アウグストの十字架

 9.真実を隠す三十三日目





「優菜ちゃん、」
声をかけられた優菜は作業していた手を止めて、声がかかった方向を向いた。
誰の声なのかは分かっていたが、それでも優菜は作業の手を止めて振り返ったのだった。

「あっ…! ごめんなさい気付かなくって……重かったでしょう?」
そこにはやはりと言うべきか、松野愛里がいた。手にはたくさんのタオルとドリンクのボトルを抱えている。
優菜は、驚いたような表情を繕うとすぐに彼女に近づいてドリンクのボトルを受け取った。

「あ、ううん。良いの。優菜ちゃん、日誌書いてくれてたでしょ?」
「日誌を書くのはいつでも出来るもの。私も洗い物、手伝いますわ。」
「ううんっ、全然へーきだよ! 私、これ洗ってくるね!」
タオルを示すと彼女はすぐに部室を出て行った。外に設置してある洗濯機に入れてくるのだろう。
松野がドアを閉めると、優菜は首を傾げた。同時に跡部景吾が入ってくる。

「何かあったのか?」
端正な顔に心配そうな色を浮かべて、彼は松野愛里が出て行ったドアを見つめた。その様子を見た優菜は、日誌を持って立ち上がる。

「なんだかいつもと様子が違ったわ…具合が悪いのかしら……?」
「愛里は無理をするからな。もしかしたらそうかもしれない。」
「…私、具合悪いのって聞けばよかったわ…。」
心配そうな表情を繕い、眉を下げて俯く。唇を噛み締めると、跡部景吾が怪訝な顔をして優菜の手から日誌を奪った。
顔を上げると、アイスブルーの双眸と目が合う。彼の毒素は明らかに薄まって、抜けて来ていたのがわかった。


「鈴村が悪いわけじゃねえだろ。」
「でも…私が気付いて声をかけていたら、彼女だって具合が悪いこと…きっと言いやすかったと思うし…。そうだ、戻ってきたら聞いてみますわ。」
「鈴村……。」
優菜が微笑むと、彼は驚いたように目を見開いた。そしてきょとりと瞬きをすると小さい声で優菜を呼ぶ。

「…部室の鍵を取りに行かなくちゃ。……跡部くん?」
しかし足音が近づいてきたのを感じた優菜は、はっとした様子で頬に手を添えると目を見開いた。職員室まで行こうとドアへ向かう優菜の腕を、跡部景吾が掴む。

「あんま気にすんなよ。」
目を瞬かせて名前を呼んだ優菜から視線を逸らすと小さく呟いた。アイスブルーの双眸は人間味のある、照れたような色だった。

「……ありがとう。」
ごく自然に頬を綻ばせた優菜が、嬉しそうに礼を述べたのは言うまでもない。
外に出ると、橙色の夕焼けが優菜を祝福するかのように輝いた。


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