キミが照らす場所 | ナノ




 日向クンが住んでいる地を通るとき、ボクはいつもさみしい。
 車の窓を流れる景色を横目でちらと見る。運転中だから、停まった時しかちゃんと見ることはないけれど、なんてことはない、普通の田舎の風景だ。川があって、木々があって、橋があって、畑があって、田んぼがあって、人はほとんどいない。視界には緑の面積が多くて、時折剥き出しの土の色が当たり一面を占める。土地が有り余っているのだ。このド田舎の風景が、ボクの心にゆっくりと、深い穴を空けていく。
 そう、ボクはあれから日本のいろんな場所に行って、いろんな景色を見たはずだった。なんなら海外にだって行った。でも、この気持ちはどこでも味わえるものじゃない。同じような川、同じような建物の並び、同じような山々、同じような道や橋。それでも、日向クンがいない場所なら、そこはボクにとって、なんの感想も抱けないただの田舎の景色だ。

 ここだけだ。
 日向クンがここで生きている。
 それだけがすべてだ。

 この景色は、日向クンを彩るものだ。日向クンが暮らす町だ。日向クンの光が届く場所だ。ボクはいつも、日向クンの放つ光からは、遠い場所にいるし、行こうとしている。それでもこの光を求めている。だからボクは、こうして連絡も取らずに、木々のひとつひとつを、川が反射する光のきらめきの1粒を、逃さないように目に焼きつけたいとおもう。それは、無理な話なんだけど。
 ボクはこの土地で、日向クンと会ったことはない。一方的に、この地域に日向クンの住処があると知っているだけだ。ボクが知っていることを、日向クンはおそらく知らない。気持ち悪いなんて言わないでよ。そうじゃなきゃ、ボクに、どうやって生きていけっていうの。
 ボクは、周りのものに対する興味が薄い。希望や希望に繋がる才能を持つみんなに対しては別だけれど、ボクが知りたいとおもうこと自体がおこがましいから、それは置いておいて。人を知りたいとおもう欲求に欠けているんだ。それで人付き合いも上手くいかないし、上手くいかない自分に嫌気が差すから、ひとりでいる方が気楽で自由だ。そんなボクが、ひとつだけ大切にしたくて、ひとりだけつよいきもちで「会いたい」とおもう人がいる。それが日向クンだから、しょうがないでしょ。ボクのことがこわいって、得体が知れないって、でも、だから知りたいって、言ってくれた。それだけで、ボクにとっては良かった。日向クンが実際にボクのことを理解できなくても、そんなことは瑣末な問題に過ぎない。日向クンのその言葉だけで救われたんだ。それだけを抱えていれば、生きていけるくらいには。

 ボクは、できるなら遠くの地で消えてしまいたいと思っていた。連絡の絶えない携帯端末を捨てて、未練の残る思い出の品も全部捨てて、例えば海に飛び込んだり、森で遭難したりなんかして。
 でも実際は、ボクの才能はボクが命拾いすることを幸運だとしているのか、だいたいが人に目撃されてしまって救出されてしまうのがオチだった。なんとも不便な才能だね。死にたいときに死なせてくれないなんて。
 仕方がないから、こうして各地を転々としつつ、細々と暮らしている。あ、車はその辺に打ち捨てられていたのを拾ったよ。鍵が刺さっていて、ちゃんとエンジンがかかるなんて、幸運だよね!
 少し外れた地域に行くと、まだモノクマだったり絶望の残党だったりに出くわすから、車という移動手段はありがたかった。まあ、どうせこの後不運で壊れるんだろうけど。
 それで、まあ、気が向くと日向クンの住んでいる地域をぐるっと一周する。ボクは、さみしくなりにきてるんだとおもう。日向クンから受け取れる感情ならなんでもいいから感じていたかった。それが、ボクにとっての苦痛でも。さみしくってどうしようもなく、胸をかきむしることになったとしても。
 実際に会いに行きたい気持ちがないと言ったら嘘になるけど、このまま、日陰に潜んでわずかな光を木々の隙間から受け取る植物のように、ひっそりと生きていくのも悪くないかなって思っていた。どうせ、未来機関にボクがいたってイレギュラー要素になるだけだ。

 車を停めて、川辺へ降りる。絶望の残党がおこす暴動が各地であってから、自然という自然は破壊されまくった。ここも例外じゃない。川の水もヘドロのように濁りきって、まさに世紀末だ。未来機関も環境の改善には取り組んでいるけれど、やはり一朝一夕でなんとかなる問題でもない。ただ、前に来た時よりもわずかに綺麗に見えた。流れるゴミが減ったような気もする。気のせいかもしれないけど。
 草の上に寝転んで、草いきれに少しだけ咳き込む。長時間の運転で痛くなった身体を思いっきり伸ばした。この辺で絶望の残党に出くわしたことは一度もないし、人の気配はまったくしなかったから、ボクはしばらくの間目をつむって、そよそよと控えめに頬を撫でる風に身を晒していた。






