別れのうた | ナノ




 柔らかく、空気すら包むような光が、頭上から差し込んでいる。彼は上を見上げているようだった。それにつられて上を見ると、見事なステンドグラスが嵌められていて、重厚な造りの壁と床に、場違いなくらい色彩豊かな光を映している。光のなかに舞う埃が、彼の姿を煙らせて、数メートルしかないというのにどこまでも遠く見えた。彼の背中は前とあまり変わっていないと思う。彼の心情ならいざ知らず。
「お祈りか?」
 振り向いて欲しくて問うと、ぴくりと反応した背中は大きく息を吐いた。そして、ゆっくりとこちらを向いた。左手の通っていないコートの袖がペラペラと身体の横で揺れていた。
「生憎、神様は信じてないんだ」
 優しい微笑みを浮かべたその表情に、ひとまずほっとする。日向が彼に会うのは5年ぶりだ。トレンチコートとマフラーを身にまとった特徴的な髪の人物を街で見かけた時は自分の見た幻影かとも思ったが、これは現実らしい。
「あはっ、キミのその左右の瞳の色も、光の加減によってはこんなに綺麗に見えるんだね」
「はいはい、お褒めに預かり光栄です」
「もっとよく見せてよ」
 近づいてくる狛枝の足音が天井まで響く。ゆったりとしたそのリズムは、再会を果たして言わなければいけないことがたくさんあるような気がしている日向とは対照的に見えた。
「勝手にしろ」
 目の前で止まった狛枝の顔は相変わらず白くて人離れしている奇妙な美しさがある。その顔が近づいてきて、瞳を覗き込まれた。狛枝の灰青の瞳が、目の前に広がる。
「ふふ、懐かしいね」
「……そうだな」
「まさか、会えるなんて思ってなかったから、うれしいよ」
 やけにやさしく微笑んで、狛枝はさらりと言う。日向はそれを見て唇を噛み締めた。
「……どの口がそんなこと言えるんだ。本当にそう思っているなら、こんなところにいるわけないだろ」
 ここは希望ヶ峰学園や未来機関からは遠く遠く離れた地だ。ぽつぽつと忘れた頃に入る特徴的な外見の目撃情報を頼りに、日向は狛枝を探していた。出向いては裏切られ、またか、と虚しい気持ちになったものだった。今回も諦めかけていたところだったが、小さな協会に入る背中に既視感を覚えて追ってみたらこれだ。
「だって、まさか追いかけてくるなんて思わないじゃない? こんなゴミクズのことなんて、さ」
 少しだけ後ろに下がり、日向に向かって両手を広げるようにすると(実際は片手だけだ)、狛枝は讃美歌の一節を歌い上げた。かなしいようなうれしいような、奇妙な微笑みを浮かべた狛枝凪斗の歌は、それはそれは綺麗で、伸びが良く、目を閉じれば男性か女性かさえ判別がつかない不思議な声音だった。日向は素直に拍手を送るのが気恥ずかしかったので、わざと雑な拍手を送った。
「もしかしてここで、神父の真似事なんてしてるのか?」
「神父? ……さて、どうだろうね」
 食えない笑みで軽やかに質問を躱すと、狛枝はそっけなく聞こえる声で、
「ボクは元気だよ。これでいいでしょ。満足した?」
 と肩をすくめた。
「お前なぁ!」
 頭に血が上り、つかつかと狛枝の元に乱暴な足つきで歩み寄る。コートの襟を強く掴むと、顔を引き寄せた。
「……変わってないねぇ、そのちょっぴり短気なところ」
「なんとでも言え。俺とお前はここから未来機関まで、仲良く一緒に帰るんだからな」
「冗談はよしてよ。未来機関にいたってボクはお邪魔虫なんだからさ。ほうっておいてくれないかな?」
 本当におかしそうに、狛枝は日向の言葉を笑い飛ばす。
「放っておけるか!」
 友だちなんだから、と続けようとして、言葉に詰まる。くだらないと吐き捨てられたらと思うと、そのワードを出すことができなかった。
「はぁ。でも、キミのことだから、頷くまで諦めないんだろうね……」
 ため息を吐いて、狛枝は思案するように顎に手をやった。
「キミとやり合って勝てるとはあんまり思っていないんだ。ボクは身体的なハンデがあるわけだし。それに、こんなところで銃を使うのは罰当たりだ」
「……それは、そうだな」
 日向は特定の宗教を信仰していないが、それでもこの場所が人々の拠り所になっていることくらいは想像がつく。
