Mad


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 見られている。

 何時気付いたのか覚えていないが、あの視線は知らない間に私にまとわりついていた。全て見透かす様な眼は、かといって蔑む訳でもなく。




──『知っとるよ、お前さんの秘密』




「済まない、待ったかい」

「いえ」
「若いね、本当に18?」
「……勿論」


 もしかして、私を求めているのだろうか。そんな考えも初めはあった。でも視線はただそんなニュアンスを含んだまま。今だってそう、そこの壁に貼られたポスターの様にじっとして。




──『紳士っちゅう仮面の奥を』




 どうして、こんな時間にこんな所に居るんです仁王君。何故私を見ているのですか、物珍しいから? 滑稽だから?


「早く、行きましょう──、」


 どの道私は構わない、アナタがそこから動かないのであれば。





***




 均衡が崩れるのに、それから然して時間はかからなかった。


『柳生君、この間はありがとね』
『いえ、当然の事をしたまでですが』


 これお礼、と言われ渡された細長い小箱。その中身にも笑顔にも、あの女生徒のささやかな欲望の片鱗が見えるものだ。しかも彼女はそれを、隠そうともしなかった。


『ありがとう、ございます』


 また同時に、隠す必要がないのだとも思う。そう、この私の様には。




─(私の、欲は……)




 余計な物をもらった所為で余計な事を考えてしまったらしく。彼女を見送ると、私はそのまま鞄を引っ掴んだ。早く、普段の私に戻らなければならない。

 何処へ──、ああ、部室が良い。幸い私は今週掃除当番ではないし、きっと未だ誰も居ないはずだ。




カ、チャン


 そう思い逸った身体は何時もの視線を、察知するのを怠った。


「捕まえた」

「──仁王君、私の後あとを」
「ああ、つけて来た」


 扉を開け部室に入ろうとした私の真後ろで、仁王君の手がドアノブを掴む。押し込まれた見知ったはずの部屋は、逃げられない密室に変わってしまったのだった。

 理由を訊くのは馬鹿らしいかもしれない、きっとこの間の事に違いないのだ。




─(何が、知りたい)




 私はドアの方へ、仁王君の方へ振り向けずにいた。

 彼があの場に居たのは偶然ではないのだろう。あの時も仁王君はきっと、私をつけていたはず。ならば今日は何故か。以前から見られていたのは自覚しているが、行動を起こされたのは今が初めてだ。彼の思惑を、全く推測出来ない。脅しでもするつもりなのか。




「カギ、見つけたんじゃ」

「……何のです」
「うーん、パンドラ姫な柳生のための、箱かのう」


 ところが、沈黙を破ったのは彼の意外なセリフだった。思わず苦笑を漏らし、私はやっと仁王君を視界に捉える。握り締めていた小箱が、ひどく軽い音を立てた。

 面白い事を言う──、


「禁断の箱を開けようと?」
「開けるのは、お前さんじゃろ」

「……成る程」


 私はその箱の方ではなく、言葉通りパンドラという事か。好奇心に負け箱を開けたパンドラ。




 では仁王君、アナタの配役は?




 それを先見していたプロメテウス、開けさせるきっかけを作り後悔したエピメテウス。若しくは、ゼウスの使いか。


「年まで嘘ついて……、一体ドコで見つけたんな?」


 あのオッサンまたよう似とったの、コイツに──、そう呟きながら、仁王君はロッカーの一つに触れた。




コツ、ン


 同時に取り落とす、欲望の小箱。恐らく最後が正しい、私はそう思った。彼は、箱を開ければどうなるか知っているのだから。そして、私がその好奇心に勝てない事も。


 仁王君は、私の欲に気付いていたというのか。


「アナタに何の、得が……」
「無いぜよ、そんなモン」


 今のお前さんと一緒、好奇心。


 そして仁王君は、躊躇いもなく扉を開け放ったのだった。待ちたまえ──、ああ、其処は開けては駄目なのに。


「やっぱブカブカじゃ、ちぃと悔しいが」
「止めたまえ……」

「あらら、サービスなんに」


 他人のユニフォームを纏い、仁王君は私を見る。駅のあのポスターの様にじっと、しかし実体をもって。愛しいあの人の匂いすら借り、挑発的に私を誘惑するのだ。


──ゼウスの使い?


 まるで、悪魔の様ではないか。部室へ来たのは間違いだった、私は罠に自ら入ってしまったのだ。


「ほら嘘つけ、喜ん……ッ……、」




 撒き散らされた災禍は、果たして私を満たすのだろうか。目前の欲にまみれてしまった私にはもう分からない。ただ、後戻り出来ない事は。




「あぁ、柳生……、もっと優しゅう」
「っ、静かに」




ガチャリ


「もう誰か居るのか──、おい、お前ら何をしてる?!」




「……か、鍵は……、どう、して」
「クッ、ハハハハ」


 ただ、後戻り出来ない事だけは。







いっそイージーゴーイング


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