ぐだぐだ | ナノ



 年が明け、新年一発目の登校日。三学期のスタートを切るその日に、半田とディランは初めて出会った。留学生として遥々海を渡ってやって来たディランは三ヶ月間半田のクラスで過ごすのだという。クラス内の女子生徒は一斉にどよめいた。かの有名なミスター・ゴールとお近づきになれるなんて一生分の運をここで使い果たした。どこからかそんな声まで聞こえてくる。きっと彼女らは翌月に控えるバレンタインをどう勝ち抜くかで既に頭がいっぱいに違いない。ディランには気の毒だが、当日彼の靴箱やロッカー、さらには机の引き出しまで、食べきれない量のチョコレートでいっぱいになるだろう。
 何せこうなると女は怖い。隠し持っていた自己顕示欲を急に露わにするからだ。自分が良ければそれで良い。そのためなら他人を蹴落とすことも厭わない。恐らく今年のバレンタインは校内が阿鼻叫喚の巷と化すのは避けられないはずだ。想像するだけで戦慄する。
 そうこうするうちに担任がディランの席決めを兼ねた席替えをしようと提案した。勿論誰も反対はしない。くじ引きは滞りなく進み、新しい座席が発表された。
 そして何の因果が働いたのか、半田とディランは隣同士になったのである。ついでにサッカー部だからという理由で世話係まで押し付けられる始末。このときばかりは半田も自分のくじ運を呪わずにはいられなかった。
 半田の理想とする中学生活とは如何に快適にかつ平凡に過ごしてゆくかを軸としている。それがまさか有名人の世話係を任されるなんて、それこそ厄介以外の何物でもない。だから何かと面倒が想定されるディランにはなるべく関わりたくなかった。当たり障りのない程度に無視するつもりでいた。その矢先にこれである。早速四方から羨望の眼差しが向けられ、半田は既に居た堪れない。
 ディランはというと、半田の胸の内などつゆ知らず、何が嬉しいのかにこにこと笑みを浮かべている。半田は必死に目を合わさぬよう努めていたが、結局肩を叩かれてしまい振り向かざるを得なくなってしまった。半田は恐る恐るディランに向き直る。
「ねえ、ミーはディラン・キース。ユー名前なんていうの?」
 ディランは片言の日本語で話しかけた。そういえば一之瀬や土門のチームメイトだったと半田は今更になって気づく。ならば少しは日本語も学んでいるに違いない。発音は所々不安定だが、日常会話に支障が無い程度には話せるようだ。半田は内心ホッとした。不幸中の幸いとでも言うべきか。
「はんだしんいち」
 半田は刷り込むようにゆったりと名乗った。
「ホンダシニチ?」
 惜しい。
「違う違う。は、ん、だ、し、ん、い、ち!」
 少しむきになって小刻みに発音する。それをどう受け取ったのか、ディランはまるでコメディを見ているかのように手を叩いて笑った。何が面白いのかわからない。半田は彼に馬鹿にされたと思った。それでも怒りは鎮め、あくまで冷静に振る舞う。余計なことはしなくていい。
「シンイチって呼んでもいい?」
 一通り笑いがおさまると、ディランは半田に訊いた。「勝手にすれば?」と半田が適当にあしらうと、ディランは言われたとおり勝手にシンイチと呼んでいた。
 さらには「お近づきの印」と握手を求められた。促されるまま渋々手を握れば有り得ないほど力を込めて握り返された。驚いた半田の表情は途端に顰めっ面になる。ディランはそんな半田を見て、これまた嬉しそうににっこりと微笑んだ。こいつわざとか?半田はそう思ったが、やはり苦笑いを返すだけで何も言えない。ひょっとしたらディランの握力が凄まじいだけで、彼にとってはこれが普通なのかも。半田はそう思い留めるので精一杯だった。
「ユーはこのクラスで、ミーの最初の友達だよ」
「は、はあ…」
 フレンドリーなディランに半田はどう接して良いかわからずただ流されてばかりである。