 その時ちょうど、扉が開いて、茶髪の年老いた女性がゆっくりと入ってきた。顔見知りらしく、狛枝は手を挙げて挨拶する。居心地の悪さに肩を縮めて、日向は狛枝を見た。狛枝はそのへんに座っててよ、と言って、女性の方へ踵を返した。女性は初めて見るだろう日向に微笑みながら会釈をし、離れた場所に座ると、近づいてきた狛枝と何やら話していた。どうやら近所の野菜の相場だとか、孫が可愛いだとか、他愛もない話のようだった。しかし、最後には、どうなっちゃうのかしらねぇ、と静かにつぶやいた。狛枝はそれに対して平坦な声でどうなるんでしょうね、と言った。何を指しているのかはわからなかった。この町に関することなのか。あるいは、絶望によって壊された世界のことなのか。
 そうして女性は去っていった。日向は一番前の席に座り込み、揺れるロウソクやステンドグラスをぼうっと見ていた。少し冷えてきた気がする。光はあたたかでも、空気は夜に向かって鋭さを増していく。暖房設備はあるようだが、使っていないようだった。
「……ああいう人が、たまに来るんだよ。世界を憂いて、自分の人生を憂いて」
 お前も、憂いているのか? 自分の人生を。
 聞けなかった。答えを聞くのがなんとなくこわかった。日向と狛枝の繋がりもクラスメイトとの繋がりも、何もかも否定されそうで、日向は口をつぐむ。代わりに、細く息を吐き出した。
「日向クン、諦めてくれないんだね」
「当たり前だろ。お前がついてくるまでここにいる」
「しつこい男は嫌われるよ?」
「お前も、ひとりになることに対してしつこいよな。お互いさまだ」
 そうかもねぇ、と狛枝はのんきに言って、近づいてくると、日向の目の前で立ち止まった。
「ボクはね、日向クン」
 静かに、狛枝凪斗は膝をついた。座っている日向の両手を己の右手でそっと持ち上げる。まるで、求婚するかのように真剣な目で、狛枝は、再会してから初めて切迫した様子で言葉を紡いだ。
「神様なんて信じてないんだ」
「……知ってるよ。お前が言ったんだろ」
「うん」
 狛枝は何がうれしいのか、くすぐったそうに笑って、またすぐに真顔になる。
「日向クンのことを信じてるんだよ」
「…………え?」
「ボクは、キミのことを信じてる」
「何を言ってるんだ? お前」
 狛枝は絶えず日向の手を触っていた。感触を確かめるように、指先から指の付け根、手のひらを、親指と人差し指で挟み込むように順々に握られる。彼の手は冷たく、今さらながら、この教会は冷えるから、もっと別の場所で話せば良かったと後悔する。
「……キミが、ボクから離れてくれるって、信じてる」
「お前な、また馬鹿なことを……」
「ごめんね」
「な、」
 手の甲を持ち上げられて、素早い動作で唇を落とすと、狛枝は立ち上がって、教会を早足で出て行く。日向はその行動の意味がわからず、すぐに動けなかった。頭がぼんやりして、狛枝の唇が触れた手の甲だけが異様な熱を持っているように感じた。我に返って振り返った時には、入口が錆びた音を立てながら外からの光を遮っていた。
「こまえだ!」
 慌てて立ち上がって入口へ走る。大した距離でもないのに心臓がうるさい。両開きの扉を思いっきり引くのに少し手間取った。朝から昼に移り変わる、あたたかくやさしい光がこちら側に入り込んでくる。狛枝が、いくらかの時を過ごした、神聖な場所に、太陽の光が注ぎ込む。
外には、道行く人々がまばらに見えるだけで、彼の姿はなかった。辺りを見回して、歩き回って、聞き込みも試みたけれど、2度と狛枝と会うことはなかった。



 目撃情報はそれきり途絶え、狛枝は完全に消息を立った。日向はときどき、自分の手のひらを見つめて、あの時の、彼の感触を思い出そうとする。けれどそれは難しい。日向は彼を連れ戻して、一緒に生きようと思っていた。これから先も、その手を握っていることは容易いと思っていた。対して、狛枝はこれっきりだと思っていたのだろう。その違いが、日向には、あまりにも寂しかった。









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