嘘と真・前








 奴良組二代目総大将奴良鯉伴と言えば、四百年前から“遊び人の鯉さん”という異名で呼ばれ、何時も情人の噂が絶えない男だ。老若男女来る者拒まず。飽きてしまえばそこで関係は終わり。その噂が真実であれ虚構であれ、噂が出て来るという事は、本人がそういった行動を何かしらしているのだ。火元が無ければ煙は立たないのだから。何度か側近達に噂について問い詰められた事もある。その時、鯉伴は一度も否定しなかった。まあ、肯定もしていないのだが。因みにこの噂は江戸時代の頃、一緒になると誓った山吹乙女が居た頃も絶える事は無かった。
 そんな彼が数百年ぶりに女を娶ったのは現代、平成の世になってからである。初代の妻と同じように人間、しかも未だ十代の幼妻。その報せは瞬く間に妖怪達の間に拡がった。結婚したという報せが回れば、少しは鯉伴の情人の噂も落ち着いてくれるだろう、と本家の妖怪達は思っていたのだが、そう簡単に噂が払拭される筈も無く。寧ろ、新たな噂が飛び交い始めたのだ。
 ――二代目は継嗣の為に人間を娶ったが、彼女に対して愛情は無く、他に好いている妖怪がいる。
 そんな噂が本家の妖怪や鯉伴の耳に届いたのは、若菜を娶ってから一ヶ月程経った或る日。化猫横丁に呑みに行っていた黒田坊と青田坊が偶然耳にしたのだ。これは仕えている主に伝えねば、と急いで屋敷に帰り、丁度風呂から上がったばかりの鯉伴に話したのが一刻前。それから直ぐに側近達が集められ、話し合いが始まった。

「こりゃあ、一体どういう事だい?」
「鯉伴様が若菜様を継嗣を作る為の道具だと考えている、という噂ですね」
「そうじゃねえ! 何でこんな噂が流れているんだって言ってんだ。俺が若菜の事を本気で愛している事はお前らも重々承知だろうが」

 確かに鯉伴の言う通り、本家の者はこの噂が嘘でたらめである事は分かっている。何せ彼が若菜という人間の少女に惚れてからと言うもの、全ての女との縁を切ったのだ。付き合っている間は毎日彼女の元へと足を運び、結婚してからは暇さえあれば妻にべったり。いい加減にしてくれ、と訴えたくなるほど人前でいちゃつき合っている。更に酒の席では鯉伴が口を開く度に妻の自慢話や惚気話を聞かされる始末。それ程までに彼は若菜一筋なのだ。
 故に、目の前に胡坐をかいて座っている百鬼の主はご立腹である。今までどんなに酷い噂を流されていても一度も怒らず、否定や肯定の言葉も口にしなかった男が、腹を立て、噂を否定している。これは大きな進歩だ、と首無は思う。若菜との出会いが鯉伴を変えていく。この結婚は間違いなんかではないのだろう。だからこそ、早めにこの噂を消してしまわなければならない。長い事放置していると、悪い噂はどんどん広まってしまう事を徳川の世の頃から鯉伴に従っていた側近達は学んでいる。早めに手を打てば悪い方には転がらない。

「くそっ、何でこんな噂が流れちまってるんでえ」
「それは鯉伴様の日々の行いが原因でしょう」

 声を荒げる鯉伴とは対照的と言える程静かな声で首無が断言すると、ぐっ、と鯉伴は押し黙ってしまった。彼自身も本当は分かっているのだ。今までやってきた事が全て原因だと。何百年も昔から、最低、と言われる位女遊びは酷かった。前妻を傷つけた事もある。だから、自分の生涯で最期の妻になって欲しいと思える程の存在に出会えたあの日に決めたのだ。もう他の女と遊んだりせず、生まれ変わった気持ちで若菜を大切にする、と。

「そうかもしれねえ。……だが、俺は」
「しかし、貴方様は変わられました。今では唯一の女性を愛し、大切にする優しい男に」
「……首無」
「ですから、早急に対処致しましょう。若菜様のお耳に噂が入ってしまわないように本家の者達にも口止めしておきます」
「そうだね。私と雪女も注意しながら若菜様にお仕え致しますよ」
「はいっ! この雪女にどーんとお任せ下さい」