 ディランは朝から下校時刻ぎりぎりまで延々と半田に付き纏った。やれグラウンドに行きたいだのやれ体育館に行きたいだの、半田はとにかく学校中を片っ端から案内されられるはめになった。サッカー部は休みである。というのも冬休み明けの実力テストが控えているためどの部活動も休みと規定されているのだ。だからこそ半田はまっすぐ家に帰りたかった。ところが半田はディランに切り出せず、ずるずると彼のペースに翻弄されてしまっている。一言「用事があるからまた今度」と断れないのは半田の悪い癖である。断って余計面倒になったら嫌だという気持ちがどうしても先行してしまう。それでも刻一刻と時が経つにつれ、半田は浮き足立ち、会話がぎくしゃくするのは仕方のないことだった。
 そんな半田の態度にディランも薄々気づいていた。だが、敢えて訊かなかった。半田がオーケーならそれがすべてなのである。個人主義国家の下で生まれ育ったディランは、相手がイエスなら「イエス」ノーなら「ノー」の意思表示をはっきり示して当然と思っていたからだ。まさか「ノーだけどイエス」もしくは「イエスだけどノー」などという選択肢があるとは夢にも思っていない。
 季節は冬。既に日は暮れ空には星が瞬く。完全下校間際になれば人も疎ら。半田たちもそろそろ校舎を出なければならない。依然暗いままの半田にディランがとうとう切り出した。
「ねえシンイチ、ずっと浮かない顔してるけど、もしかして、何か都合が悪かったのかい?」
 情けないことに、半田はそこでやっと伝えることができた。
「テスト勉強があるから早く家に帰りたい」
 それを聞いたディランの顔はみるみるうちに青ざめる。そして次の瞬間には半田の双肩に掴みかかっていた。
「なんでミーに早く言わなかったの?ジャパンは休み明けにテストがあるの!?」
「うん…。冬休みの宿題の確認テスト」
「休みなのにテスト勉強を兼ねた宿題があるだって?信じられない!」
 アンビリーバブルだとディランは愕然とする。これがカルチャーショックというものらしい。半田は困惑しつつも言葉を絞り出す。
「だって君が案内して欲しいって言うから。放っておけないじゃないか。明日迷子になられても困るし、だから」
 言いかけ、途中で口を噤んだのは、半田がディランの変化を察知したからである。ディランは半田の言葉にふるふると身を震わす。半田はぎょっとした。
「ユーの気持ちは嬉しいけど、ちゃんとノーならノーって言わなきゃダメだ!」
「え、うん…?」
「ミーはユーの友達になりたいんだよ!重荷になりたかったんじゃない」
「ディラン…」
「ミーと約束して!嫌なときは嫌って言うって」
 半田は一日を振り返って、今すぐ自身を殴り飛ばしたくなった。ディランはディランなりに、半田を信用していたのだ。それを裏切ったのは半田の方だった。
 友達になりたい。その言葉は半田の心に響いた。
 半田は「友達になる」ことをもっと難しく考えていた。目が合って言葉を交わして意気投合して、名前で呼び合う頃になって漸く砕けた会話ができるようになる。それが半田の思う「友達の作り方」だった。ディランは違う。目が合いにっこり微笑んで握手を交わせばもう心を許した友達だ。
「ごめん」
「ノーノー、謝るのはミーの方だよ」
「違うんだ。ごめんな」
 半田はディランの目をまっすぐ見つめる。そしておもむろに右手を差し出した。ディランはぽかんとして首を傾げる。半田は照れくさそうに左手で口元を隠しながら呟く。
「俺も、友達になりたい、から。今度は、ちゃんとした友達に」
「え?」
「だから、その、友達になるための、なんていうか」
 そこまで言ったところで漸くディランも察したらしい。その表情は一気に明るいものへと変わった。少なくとも半田の目にはその日で一番の笑顔に見えた。そしてディランの右手が飛びつくように半田の右手を握りかかる。が、今度はそれだけでは終わらなかった。
