希望にも渡したくない | ナノ




 以前のボクなら、こんなことを考えるはずもなかった。希望に対してボクは常に傍観者で、仮にボクが何かしても、希望が導き出す答えは変わらない。希望は絶対だから。
 だけど、日向クンが希望だとしたら(人工だからありえないけどね)、ボクは希望を手に入れたいと思ってしまった。
 例えば、花をもらったとしよう。ボクが持っていても枯らしてしまうから、別の誰かに世話してもらうように頼んだ方がいいに決まっている。冷静に考えればそうなのに、それでもボクはその花を手放したくない。誰かに渡すくらいなら、ボクの手の中で枯れればいいとすら思うんだ。
「へんなの」
 まったく、どうかしちゃってるな。
 枯らすことは罪だ。芽生えかけた希望をなきものにするなんて、言語道断。それこそ、ボクが1番わかっているはずなのに。
「なにが?」
 向かいでサンドウィッチを頬張る日向クンは、忙しさで目が回っているのか、髪の毛はぼさぼさだし(それなのに何故かアンテナはちゃんと立っている。どういう仕組みだろう)、目はしょぼしょぼしている。心なしか食欲も落ちているんじゃないかな。無理もないけど。未来機関に正式に所属してからというもの、日向クンは77期生の先頭に立って奔走していた。元絶望たちは特別支部という形で一定の成果と信頼を得られるまで監視下に置かれていた。苗木クンのおかげで、これでも緩くなった方なんだ。本来なら未来機関から人が派遣され、完全なる管理下に置かれるはずだった。だけど、絶望たちのど真ん中に行くことに恐れを感じる人が少なくなかったから、監視カメラで行動をチェックして、月に1回の船での査察を入れつつ、主にプログラムについての研究を行わせることにしたらしい。
 カムクライズルとして目覚めた日向クンは当初、体調が一番不安定だったのだという。ボクが目覚めたのはメンバーの中でも最後だったから、聞いた話だけど。それなのに、未来機関のためなんかにここまで身体を酷使する意味が、ボクにはよくわからない。
「ねぇ、日向クン。いい加減にしてよ。この前もダウンしたじゃない。まさか忘れたの? ボクが君の部屋まで君の身体を運んだんだよ。また同じことさせる気じゃないよね」
「悪かったよ。でも、もうちょっとでひと段落つくんだって。そしたら休むからさ」
 サンドウィッチを押し込むようにして食べ終わり、動いていないと死ぬのだろうかというくらい慌ただしく席を立った日向クンは、また作業に戻っていった。ため息をひとつ吐いて、ボクも自分の作業に戻る。あいにくプログラムの根本に関しては知識不足で手がつけられない。だから、ボクはプログラムにかけられていた自分たちの映像を見て、どの点に絶望のウイルスが侵食しているのかをアルターエゴと共に解析する役割をこなしている。とはいっても、アルターエゴの指示に従ってソフトを起動したり、画像を切り取ってきたりするだけで、作業としては簡単だ。
「狛枝くん?」
 アルターエゴ……七海さんに呼びかけられて、ハッとする。
「なんだか今日はぼうっとしてるみたいだね? …………そういえば、日向くんもそうみたいだけど、何かあったの?」
「なんにもないよ。ただ、2度と過労で倒れた人の後始末をしたくないなって、思っているだけで」
「……優しいんだね。心配してるんだ」
「どこをどう見ればそう見えるのかわからないよ」
「そういう態度自体……だと思うよ」
 のんびりと七海さんは言って、どこか寂しげな顔で笑った。
 そうして淡々と作業を進めていると、七海さんが不意にハッと顔を上げた。
「狛枝くん。日向くんが限界みたい。眩暈で壁に寄りかかってる」
「はぁ、これだから」
 ボクは立ち上がる。かけてあったジャケットを羽織って、ディスプレイに背を向けると、後ろから七海さんの声がした。
「今日の作業は2人とも中断にしよう。狛枝くんは日向くんを面倒見てあげて。私ができる作業は進めておくから」
「頼んだよ、七海さん」
「うん。狛枝くんも、日向くんのこと頼んだよ」
 ずきりと、胸の奥が痛む。七海さんに言われる言葉は、ひとつひとつが重かった。それは、ボクに限ったことではないと思うけど、ボクは特別だ。何故なら、かつてプログラムで七海さんを処刑に追い込んだのは……
「ま、後悔もしてるってわけでもないけどさ」