 次々に助力を申し出てくれる側近達に嬉しく思いながら、ありがてえ、と小さな声で鯉伴は感謝を口にした。自身は何も恐れず、慌てたりせずに今までどおり若菜を愛すれば良いのだ。噂がどうであれ、それは嘘の噂。若菜の耳に入る前に消えてくれるであろう。その時はそう思っていた。

 しかし、そう旨く事が運ばないのがこの世界のおかしなところなのだ。



 鯉伴達が話し合いの場を設けてから数週間後。今も未だ噂自体は消えてはいないが、側近達の計らいによって若菜の耳に届いてはいない。人の噂も七十五日。もう少し日が経てば、完全に噂は消し飛んでしまうだろうと考えたのが悪かったのか。側近や鯉伴が気を抜いた翌日に、恐れていた事が起きてしまった。
 その日はお昼過ぎから定例の総会があり、本家には各地から沢山の妖怪が集まっていた。重苦しい総会の間は屋敷内がしん、と静まり返るのだが、それが終わり、夕方からの宴会が始まると、一気に騒がしくなる。何時も給仕を任されている若菜やその他の女妖怪達も最初の内はばたばたと忙しく動き回るのだが、時間が経つにつれてそれも和らぎ、ゆっくりとお酒や料理を楽しむ時間が出来始める。今宵もやっと一段落ついて、それぞれ自分に宛がわれた席に向かう。勿論、若菜も普段どおりに最愛の夫鯉伴の隣へ座り、お酌をしながら楽しく過ごすつもりだった。
 ぱたぱたと長い回廊を進み、宴が催されている大広間に向かう途中、数名の妖怪達に出会う。一旦足を止めて、深々とお辞儀をし、彼らと挨拶を交わす。ここまではいつもと変わらぬ光景。しかし、その後彼らから思いも寄らぬ言葉が返っていたのだ。

「おや、これはこれは噂の北の方ではないですか。跡継ぎの御子は未だですかねえ? 早くせねば総大将が何時まで経っても本当に愛していらっしゃる者を娶ることが出来ないでは無いですか」
「――え?」

 ぱっと若菜が顔を上げると、くすくすと厭らしい笑みを零しながら彼女をじっと見つめている。今、何と言ったのだろうか。本当に愛している者?それは自分では無いと言うのか。

「若しかして知らないのですか。総大将も意地が悪い。教えてやれば良いものを。それでは、何も知らない奥方様に、私めから特別にお教え致しましょう」

 顔と顔が触れ合いそうな位近寄ってきた妖怪が彼女の耳元に唇を寄せ、ぼそぼそと何かを話し始める。それを大人しく聞いていた若菜の顔がざっと蒼褪めていき、終わるのと同時に大広間へと駆け出してしまった。





「おう、若菜。やっと終わったのかい? 未だか未だかと待っていたんだ。やっぱり御酌はお前に限る」

 大広間に辿り付くと、すぐに上座の方から声がかかる。そちらへと顔を向けると嬉しそうに笑う夫の姿。ちょいちょいと手招きをされるがまま静かに彼の隣へと座る。何時もならば彼の隣に居るだけで幸せになる。しかし、今日は……。黙ったままの彼女の心配をしながら、鯉伴は、腹がすいただろう、と若菜の手に料理が乗った小皿と箸を握らせた。こんなにも優しく若菜を気にかけてくれている彼が、自分を跡継ぎの為に利用しているなんて嘘だ、そう信じて若菜はそっと口を開いた。

「鯉伴さん」
「ん? どうした、何か他に食べたい物があるのかい」
「いいえ……。あの、子供……奴良組の跡継ぎを早く欲しいと思って居ますか?」
「子供かい? そうだなあ……できれば早く欲しいな」
「……そうですか」

 お酒をちびちび呑みながら言葉を返す鯉伴に小さく笑うと、若菜はお手洗いに行ってきます、と断りを入れてその場を立った。それから若菜が宴会の席に戻ってくる事は一度も無く、暫くして不思議に思った鯉伴が二人の寝室で一通の手紙を見つける事になるのは、もう少し夜が更けてからの事だ。







北の方は今いずこ。続きます。

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