Visibile ferita

 まどろみを振り切って君の手を取る




ふと、ルーティがケーキを作っていた時に、メレンゲを乱雑にかき回してリオンに怒られていたのを思い出す。
その光景は唐突に、アリアの脳裏に浮かんだ。

メレンゲは最早メレンゲとは呼べず、楽しみにしていたリオンが物凄い形相でスタンの足を踏みつけていた。
スタンが涙ぐんで必死に痛みに耐えていたことまではっきりと浮かんでくる。


――ほう、いつのことぞ

(確か……リオンの誕生日に…)
また聞こえたあの声に、必死に記憶を手繰り寄せる。
頭を押さえながら返答したアリアには周囲の声も音も聞こえていなかった。


――そなた、あの少年の生誕の日などどこで聞いたのだ

(え…それは、ずっと前に聞いてた……し)
ぽつりと、違和感が浮かんだ。
そういえば、リオンの誕生日をどこで聞いたのだったか思い出せない。



――…少年はその祝いの日、幾つになったのだ?

(え、…確か、十八歳)
嘲笑するような気配がした。声は続ける。

――そなたと少年は同い年だったな

(どういうこと、何が言いたいの…)



――そなた、今の自分を姿見で見てみるがよい
声は最後にそう言った。言われるままに、キッチンにある姿見に視線を投げる。
そこには、自分が映し出されていた。いつもの自分の姿に何の疑問も抱かずにアリアは首を傾げる。


――ここまで言ってもわからぬか
嘆息した声は、呆れたような声音でそう言う。
一体なんなのかわからないでいると、リオンが顔を覗き込んできた。
心配そうな彼に曖昧に笑いかける。彼は悲しそうに紫水晶を歪めた。

――その姿見に映ったそなたは我の知っているそなたと身長も、姿も、体型も、性格も全く変わっておらぬ。そなた成長しておらぬではないか
(そんなわけ……!)
――いい加減に目を逸らすのをやめよ。
――ここはそなたの都合の良いように書き換えられたかりそめの夢。過去のことはそなたが知っておる。違和感とて薄かっただろう。しかし十六よりも未来のことはこの夢には反映されておらぬ。
――されないのではない、できぬのだ。そなた自身が体験したことのないことは再現できるわけがない。

声は静かに語った。
理解できない箇所がいくつもあって、考えられなくなっていく。



しかしぐちゃぐちゃになっていく意識の中で、そっと肩に何かが触れた。
顔を上げると、黒衣の少年が心配そうな色を滲ませてアリアを見つめている。彼のアメジストはひどく切なげで悲しそうで、見ているこちらが苦しくなってくるほどだった。

「――…、っ」
少年の薄い唇が躊躇いがちに開かれ、戸惑っているように閉じた。

「、まって、」
しかし唇を噛んだ少年が何を言うのか、アリアには分かったような気がした。
彼がその言葉を産み落としたら、それを自分が聞いてしまったら、この幸せはなくなってしまう。

「まって……やめて、」
声が震える。必死に彼の言葉を阻止しようとするが、少年はまっすぐに目を合わせて、静かに微笑んだ。

「フィア、」
どくん。
少年の声がその名前を口にした瞬間、心臓が一際大きく脈打った。
――少年よ、きっかけを感謝しようぞ。
あの声がそう言って笑ったのがわかった。


――この世界で我がそなたを助けられるのはこの一度きり……心してゆくがよい
暖かい何かから背中を押される。
瞬間、脳が爆発したかのように記憶の奔流が巻き起こった。忘れていたすべてが土砂のような激しさで降り注いでくる。

頭を抱えて目を固く閉じた。痛みと、電流のような記憶の流れは次第に大人しくなっていく。

目を開けてぼんやりと天井を見上げた。訳もなく頬を涙が伝う。
しかしそれを拭った手があった。見上げるとあの黒衣の少年がいる。


前の彼の名前も、今の彼の名前も、本当の名前も、思い出した。
どの名前で呼んでいいものかわからず、戸惑っていると、彼が穏やかに笑んだ。
そっと手を差し出される。

「帰ろう、フィア。」
握られた手から、じわりと優しい体温が伝わってきた。
安心するような体温。それは彼、でなければ持てないものなのだろう。
一歩踏み出すと、そこには“今の”仲間たちが待っていた。

彼らの名前を胸中で一人ずつ呼んだ。彼らは助けに来てくれたのだ。
大切な記憶と、かけがえのない仲間たちのことを…思い出させてくれた。

手を引いてくれている彼を見る。
視線に気づいたのか彼はこちらに振り返った。思わず硬直したのに、仲間たちが笑う。



「…おかえり」
そして微笑んだ彼は、ひどく優しい声でそう言うのだった。


(まどろみは炎のように揺らめいて、そして優しく消えていく。/2014.08.14)

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