんなの、狡い。 「はな、して」 「……棗が泣いてんのに帰るわけねえだろが」 なんで。どうして。 離して欲しい。放っておいて欲しい。そう思うのに。 離さないでと。心配してくれて嬉しいのだと叫ぶ私がいる。 「……っ、やだ!」 ぐ、と強く腕を押す。驚いたのか黒尾君の腕は予想外に簡単に外れた。 逃げようともがく。今すぐに彼の前から消えてしまいたい。そう願うのに、黒尾君はそれを許してくれない。 気づけばまた私は黒尾君の腕の中にいた。今度は、真正面から。 「顔、見せろって」 顎に添えられた黒尾君の指に危機感を感じて、持てる限りの力で黒尾君の胸に顔を埋めた。 「こんな顔、見られたくない」 ふは、と黒尾君が笑ったのが伝わる。それほどまでに近い距離。 「どんな顔でも可愛いと思うがな」 わしゃわしゃと頭を撫で回される感覚。優しい。狡い。 「……なあ、泣いてる理由って聞いてもいいのか?」 そんな優しい声で話しかけないで欲しい。いつまでも昔の恋を引きずって馬鹿な奴め、と嘲笑してもらえたらどれほどに楽なことか。 何のために泣いてるか、なんて、そんなの。 「……鉄朗のことが今でも好きだから、だから苦しいんだよ」 そう告げた後に、勢い良く黒尾君から離れた。もう捕まらないように、急いで彼から離れる。 「ご飯楽しかったよ、さよなら」 そう言い残して家へと入った。黒尾君も、何もいってくることはなかった。 玄関でその場にへたり込んでしまう。立てない。さっきまでの温もりが、声が、身体中に爪痕を残している。 黒尾君が触れた箇所が、熱い。涙は止まらないし頭も痛い。 ああ。取り返しのつかないことを言ってしまったと、後悔が頭の中を渦巻いていた。 ← → |