 すたすたと廊下を歩きながらひとりごちる。
 あれはあれで、あの時のボクが出した答えなのだろう。今ならあの時と同じ行動を取ろうとは思わないだろうけど。それでもあの時、あの場所で、あのメンバーと、あの状況に置かれた時、ボクが自分の命と引き換えに求めた結果があれなら、しょうがない。間違っても、他のメンバー(特に日向クン)には口に出して言えないけれど、自分のことは、自分が一番理解していた。
 絶望を振りまく存在として行動していた時のこともそうだ。きっと、その時の自分なら、そうしてもおかしくない。どれだけ非人道的な行為でも、自分が求めたのならそれが現実だ。そういうふうに割り切ることができたのは、ボクだけだったみたいだ。その証拠に、他のメンバーよりも遅れて目覚めたにも関わらず、精神的に最も早く安定したのはボクだったように思う。
 部屋についた時、日向クンはこちらに気づくと平然を装った。
「狛枝? なんか用か?」
「……とぼけたってダメだよ」
 演技が下手なくせに、こういうふうに痩せ我慢する予備学科には、心底嫌気が差すよ。そのいらつきを自覚しながら、抑えることができなかった。
「今日はもう休みもらったから、ほら、早く、コテージに戻るよ」
「は、はぁ? 何言って……」
 七海さんに確認しようとでもしたのか、日向クンは自分のPC端末に向き直って、でもタイミングよくぷつんと画面が暗転した。そして部屋の壁に備えられたモニターに、七海さんが姿を現す。
「逆らっても無駄……だと、思うよ」
「な、七海……!」
「今日は休んで、また明日からがんばろ? あのね、この生活はいつまで続くかわからないからさ、そんなに気を張ってたら、つかれちゃうよ」
「……」
「七海さんに言われたら納得した? じゃ、帰るよ。申し訳ないけど、付き添いはボクで我慢してよね」
「……わかったよ」
 ようやく諦めたらしい日向クンは、ほとんどない荷物を持って(PCを持ち帰ろうとするので止めた)、立ち上がった。しかし、その瞬間ふらついた。
「肩、貸そうか」
「いいよ、コテージくらいまでなら自分で歩ける」
「……あっそ」
 やっぱり、体調が悪いことに自覚はあったみたいだね。タチの悪い病人だなぁ。
 ただコテージまで付き添って、日向クンが帰るのを確認するという、ボクでなくてもできるようなことだったけど、七海さんはボクの休みも申請してしまったようだからしょうがない。別に、この後作業に戻ってもいいのに、七海さんがボクにも休みをとった意味を考えて、日向クンのコテージに入った後も、ボクはしばらくそこに居座っていた。
「お前、いつまでいるんだよ。……着替えたいんだけど」
「ボクは気にせず着替えなよ」
「……ったく……」
 部屋着に着替えた日向クンが薄い布団に潜るのを確認すると、ボクはふと気がついた。
「布団、持ってこようか。余りがあったはずだし。それだけじゃ寒いでしょ」
「…………たのむ」
 気が緩んだらおとなしくする気になったのか、日向クンが素直に答える。最初からそうしてくれればいいのに。
 1度コテージを出て布団を調達し、再び日向クンのコテージを訪れた時には、日向クンはすっかり寝入ってしまっていた。その安らかな寝顔に笑いつつ、そっと布団をかけて。
「無理してるのなんて、みんなわかってるんだよ。何年の付き合いだと思ってるの……」
 ひとりごとを言うくらい、許されるかな。どうせ聞いてないし。それでも、聞いていないとわかっても、本人の前で言ってしまうのは、自分でもどんな心境なのかわからない。
「もう少し、頼って。お願いだから……」
 頬に触れると、熱いほどの体温を感じた。こんなに熱があるのに、何故仕事をしようと思ったのだろう。予備学科の考えることは理解できない。だけど、自己犠牲の精神を発揮されても、こちらが困るだけだ。
「日向クンは、ボクたち絶望の……希望なんだから……」
 ボクは日向クンの頭にぽんと手をやって、コテージを後にした。暇を出されてしまったけれど、部屋でできる仕事もいくつかある。それを終わらせて、余裕があれば日向クンの仕事を寄越すように七海さんに打診してみよう。それくらい、許されるでしょ。同じ絶望を見た同士なら。








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