アウグストの十字架

 3.風に揺られた菫は笑う



「この女は親友を裏切って傷つけて、暴力まで浴びせるような非道極まりない女や。」
青年の形の良い唇が歪む。どれだけ端正な顔も、悪意によって歪んでしまうのかと男は内心ため息をついた。
しかし男はそれを表に出すことなく、嘲笑うように青年に細めた菫色を向ける。通る声で言い放った。

「だから?」
「は?」
「君には関係ないよ。」
「なんやそれ? なめてるん?」
「君を舐めても美味しくはないだろうねえ……」
クエスチョンマークをクエスチョンマークで返される。
仮面を被るかのように、笑顔を貼り付ける男。それは男の機嫌があまり良くないことを示すバロメータだった。
男は盛大なため息を隠すそぶりも見せず、眉間に指を置く。男の口元が笑みの形に歪んでいたのを誰が見つけられただろうか。
残念ながらこの場には男の口元という些細なことなど、気をつけるような繊細な人間はいなかった。

「自分これ以上なめた口聞くんやったら…」
「うるさいなぁ。」
「なんやて!?」
「ちょっと黙っててくれる?」
憤慨する青年に男は心底鬱陶しそうな様子を隠しもせず、ネクタイを直すのか男が首に手を伸ばす。

「……あ、そうだ。」
しかしその手はネクタイピンに触れた。ネクタイピンにはめ込まれている石に触れると、男は『良いこと思いついた』とでも言いたげに笑みを浮かべる。上機嫌そうな男に同調するかのように彼の指が光り出した。青年の額に指を置くと男の笑みはますます怪しげなものへと変わる。
驚く少女と青年に構うことなく男が呟いた。

「──『おやすみ』」
それと同時に青年が倒れ、少女がまたも肩を震わせる。


「とりあえず、僕は君をどうこうしようとは思ってないから安心してね。」
「は、はい…」
「いくつか質問があるだけだから。」
「質問…?」
「そう、質問。」
男の言葉に少女が目を見開いた。そして首を傾げる少女に男は先程とはまるで違う、優しげな笑みを向ける。
少女が頬を染めたのを見た男は薄らと目を開いた。

「君、最近ポストを見ていないね?」
「え……あ、そういえば…」
少女の円らな目がまたも大きく見開かれる。そして男はその様子を見てふーんと小さく声を漏らした。
そして懐から取り出した黒い封筒を少女の前に差し出す。


「…じゃあこれも見たことないよね?」
「黒い、封筒…?」
「開けて読んでほしいんだよねぇ、大至急。」
少女の反応に男は苦く笑って、そして少女にその封筒を押し付けた。
きょとんと瞬きする少女に男は封を開けることを促す。言われるまま少女が封を開けると、中から複数の何かが飛び出してきた。
それは少女の周囲を一回りするとやがてひとつになって少女の肩に降りる。形は蝙蝠のようなものだが、目も鼻も口も存在しない。影の世界から切り取られたかのようなそれに少女は驚いた顔をするも、やがて封を切った封筒の中から手紙を取り出した。


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