短編 | ナノ
私は本当に木兎さんの隣に並べるほどの人間なのかと考えることがある。「それ」はふとした瞬間にぼんやりと思い出すように頭に浮かんでくることで、「それ」が訪れるのは大体いつだって唐突だった。
理由は何でもないことで、例えば、私よりも他の女の子の方が木兎さんと笑顔で喋れるんじゃないかなあとか、もっと楽しませてあげられる人がいるんじゃないかなあとか、そんなこと。
木兎さんが本当に私を大切にしてくれていることは良く知っているつもりだ。だけど、自分が可愛げのない、つまらない性格なことは、もっと良く知っている。

だからという訳ではないけれど、自分と木兎さんとを隔てる大きすぎる差に、私は泣きそうになる。いっそ木兎さんの前で泣いてしまえたら楽なんだろうが、今まで積み上げてきた関係を思うと、そんなことは出来なかった。聞き分けが良くてしっかりしてて、甘やかす側の人間。それが、今まで築き上げてきた私だから。


久々に「それ」が頭に過ぎったのは部活前のことだった。
話の短いことで有名な担任を持つ私のクラスは、今日も例に漏れることなく早々にHRを終えた。クラスの誰よりも急いで席を立って、部室まで走る。HRの間中、いつ涙をこぼしてしまうか分からなかったからだ。
私は兎に角早く一人になりたかった。自分でも、何故こんなに情緒不安定なのか分からなくて、少し戸惑った。走りながら、今日はやたらいい天気だなと思う。皮肉なくらいに。

「ヘイヘイなまえ、やっぱりお前のクラス終わるの早いな!」
「……木兎、さん」

部室に飛び込むと予想外の先着がいて驚く。しかもそれが木兎さんだなんて。心の奥底がぐらりと動揺したのが分かった。
「今日担任出張でさー、クラス終わんのめっちゃ早かったのよ!俺一番乗り!」。そう話しかけてくれる木兎さんに上手く反応出来ずにいると、木兎さんは私の様子がいつもと違うことに勘付いたらしい。木兎さんと目があうと本当に泣いてしまいそうで、すいません、そう言って急いで部室から出た。

体育館裏へとたどり着いたところで、後ろから追ってきていた木兎さんの存在に初めて気付く。一人になったと思って立ち止まると、すぐ後ろで「なまえ!」と私の名前を呼ぶ愛しい声が聞こえた。

「……木兎さん、着いてきてたんですか」
「心配だったしな。……なあ、なまえは何でそんなに泣きそうな顔してんの?」
「なんでも、ないです」
「何でもなくないだろ」
「本当に、大丈夫です……ほら、皆さん待ってますし、私も仕事に戻りますから。行って下さい、エース」

木兎さんは尚も私の傍を離れようとしなかったが、部活開始時刻が迫ってくると、(おそらく迎えに寄越されたのだろう)赤葦君に背を押されて体育館へと向かった。その納得のいっていない木兎さんの表情に、胸が鷲掴みにされたようになる。
「木兎さんに泣かされてたから名字、少し遅れると思います」。そう言っておくから、急がなくて良いよ。そう耳打ちしてくれた赤葦君は本当に優しい人だ。

私一人の体育館裏は静まり返っていて、先程まで木兎さんが居たときとはまるで違った場所のようだった。
小さく短く吐き出した息が震えているのがわかった。私の憂鬱さを孕んだため息は、今の抜けるような青空には相応しくない。今の私も、きっと木兎さんみたいな人には相応しくない。

体育館の壁に凭れかかったままそんなことを考えていると、ざわめきとともに周りより少し大きな木兎さんの声が聞こえた。声の大きさからか、木兎さん以外の人が何を言っているのかは判断できなかったが、それでも何となく、木兎さんを宥めているんだろうなと予想が出来た。
早く部活に戻らなくては。そう思って深く息を吸い込んだ。

「俺、なまえンとこ行ってくる!」

頑張らなきゃ、そう思った矢先に彼の声が聞こえた。かと思うと、すぐ近くの体育館の扉が勢いよく開かれた。部員は引き留めるのを諦めたらしい。

「なまえ!!」
「……はい」

私の姿をみとめた木兎さんはずんずんと此方へ迫ってきた。目の前に到着したところで名前を呼ばれ、その堂々とした声に思わず背筋が伸びる。
しかしその声とは裏腹に、木兎さんはしょぼくれたような顔をした。

「俺なまえに何かしちまったか?それとも俺……、お前に嫌われちった?」
「っ、違います!」

木兎さんの口から漏れ出たあり得ない考えを、自分でも驚くほど早く否定した。違う、嫌うだなんて、寧ろその逆なんです!──そう叫びだしてしまいたかった。

「あの、木兎さん」
「なんだ?」
「くだらないことかも知れないんですけど、聞いてくれますか」

おう、と笑顔を見せた木兎さんにゆるりと微笑みかえして、私は口を開いた。木兎さんを好きなこと。突然自分の立場が不安になること。自分は木兎さんに相応しい人間性を持ち合わせていないこと。今まで言えなかったすべての強がりを吐き出してしまったせいか、私はとても恥ずかしかった。
ぎゅ、とお腹の前で組んだ手に力が入った。自然と俯いてしまって木兎さんの顔を見ることが出来ない。何を言われるのかが怖かった。呆れられてしまっただろうか。気持ち悪いと思われてしまっただろうか。

「なまえ」
「あ……すいません木兎さん、変なこと言っちゃって」
「そうじゃなくて!あのな、なまえ!多分俺、なまえが思ってる以上にちゃんとなまえのこと好きだぞ?もっと自信持て!」

そんな木兎さんの大胆な告白を受けながら、私は口を馬鹿みたいに開くことしかできなかった。この人はなんて真っ直ぐなんだろう。
そのまま木兎さんは力一杯私を抱きしめた。流石というか何というか、パワーのある木兎さんの全力は痛い。でも、その行為すべてから木兎さんの優しさが感じられて、じわりと涙が滲んだ。

「なまえ?!ヤベ、痛かったか?!ごめん!」
「……違います、木兎さん」

ありがとうございます。そうお礼を告げると、木兎さんはきょとんとした後、にかりと笑った。

「戻れるか?」
「はい、ご迷惑かけてすいませんでした……皆さんにもちゃんと謝ります」
「あ、多分大丈夫だと思うぞ?」

その予想外の返答に着いていけないでいると、木兎さんはさっくりと体育館内でのことを説明してくれた。赤葦君の「木兎さんが私のことを泣かせた」説がレギュラー陣、さらにはマネージャーのお二人にまで伝わり、皆から体育館を追い出されたらしい。
きっと先輩方は全て分かった上でそうしてくれたんだろう。本当に優しい先輩達だ。
そして、その中でも誰より優しい木兎さんの隣に、私は立っている。
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