王子様だ、と思った。 その人は別に、かつて夢見た絵本の中の王子様のような人相ではない。 当たり前だけど白馬にも乗っていないし、カボチャパンツでも白タイツでもない。多分だけど、甘い言葉も吐きなれていない。社交ダンスも踊れない。多分。それに彼なら白馬よりもきっと虎とか烏とか、それこそ龍とか、獰猛果敢な動物の方が合っている気がする。ダンスだって社交ダンスよりストリート系の方がしっくりきそうだ。生憎、踊っているところは見たことがないけれど。 つまり何が言いたいかというと、私が王子様だと思い好いている人は、全くと言って良いほどに世間一般の王子様のイメージにそぐわないものである、ということだ。 私は無事に辿り着いた教室の前で、しかし不審に彷徨くことしか出来なかった。入学してから数ヶ月、慣れ親しんだ一年ではなく、その一つ上、二年生の教室の前を訪れたのは初めてだったから。 日向から教えてもらった情報に誤りがなければ、お目当ての人物はここ、二年一組の生徒で間違いないはず。そろりと頭を突き出して中を覗いて見るも、お目当ての坊主頭は見当たらない。 どうしよう、出直すべきだろうか。そう思って自分の教室へと戻ろうと決め、くるりとターンを決めたところで、私の心臓は飛び跳ねた。 目の前に、ターゲット、発見。 このチャンスを逃してなるものかと私は駆け足で彼の元へと向かった。 「あの、田中先輩!」 「おっ昨日の!日向のクラスメートの……」 「名字です」 「そうそう名字な!ケガしてなかったか?」 おかげさまで無事でした、と伝えると、田中先輩はにかりと裏表のなさそうな気持ちのいい笑みを浮かべて、私の頭にその大きな手を置いた。わしゃわしゃと頭を撫でてくれるのは嬉しいし、普段なら気になる髪型の崩れだって気にならない。 「田中先輩、女子と喋るの苦手って嘘でしょ」 「なんだそれ、マジだっつの!」 「だって、私に平気で触ってるじゃないですか……」 「あー……お前はこうなんつーか、えっと」 「あ、もしかして女子としてカウントされてないとか、そういうかんじですか」 少し拗ねたようにそう言えば、田中先輩は慌てたように違う!と力一杯私の言葉を否定した。田中先輩は優しい人だから否定するだろうなというのは予想に難くなかったし、実際田中先輩の行動は思った通りだった。だけれど、そこからもたらされた嬉しさは予想以上だ。好きな人から女の子扱いされるのはいつだって特別に嬉しい。 「だって昨日はその、事故とはいえ、だ、抱きとめたわけで」 「それは本当に助かりました」 「出会い方がそんなだったから今更照れもないっつうか」 「あー、なるほど」 私と田中先輩が出会ったのは昨日のことだ。私は生まれて初めて階段から落ちるという経験をした。すべては急いでいたとはいえ周りを確認していなかった私が悪い。 踊場でターンした瞬間にぶつかったのは、クラスメートの日向。慌てたような日向の顔、そして聞こえてきたのは私の名前を呼ぶ日向の声。浮遊感を感じたのは一瞬で、「あ、もしかしてこれやばいやつ?」とやたら冷静になったのを覚えている。 背中を襲うであろう痛みに堪えようと目を固く閉じた。しかし、次の瞬間私がぶつかったのは、床よりは柔らかい何か。どさりと衝撃はあったために暫く動けないでいると、慌てて階段を下りてきた日向の「田中先輩!」という声が聞こえた。 そこで私は初めて、人に抱きとめてもらったことに気がついた。 すいませんと体を離せば、少し強面な、ともすれば無意味に恐れてしまうような容貌の男の人で、私はつい言葉を失った。しかし、日向が気安く話しかけていることから恐ろしい人ではないとすぐに分かったし、なにより、直後に彼が「ケガねえか」と聞いてくれたことが嬉しかった。 かくして、私と田中先輩は出会ったわけである。 そんな出会い方なら確かに今更緊張もなにもないのだろう。というか、田中先輩は嘘をつくのが得意な方ではないと思う。 「ともあれ、本当に助かりました。これ、日向に好きだって聞いたんで……良かったら食べてください」 「おっ、サンキュー。メロンパン美味くねえ?」 「個人的には総菜パンの方が好きですね、焼きそばパンとか」 「おま、真っ向から反抗してくるか……」 「メロンパンもそこそこ好きですよ?」 「まあいいや、パン美味いよな!」 「それは同意です」 お前面白いな、と田中先輩が吹き出したところで、私は満足して別れを告げた。本当はまだ話していたかったけど、休み時間も終わってしまう。次は体育だから着替えなくてはならないし、そろそろタイムリミットだ。 「じゃあ、そろそろ。ありがとうございました」 「おう、気にすんな。なんなら一年の女子に、めっちゃいい先輩がいるって言いふらしとけ!」 「……田中先輩は私の王子様なんで、ライバル増やすようなことはしません」 「……はっ?」 それじゃ、と私は駆け出す。後ろで田中先輩の私を呼ぶ声が聞こえるが、振り返ることはできない。私だって恥ずかしいのだ。 それでも、これでアタック成功なら、まあ、この恥ずかしさも許容範囲かな、なんて。 私だけの王子様でいてほしい。そんなワガママ聞いてください |