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目を覚ますと、甘い香りが鼻をくすぐった。甘い香りに釣られて目が覚めたと言っても良いのかもしれない。一人暮らしのはずのこの1DKの部屋いっぱいに漂うこの甘さの正体は、恐らく、ホットケーキの焼けるにおい。
目を覚ましてなおその場から動いていない私は、ひとまず身体を起こした。隣で寝ていたはずの鉄朗の姿はない。


彼は大抵私よりも早起きだ。
自堕落な大学生である私は、それこそ講義を寝坊でさぼってしまうことはないものの、休日はこうしてゆっくりと時間を気にせずに寝ている。例え、彼氏が泊まりにくる数少ない機会であったとしても。
それに比べて、部活に勤しむ鉄朗の朝は早い。休日くらいゆっくりすればいいのに、と私は思うけれど、習慣づいてしまっているから早起きは苦でないのだ、と鉄朗は言う。
まあ確かに、鉄朗が私の家に泊まっていくのは月に一、二回だ。決まって次の日がオフの金曜日、もしくは土曜日。月曜日が祝日でオフなら日曜日も。

デートと言うものは滅多にしない。私が高校生の頃からそうだった。当時の私達は互いに部活が第一であったし、今の私達はそれぞれ部活にバイトにと予定があわせにくい。鉄朗は高校生でバイトもしていないから、自由に使えるお金にも限度がある。
デートが少ないことには慣れていたから、今更その回数に不満を持つことなんてないのだ。
その代わり、お昼ご飯や夕飯の買い出しは必ず二人で近くのスーパーまで歩いて行く。何が食べたいとか、今日は何が安いとか、そんなくだらない話をして。その時間が、私達のデートだ。


よっこらせ、と心の中の掛け声にあわせてベッドから降りた。まるでおばさんみたいだ。
裸足のままぺたぺたとキッチンまで向かう。物音に気付いたのか、鉄朗がひょこりと顔を覗かせた。

「おはよ、なまえ」
「うん、おはよ、鉄朗。いいにおいするね」
「ホットケーキ。前作ったとき美味そうに食ってたから」
「鉄朗は良い彼氏だ」
「だろ?」

私は既にホットケーキが出来上がり、火が止まっているのを確認してから鉄朗の腰に腕を回した。
鉄朗の背中にぴとりと体を寄せると、鉄朗は決まって私の腕をゆっくりとほどく。そしてくるりとこちらを振り返ってキスをしてくれるのだ。少し猫背になって、頭を落として。私はそれにあわせて頭を持ち上げる。
今日のそれは、いつもより少しだけ長く行われた。鉄朗は黒の、私はグレーのスウェットというなんともムードのない格好のまま。

「……ホットケーキ、冷めちまうぞ?」
「そうだね、朝ご飯にしよ」

鉄朗が二人分のプレートを持ってローテーブルへと向かった。私は冷蔵庫の中身を確認する。紙パックの果汁100パーセントオレンジジュース、ペットボトルの緑茶とコーヒー。
キッチンから鉄朗に何を飲むかと訊くと、コーヒーとの返事。おおよそ予想はついていたので私は迷わずにコーヒーのボトルを手に取り冷蔵庫を扉を閉じた。
グラスをふたつと大きなボトルを一本。これくらい大したことないのに、鉄朗はいつもボトルを私から取り上げる。「甘やかせるときに甘やかす」というのが彼の言い分だ。私の方が年上なのに甘やかされる側だというのは如何なものかと思うが、生憎私の甘えたな性格はそう簡単には治せずに、いつもこうして鉄朗に甘やかされるがままになっている。

そうして漸くホットケーキにありついた頃には、すっかりそれは冷めてしまっていた。鉄朗はあちゃー、と残念そうに笑ったが、私は冷めたホットケーキも好きだ。まず、猫舌にとって最大の危機に襲われる心配がないし。

「美味しい」
「そりゃ良かった」
「……私って本当に甘やかされてる」
「俺が甘やかしたいからやってんの」

そう会話しつつも、私達は蜂蜜をたっぷりとかけたそれをしっかりとお腹におさめた。べとべとに甘いそれは鉄朗のようで、料理には人の性格がでるなんていうけど、あながち嘘でもないぞ、なんて。

コーヒーを啜っていると、鉄朗はふいに口を開いた。そういえば、という出だしから始まったそれは、鉄朗にしては歯切れが悪い。

「次の土曜、なまえ暇?」
「来週?……えっと、多分、暇」
「マジで。じゃあさ、ウチの練習試合観に来ない?アイツ等も喜ぶと思うし」
「ほんとに?」

マジだって。しかも、新しく入った一年も使ってくから、見応えあると思う。まあ、まだヘッタクソだけど。そんな風に部活のことを話す鉄朗は楽しそうで、私も思わず頬をつり上げた。

「ね、私が行ったら、鉄朗は嬉しい?」
「は、俺?」
「そう。鉄朗が喜んでくれるなら、行く」
「……嬉しくないわけないダロ?」

じゃあ行くね、と笑うと、鉄朗は目を細めた。ぐっとテーブル越しに身を乗り出してきたので、私も倣って腰を浮かせる。触れた唇は素早く離れて、鉄朗はニヤニヤと形容されるいつもの笑い方に戻った。

「コーヒーの味するな」
「そだね、苦い」
「……昼飯はどうする?」
「中途半端な時間だから、夜までいいや。夕飯は鉄朗の食べたいもの作るから、デザートつけよ。キスしたら、甘い方がいい」
「賛成」

そんな話をしながら、私達は立ち上がってそれぞれに馴染んだ動きを始めた。鉄朗は食器の片付けを、私は部屋とお風呂の掃除を。そしてそれぞれの仕事が終わったら、このお揃いのスウェットを脱いで洗濯機を回す。
そうして着替えもすんで身支度も整え終えたら、私達は揃ってこの部屋を出るのだ。二人分の夕飯の材料を求めて。


あなたと見るゆめはなんだって甘い味がする

title by 魔女
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