※鯉伴死去後。 しあわせな夢をみた、愛する人にいだかれる夢。 ――朝。 小鳥たちが囀る声が部屋まで届き始め、眠りの淵を揺蕩っていた若菜はゆるゆると閉じていた瞼を持ち上げた。しかし、開いたと思った瞼は襖を通り抜けてきた太陽の光によってもう一度閉じられる。 (……眩しい) 一晩中閉じていた瞳には強すぎる程の朝の光。此の感じだと、今日一日は良い天気になりそうだった。 (起きて、朝食の用意しなくちゃ) きっと、あの人もお腹を空かせているだろう。そんな事を思いながら、再度瞼を持ち上げた。 二度目だからなのか、瞳は入ってきた光をすんなりと受け入れて、瞼がおりる事はない。 そのまま体を起こして、いつもあの人が寝ている方へと視線を移す。しかし、そこには誰も居らず、布団も敷かれていなかった。 「え、え、寝過ごしちゃった?!た、大変」 寝過ごしてしまったのはあの人に抱かれる幸せな夢を最後まで見ようとしていたからなのか…。取り敢えず若菜はわたわたと布団から飛び出して、身仕度を済ませてから大広間へと向かう。きっと今頃お腹を空かせた彼と小妖怪達が不貞腐れて座っているのだろう。そう言う子供っぽいところを見せる彼が若菜は大好きだった。 「お早う御座います、鯉伴さん。寝坊してしまってごめんなさい。今すぐ朝食にしますね!」 「まったく……若菜は俺より睡眠の方が好きなのかい? 俺ァ、腹が減って倒れそうだよ」 襖を開き、其処で待っている筈の彼に声をかける。次に返ってくる言葉を予想していた若菜はもう一度口を開こうとした。 ――しかし、その部屋には誰も居らず、しんと静まり返っていた。 「鯉伴……さ、ん?」 先程まで夢の中で会っていた人物の名を呼ぶ。それでも返ってくるのは沈黙だけで。 「鯉伴さん」 もう一度。 「鯉伴さん」 もう一度。 「りはんさん」 返事が返ってくるまで何度も何度も。 「――っ、鯉伴さん!」 最後はだだっ広い屋敷中に聞こえる程大きな声で呼んだ。それでも返ってくるのは沈黙のみ。 (ああ、そう。そうだった) 奴良鯉伴は死んだのだった。息子のリクオと散歩に出掛けて、その時に何者かに刺されて、息絶えた。夕飯迄には帰ると言った男は帰ってこなかったのだ。 もう何十日も前の事になる。 (だから、あんな夢を見たんだ) 幸せな夢。あの人ともう一度顔を合わせて、優しい指で触れられて、逞しい腕に抱かれた夢。 もう二度と、そんな事が現実で有り得る事が無いのだから。 泣きそうになる位幸せな夢を見たせいで、現実にも未だあの人が居るという錯覚が起きてしまっただけ。なんて残酷で辛い錯覚なのだろう。 「こんな事なら、幸せな夢なんて見なければ良かった」 そう言葉を吐いて、若菜はその場に座り込んだ。冷たい床は若菜が独りなのだと実感させるように、若菜の体に触れていた。 |
しあわせな夢をみた、愛する人にいだかれる夢。 残酷な夢をみた、愛するひとがいない現実。 しあわせな夢をみた、愛するひとにいだかれる夢。 もう叶わない、残された私はずっと独り。 |