迷子の泣き虫・前




※出会い。捏造注意。




 此処は妖怪の頂点であるぬらりひょんが纏める奴良組本家の屋敷。いつもは騒がしい屋敷内も、太陽が空高く昇っている時間だからなのかひっそりと静まり返っている。殆どの妖怪達がそれぞれの寝床に籠もっている中、濡れ縁に二つの人影があった。一つは長身の男性……この屋敷の主である奴良鯉伴。そしてもう一つが彼の最愛の妻、若菜である。ぽかぽかとした陽気に誘われたのか……。若菜は夫の肩に頭を預けたまま、すうすうと小さな寝息をたてている。そんな彼女を眺めながら、鯉伴は幸せそうに微笑んでいた。
 若菜が奴良家に嫁いできたのはほんの数日前。妖怪しか居ない家に早く慣れようと、挙式を済ませてからは齷齪と家事をしていた彼女にはこんな風に夫の元でゆっくり休む時間が取れなかった。その様子を見兼ねた鯉伴が強引に彼女の手を引っ張り、休息を取らせようとしたのが数刻前。最初は、大丈夫ですよ、と休息を取る事を遠慮していた若菜だったが、鯉伴の真剣な眼差しと想いに観念したのか、苦笑を浮かべながらも彼の肩にそっと己の頭を預け、夢の世界へと意識を向けた。
 今ではこのように立派に家事をこなしながら、屋敷中に笑顔を振り撒いている若菜だが、鯉伴と初めて出会った時は泣き虫な少女であった。

「懐かしいな」

 ――あの日の事は、数年経った今でも鮮明に思い出される。





 数年前のとある日。
 その日は、洗濯日和ですねえ、と雪女が喜ぶ程晴れていたのだが、夕暮れが近付いた頃、急に空がぐずり始め、仕舞いには大粒の涙をぽろぽろと零したのだ。道行く人々は突然の雨に驚き、ばたばたと急ぎ足で雨宿りが出来る場所を捜し求めている。しかし、鯉伴は慌しい中で唯一人、現代には似つかわしくない番傘をさし、雨を凌いでぬらりくらりと歩いていた。鼻歌混じりに歩いている様子を見たところ、どうやら御機嫌なようだ。

「たまには首無の言う事も聞いてみるもんだなあ」

 普段は傘なぞ持ち歩かない鯉伴が珍しく傘を持っていたのは、首無の忠告のお陰なのだ。
 それは正午を少し回った頃、散歩に行こうかと玄関へ向かっている途中の事だ。二代目、と呼び止められ、くるりと声がする方に体ごと振り向けば、ふよふよと首が宙に浮かんでいる側近が手に番傘を持ってこちらに走って来ていた。何だい、と尋ねれば、彼はすっと傘を差し出す。

「お持ち下さい。夕暮れが近くなると、雨が降るやもしれません」
「雨だって?」

 ちらりと外を覗くが、分厚い雲は一切空には浮かんでおらず、雨が降りそうな気配は見られない。傘なんて邪魔になるだけではないのか。

「降らねえだろう」
「いいえ、降るかもしれません。ですから、お持ちになって出掛けて下さい」

 何度も何度も傘を持つようにと告げる首無に呆れながらも、鯉伴は傘を受け取る。こうでもしなければ外に出る事は出来ないだろう。「んじゃあ、行ってくらあ」と首無に手を振って、鯉伴は玄関へと向かい散歩へと出たのだった。
 あの時忠告をきちんと聞かず、傘を持たないまま散歩に出ていたとしたら、今頃彼はずぶ濡れになっていたのだろう。故に、気が利くあの側近に感謝しつつ、鯉伴は雨の中、散歩の続きを楽しむ事にした。



 えーん、えーん。

 振り続ける雨の音の中で誰かの泣き声が聞こえたような気がした鯉伴はぴたり、と足を止める。周りを見渡してみるが、泣いているような者は居ない。雨音が泣き声に聞こえたのか、それとも最初から何も聞こえていなかったのか……。首を傾げながらも歩みを進めようとした、その時。ぐい、と何者かに着物を引っ張られて体制を崩しそうになる。どうにか体制を立て直してから、何だ何だ、と首だけで振り返れば、鯉伴の腰程度の背の少女が彼の着物を掴んでいた。真ん丸の大きな茶色い瞳がこちらを見上げている。……どうやら泣いていたのはこの少女のようで。今降り続いている雨のように、瞳からぼろぼろと大粒の涙を零し、すすり泣いている。しかも驚いた事に、少女は傘をさしておらずずぶ濡れなのだ。風邪をひいてしまう、と思った鯉伴はさしていた傘の中に彼女を入れてやる。すると、涙を零していた瞳を二、三度瞬きさせて、彼女はぐしゃぐしゃの顔でふにゃりと微笑んだ。

「おいおい、お前さん何でずぶ濡れになったまま泣いているんだい? 名前は言えるかい?」

 着物の裾が濡れてしまわないように注意しつつ、少女の目線に己の目線が合うようにしゃがむ。子供と接するのはあまり得意ではないのだが、何故か彼女を放ってはおけなかった。名前は? と再度尋ねるとか細い声で、若菜、と返ってくる。

「そうか、若菜か。で、こんな所で何してたんだい?」
「……若菜、迷子なの」

 迷子なのだと言った少女は、また大きな瞳から涙を零すのであった。







泣き虫と妖怪の主の出会い。続きます。



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