 ………………こまえだ

 また、この夢か。日向クンの声が、ボクのふわふわとした意識に響き渡る。珍しいことではなかった。ボクは、キミの声を何度も何度も夢想した。遠い記憶のなかにしかなくて、多分もう、実際にすぐ近くで聞こえたとしてもキミの声だとはわからない。でも、今ボクの名を呼ぶキミの声音は、ちょっと高い、ピンと張り詰めたような声は、記憶のなかよりももっと厚みがあって、痺れるくらい鼓膜を揺さぶってきて、
「はっ!!!?」
 人の気配が濃くなったことでボクは目を覚まして、咄嗟に身を翻す。腰につけたホルスターには護身用の銃がぶら下がっていて、ボクの手は自然にそこに伸びた。けれど、銃身をそこから引き抜くことはなく、何故か身体はそこでぴたりと動きを止めていた。

 目の前にいるのが、日向クンだったからだ。

「お前こんなところで何やってんだ……!!? よく、生きて……」
「ひ、なた、くん……」

 未来機関に勤めている彼は、ボクが最後に見た姿とそこまで違わないスーツ姿で、いつものアンテナを揺らしてそこに立っていた。驚きが隠せないらしく、その目は振動するように震えながらボクの姿を観察した。

「お前なぁ! どんだけ心配したと思ってんだよ!!!! ふざけんな!!」

 日向クンは再会を喜ぶよりも先に怒鳴り出した。胸ぐらをつかまれる。ボクはそれに憎まれ口を叩くこともできず、懐かしいその剣幕に目を細めた。
「あは、こんなゴミクズでも、心配してもらえるんだ」
「あ、当たり前だろ! 友だちが消えたら、心配するもんだろ!」
 ともだち…………
 なんだかもう、こみ上げる気持ちを抑えるのが精一杯で、まともな言葉が作れない。日向クンをただ見つめるだけしかできなくて、さすがに日向クンは怪訝な顔をした。
「だったら」
 ボクの出した声は掠れていて、みっともなかったけど、どうしようもなかった。
「ほうっておかないでよ。もっと、ちゃんと、見張っておいて。ボクは、キミといると、耐えきれなくて、どこかに逃げ出したくなるよ。キミが好きで、ほんとに、すきで、好かれたくて、人に好かれるなんてどうしたらいいかわかんなくて、かっこつけようとしてつかなくて、不運でキミを酷い目に合わせて、一緒にいていい理由なんて何一つなくて、そんなの、そばにいるべきじゃなくて、でも、キミがどこかで生きてて、ボクのことをときどき思い出して、もしも、もしももう一度会ったらきっと優しくしてくれる、そう思っただけで、ボクは、この世のどんな場所でも生きていけるし、だからキミがいなくても…………」
「狛枝」
 いつの間にか地べたに膝をついていたボクに、日向くんは視線を合わせるようにしゃがみこんだ。ああ、この瞳。強い光。困ったように潜められた眉。ちょっと老けた? 顔の輪郭も、細く凛々しくなったような気がする。そんなに会っていなかったんだ。ボクはどう映ってるんだろう。放浪している身だから服なんかはまあまあ薄汚れているし、とても自信を持ってお見せできるような格好ではないんだけど、でも、ああ、ボクの格好なんかはどうでもいい。
あんなに細々と、日向クンの残滓を吸って息をしていたのに、目の前に彼が現れてしまったら、もうまともに息なんかできるはずなかった。
「何から言っていいのかわかんないけどさ、とりあえず、こんなふうに帰ってきたお前に優しくなんかできるわけないだろ」
 ため息混じりに、ちょっと笑いながらそう言って、日向クンはボクの頬を自分の袖口で擦った。なんでだろう、と思って自分の顔を触ると、手があたたかいみずに塗れて、ボクはようやく自分が泣いていることを認識した。汚れてしまうのが許せなかったから、ボクは全力で日向クンの手から逃れようとしたけど、日向クンはボクの両手首を掴み上げて笑った。
「狛枝凪斗は、2度と日向創から逃げ出しません。最後までちゃーんと向き合います」
「……え?」
「ほら、言えよ。それとも、俺から言ってやろうか」
「なにを」
「日向創は、狛枝凪斗と一生かけて付き合っていきます。そりゃ、分かり合えないなってことも正直あるけど……でも、お前がいなくなるより、ずっといい。帰ってきてくれてうれしい。みんな、心配してるぞ」
 それから、日向クンはボクを抱きしめた。一瞬、何が起こってるかわからなくてボクは気を失いかける。日向クンの体温がボクにくっついていて、そのあたたかさでボクの脳は溶けていってしまいそうだった。思いっきり、ボクは声を上げて泣いた。誰かの胸で泣くなんて、初めてなんじゃないかと思った。











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