月に願いを




※夜昼同体


 さわさわと桜の花が風に揺らされる音が聞こえる。リクオはゆっくりと閉じていた目蓋を持ち上げて、辺りを見渡した。いつもと変わらない自身の部屋。おかしなところと言うと、夜更けであるのに妖怪達の騒ぎ声が聞こえない事ぐらいだろう。出入りにでも行ったのかな、と考えながら布団から這い出し、ほんの少し開いた障子戸に手を掛けて横に引くと、そこには暗闇に包まれた庭が静かに存在していた。その中に怪しげな光を放つ一本の桜が立っているのを見て、ここが自分の夢の中なのだと気づいた。障子戸を抜けて一歩、また一歩と庭を進み桜の木へ近づく。木の根元に辿り付き、その幹に触れようとしたその時、おい、と上の方から低い声が降ってきた。頭を上げてそちらを見ると不思議な髪型をした青年が木の枝に腰掛け、じっとこちらを見据えていた。青年に向けて笑みを浮かべたリクオは、やあ、と声をかける。

「今日は現に出ないのかい。中秋の名月が近いから月が綺麗だよ。月見酒には持って来いの夜じゃないのかな」

 木の上の青年……もう一人の自分に月見酒の提案をする。人一倍お酒に強く、よく赤い盃で酒を嗜んでいる彼の事だ、きっと喜んで“現”に出て行くに違いない。そう思っていたのだが、彼は木から降りる気配も見せずに、未だこちらを見ている。どうしたのだろう、と首を傾げて、もう一度口を開く。

「行かないの?早くしないと夜が明けちゃうよ。お酒だったら氷麗に言ったら準備してくれるよ」

 返事は無い。どうして彼が一言も返さないのか分からないリクオは更に首を傾げる。もう少し傾けると丁度地面と平行になるだろう、というところで、目の前に自分よりも遥かに大きな人影が降りてきた。余りにも唐突の事で、リクオは驚いてしまい首を傾げていた方に倒れそうになる。……倒れる、と思わず目を瞑ったが、一向に地面とぶつかる衝撃はやって来ない。恐る恐る目を開けると目の前に青年の綺麗な顔があった。どうやら彼が助けてくれたようで、リクオの腰には彼の手が回されている。

「危ねえなあ……」
「えっ、あ、ご、ごめん。有難う、助かったよ」

 青年の顔が近いせいか、謝るリクオの顔はほんのり赤い。気をつけろ、と言う青年の腕から逃れようと身体を捩るが、彼がリクオを離そうとしない。

「夜のボク……?もう大丈夫だから、現に行っても良いよ」
「行かねえよ」
「――え?」
「お前はそんなに俺と居るのが嫌なのか?折角こうやって会えるってえのに」
「……それは」

 一緒に居るのが嫌なんて事、ある筈が無い。寧ろもっと一緒に居たいのだ。しかし、夜には出入りがある為百鬼を率いている夜の自分を引きとめる事はできない。だからいつも自分の気持ちを押し殺して彼を見送ると決めていたのだ。なのに、彼はその決意を揺るがす事を目の前で言ったのだ。
 考える事に集中し黙り込んでしまったリクオを一瞥し、青年は、困らせてしまったか、と考える。昼の自分を困らせる事はなるべくしないようにしていたのだが、もう限界だった。毎夜毎夜、入れ替わる僅かな時間しか会えず触れる事も出来ない。一言二言言葉を交わせる事が出来れば良い方なのだ。そんな日々に青年は嫌気がさしていた。もっと長い時間会いたい、話をしたい、触れたい……そんな願望が膨らみ、到頭破裂した。リクオの提案を無視し、気づけば近づき抱き締めていたのだ。それが倒れそうになっていたリクオを助ける為の行為だとしても、触れたという事実は変わらない。もう触れてしまったのだから、胸の内に秘めていた想いはどんどん外に流れていく。更に、もっと触れたい、抱き締めていたいという願望も青年の中で生まれていた。――傍に居たいんだ、と小さく声を漏らしリクオの肩に顔を埋める。ふんわりと石鹸の良い香りが鼻の奥に届く。

「こうやって、ずっと傍に居たい。触れていたい。……なあ、昼のオレはこうやって過ごすのは嫌か?」

 暫しの沈黙が流れる。リクオは己の肩に乗っている頭をそっと撫でるように手を動かしながら、小さく微笑んだ。

「嫌なんかじゃないよ。嬉しいんだ、こうやって君と一緒に居れる事が。ずっと、ずっと望んでいた」
「……昼の、オレ」

 リクオの言葉が嬉しくて青年はぎゅうっと強く彼を抱き締める。強く、強く、離れて行ってしまわないように。すると、リクオも同じように青年の背に腕を回し、こちらも同じように強く抱き締めてきた。

「傍に居て。できる時だけで良いから……こうやって抱き締めて」
「勿論だ。……約束する」

 そう言って更に強く抱き締める青年に、うん、と返事をしてリクオは空を見上げるように顔を上げる。そこにはいつも真っ暗な闇しか広がっていないのに、その時だけは金色に輝く月が浮かんでいた。







願わくば、もう少しだけ夢を見させて



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