 ディランは握った手を離さぬまま力いっぱい半田を引っ張り込んだ。おかげで半田の身体は前へと倒れ込む。その身体をディランはしっかりと受け止め、首に腕を回した。半田は一瞬何が起きたのかわからず頭が真っ白になった。
「おい!何やってんだ!」
「ハグだよ!」
「ちっがーう!いきなり何だよビックリすんだろ?!」
「シンイチ、これがミーの国の挨拶なのさ!」
「そうかもしれないけどさ、でも、朝やったのと違うだろ!この空気は握手だろ普通に考えて!」
「シンイチ、何でもかんでもユーのスタンダードを普通と決めつけるのは良くないね」
「うるっさい!つーかいつまでくっついてんだよ離れろ!」
「シンイチは照れ屋さんだね」
 解放されてすぐに誰かに見られていないかと半田は周囲を見回す。そして辺りに誰もいないことを確認しホッと息をついた。日本では男同士が密着してこのようなコミュニケーションを取ることは滅多にない(勿論滅多にないだけであって、あるにはある)。それはディランも前もって土門から忠告されていた。だからハグをするならよっぽど特別な人間にしかしないでおこうと事前に決めていた。敢えてディランは口に出さないが、彼の中で半田はハグに値するだけの男だと認識されたのである。
「先に訊くけど、おまえゲイじゃないよな?」
「違うよ。だけどそういう偏見はやめてね」
 半田は口を滑らせ、しまったとばかりに両手で口を塞ぐ。同性愛が差別的対象とされるのは日本全体の文化的問題であって半田が悪いのではない。結局、文化の違いとはややこしいのだ。だからディランも半田を咎めたりはしない。ただつまらぬ枠に囚われて不自由だと思うだけである。
「そっか。ごめん」
「良いよ。気にしてない」
「欧米の挨拶に不慣れなもので…」
 再び場の空気が淀んだ。
「そんなことよりさ、ユーはテスト勉強があるんでしょ?早く帰ろう!」
 すかさずディランがぎこちない会話をぶった切る。こういった会話は長続きすればするほどどんどん雰囲気を暗くする。機転が利くディランに半田は内心助けられたと安堵した。
「ああ、そうだったな」
「テストが終わったらまたゆっくり話したいね!それでサッカー部も見に行ってユーと、エンドウたちも一緒にサッカーしよう」
「うん」
 半田とディランは鞄を取りに戻り、そして手早く下校の仕度を終えた。その間も会話は続いたが、互いにぎくしゃくすることはもうなかった。
 靴を履き替え正門を通過する。辺りは真っ暗で街灯がぼんやりと二人に影を落とす。ディランはまっすぐ家に帰れると言った。通学路はばっちりだと自ら太鼓判を捺している。半田は心配だったが、数分前のことを思い出してそれ以上は何も言わないでおいた。もし本当にノーならディランははっきり「ノー」と言うだろう。たった今学んだばかりである。
 ディランが半田に「Bye!」と元気良く手を振ったので半田もつられて「See you.」と手を振った。ディランは嬉しそうに笑って帰路につく。半田はその背中を見送ると、一人その場で悶えた。
「なんだ今の!なに気障ぶってんの俺!うわあああああああああ」
 半田の顔から火が出る。慣れないことばかりの一日を終え、どっと疲れが押し寄せた。だが、まったく不快と感じない。むしろディランに叱られて以降は楽しさの方が勝っているのだ。
 ディランは悪い奴じゃない、と半田は思う。ディランの力いっぱいのハグは半田には少し強すぎて、やはり朝の握手も彼に悪意はなかったのだと納得できた。
 これからディランと過ごす時間はたったの三ヶ月。その日々はあっという間に過ぎてしまうだろう。この三ヶ月が半田にとって濃い時間となるのだけは彼自身にも容易に想像できる。
「ついでに宿題テストの出題も予想できればいいんだけどな」
 冗談は白く曇り冬の闇に消える。半田も一人、大人しく家路についた。




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