triste

 動けずに無力を悔やむ




夜、私はどうしても眠れなかった。
寝付きの早さは自慢だったのに、何故だか眠れない。むくりと起き上がった私の耳に、足音が届いた。

足音を殺そうという気配はまるでない。警戒の必要はなさそうだと思いながらも、私は足音をじっと聞く。
目を凝らして良く見れば、真っ暗な中にぼんやりと浮かぶ白い衣装。真っ白なあのひとだった。彼はやがて私の牢の前まで来ると、しゃがみ込んで私を覗き込んだ。


「やあ、気分はどうだい?」
「……何かご用事でも?」
「質問に質問で返されるとは心外だな。そんなに警戒しなくても君の身の安全は保障するよ。」
「……」
「やれやれ、だんまりか。そう頑なに拒まないでほしいな。そんなに拒まれるといくら僕でも悲しくなる。」
やり取りの中で気付いたことだけれど彼は案外饒舌な人間らしい。
でも大切な情報は得意の饒舌で誤魔化して相手に悟らせない。そんなところを見るに、彼は頭の切れる人間の中でも特に秀逸な頭脳の持ち主なのだろう。アルコバレーノが聞いたら欲しがりそうな人だなぁなんて呑気にも思う。

「なにをしにきたのですか。」
私がそう尋ねると、彼はにっこりと天の使いのような笑顔を見せた。
そしてしゃがみ込んでいたその場で胡坐をかく。ちらりとこちらに視線を向けると肘をついて首を傾けた。
「なんだと思う? 当ててごらん。」


「…重傷人がいるのですか?」
「正解。さすがは御使いくんだね。」
「申し訳ありませんが、私はあなたに協力するつもりはありません。」
彼の求める意見など私が持っているはずもない。けれど彼は私が答えを口にするまでそこを動くつもりはないらしい。
華奢な見た目に反して頑固な彼に私は肺の空気を一気に吐き出した。

「へえ、どうしてだい?」
そんな私の答えに、彼は興味深そうな表情で口元を吊り上げる。彼の目を見ないように俯いたまま、私は口を開いた。
彼はとても鋭い観察眼を持っている。それは最初、戦場で出会った時に分かったことだ。
私は元々そんなに良い頭は持っていない。非常時には火事場の馬鹿力を発揮するようだけど、この時代で戦術を練るのに長けている彼には敵わないだろう。


「あなた方はとても強い軍だそうですが、民草に兵役を課して強制的に軍に参加させる。そのお陰でどの村にも女子供しかおらず、生活に必要な重労働はすべてその女子供がこなしているというではないですか。」
「……ふうん。その話しぶりは信玄公かな。武田の軍はお人好しの集団だからね。」
「私は力で全てを押さえつけるようなやり口は好みません。それに、あなた方の軍人を治癒する義理もないし、なにより治癒することができません。」
「治癒の力がないと言い張るつもりかな? そんなことをしても無駄だよ。賢い君ならばわかると思うのだけれど。」
「その治癒の力とやらをあなたが見たわけではないでしょう。あなた方がしていることは、私は好きになれません。賛成できない。大局を見る前に自分の足元を見るべきでしょう。」
ああ言えばこう言う。暖簾に腕押し糠に釘。彼と話しているとそんな印象を受ける。
けれど協力をしたくないのは確かで、彼に劣る私の頭でなんとか協力を拒否するための言い逃れをしなければならない。協力する気がないことを彼らに示さなければ。

「わからないかな。国を統べるには圧倒的な力が必要なんだ。秀吉ならば、それが出来る。」
私の言葉に、彼は不服そうな表情で静かに目を細める。


「私よりもずっと頭の作りが良いあなたがそう言うのなら……力で政治を統べるというのもまた、ひとつの天下への道なのだと思います。……でも、天下に立った人間の頭の中全てが力で出来ていれば国は滅ぶでしょう。民草のことに割く頭がないのなら。」
「君もそういうことを言うのかい? まったく、武田も厄介なことを吹き込んでくれたな…」
薄紫の双眸が探るようにこちらを見た。すっと細めた目が鋭い光を宿して、ぎらりと光る。
それがとても怖かったから首を振って視線を逸らした。彼の視線は変わらず私を見ているけれど、私は視線を逸らしたまま一気に捲し立てる。


「これは武田さんにお聞きしたことではありません。私が自分で調べ、書物を読んで出した結論に過ぎない。」
「ふうん?」
楽しそうに笑んだ彼は、私に向けて優しげな微笑みを向けた。表情こそ優しげだけど、その頭の中はどのくらいの速さで回転しているのだろうと考えると寒気がするほど恐ろしい。

「でも君はさっき僕たちの軍のことを『強い軍だそうですが』と言った。でも普通、自分で調べた人間はそういう言葉を使わない。仮に君の『調べた』という言葉を信じるならば、その情報は誰かから聞いた後で自分で探したということになる。」
俯いた私に彼は鉄格子越しに手を伸ばしてくる。思わず後ずさるけれど、彼の腕は簡単に届いて私の頬を撫でた。


「つまり、君にその情報を吹き込んだのはやはり武田の人間ということになるな。そして武田の人間は君の治癒の婆娑羅を知っていて『豊臣の前で治癒の婆娑羅を使ってはならない』と言ったのかもしれない。だから君は婆娑羅を使いたがらないのかもしれない、違うかな?」
「あなたのその考えも推測の域を出ません。私は確かに武田さんにはお世話になりました。ですが彼だって私の能力のことを知らないはずです。」
「ふふ、なかなか強情だね。」
余裕のない返事をした私に対し、優雅に微笑んだ彼は静かに立ち上がる。視線だけで追えば彼はゆっくりと出ていった。

「まあいいさ、また来るよ。その時に君の考えが変わっていてくれるといいんだけどね。」
彼の気配が遠くなったのを感じた私は、大きく息を吐き出す。彼と話すのはとても緊張した。真っ白な人なのに、あのひとはとても怖い。
明智さんや織田さんのようにデンジャラスな風でもないのに。ただただその知謀が恐ろしい。
常に私の言動の五歩先を見て、彼の思うように発言させられているような錯覚を起こす。それだけ、彼は軍師としても優秀な人間なんだろうと思う。

それだけじゃない。どうしてか、この世界に来てから私はとても臆病になっている。
その答えを出す前に私の瞼は落ちてきてしまった。意識が混濁して黒く塗りつぶされていく。

(つなよし、くん……)
完全に意識が落ちる前、大切な男の子の姿が鮮明に蘇った。
どうしてここにいるんだろう。彼の元へ帰りたいと強く願いながら、私は意識を失った。


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