「……棗もクロも、お帰りなさい」 鉄朗の部屋では既に研磨が座っていた。片手にゲーム機を携えているところを見るに、鉄朗から連絡を貰った後はずっと此処で時間を潰していたのだろう。 「研磨、さっきぶりだね」 「うん」 ゆるりと目を細めて研磨は笑った。彼は本当に優しい目をして笑う。 ゆっくりと立ち上がった研磨はゲーム機を床においた。そしてその手はゲーム機の代わりに私の頬へと向かい、遠慮がちに私の頬に触れた。 極めてゆっくりと、研磨の親指が私の泣きはらした目の下をなぞる。研磨は私の後ろにいる鉄朗に視線を移した。 「駄目じゃんクロ、泣かせちゃ」 「俺も悪ィと思ってるって」 拗ねたような響きを孕んだ返事とともに後ろから抱き締められる。驚きと、いきなり抱き締められるという羞恥心から動けなくなった。 耳元で小さく「今までごめんな」と呟かれ、どうしたらよいのか分からずにとりあえず首を何度も何度も縦に振った。 「ちょっと……、離れて」 「なんで」 「恥ずかしいから」 良いじゃん別に、と不満げな鉄朗を振り切って研磨の後ろへ回る。 いくら気心の知れた仲であったとしても──いや、だからこそ──研磨の前で恋人らしくするのは恥ずかしい。なんだか全身がムズムズするのだ。 私が後ろに回ったことで盾代わりにされた当の研磨は面倒くさそうにため息をついていた。 「棗もクロも面倒くさい……なんで俺のこと呼んだの」 「いや、二人っきりだと自制出来なくなる気がして」 「は、え、鉄朗?」 面倒くさいと吐き捨てる研磨も薄情だと思ったがそれよりも鉄朗の爆弾発言に気を取られてしまってそれどころではない。 いきなり何を言っているのだろうか、この男は。前に付き合っていたときはそんな気配はこれっぽっちもなかったというのに。 「……いつの間にそんな風になったのよ…………」 「いや寧ろ健全だっつうの。俺等は今高校三年生ね」 中学の頃とは違うだろそりゃ。そう当たり前のように言う鉄朗に驚いて視線で研磨に助けを求めると、気まずそうに目をそらされた。 「え、研磨?」 「棗、これが現実だよ……多分。クラスの奴とかもそんな感じだと思う、し」 そんなもんなのかと軽いショックを受けつつ嘆息した。二人とも同じ意見なら、恐らく私が世間知らずなのだろう。 「ん……これからは気をつけるね色々と」 「……まあとりあえず高校卒業するまでは襲ったりしねえから安心しとけ」 「よろしくお願いします」 なんとも不可思議なやりとりの後に、そういえばご飯を食べてないことに気付いた。と、下から何かを呼ぶ声が聞こえて一斉に部屋の外を見る。 「棗、ご飯出来たみたい。クロのお母さん、料理美味しいよ」 俺先に行くね、と研磨はダイニングの方へと行ってしまった。研磨が素直に行くぐらいなのだ、本当に美味しいんだろう。 「付き合って早々お母様にお世話になるのか私は」 「別れてないから早々じゃねえだろ。気にすんな、面倒見るのが好きなんだよ母さん。行くぞ」 なんて挨拶すればいいのかとか、そもそもいきなり彼女だなんて図々しくないかとか、不安なことが山積みである。 だけど、それよりも。 そんな不安よりも、再び鉄朗の横に並べたことの嬉しさの方が大きくて。 「待って、私も行く」 まずはちゃんと鉄朗のお母さんに挨拶をしよう。そして美味しいご飯を食べるのだ。 笑顔で話して、幸せを共有して。 不安も喜びも全部抱えて──鉄朗の隣に並びながら。 ← → |