キミが口にする希望 | ナノ





「おい、狛枝」
 廊下で呼び止められた。声でなんとなく相手がわかって、少しだけ気分が良くなる。
「日向クン」
 予想の通り、振り返った先には資料を抱えた日向創が立っていた。スーツ姿を見るのは、未だに新鮮な気がする。冷静に考えればそんなことはないのだけれど。
 狛枝がそのオッドアイをたっぷり5秒くらい見つめている間に、彼は持っていた分厚いファイルから何枚か資料を抜き取って、クリアファイルに差し、渡してきた。
「これ、各地の残党の情報なんだけど、もしかしたらいくつかの場所に、お前とお前の部下に行ってもらうかもしれないから、目を通しておいてくれ」
「はいはい……って、これ日向クンが全部まとめたの……?」
「なんだよ。文句つけるんじゃないだろうな」
「ええっと……」
 逆だ。この情報量をよくこの短期間でまとめたものだ。カムクライズルならいざ知らず、ほとんどの才能を時とともに失ってしまった今の日向創に、この所業ができるのだとしたら、なかなかの力量だと言わざるを得ない。
「日向クンって」
 思わず目を瞬く。思えば、彼の生き方は、とんでもないのだった。
「本当に予備学科なの?」
「……嫌味かよ」
 げんなりした顔で、日向がこちらを見る。180の男に、首をわずかに引いた上目遣いで見られるなんて、なかなかないだろう。生憎、そんな趣味はない。花村なら喜びそうだ。
 狛枝はそろりと歩み寄った。よく見ると、目の下の隈がひどい。相当無理をしているんだろうな、やっぱり予備学科だから、と想像したところで、はた、と気づく。
「ボク、見つけたよ」
「なんだよ……」
「キミは……自分を自分たらしめるすべての記憶を犠牲にしてまで、才能を手に入れたかったんでしょ? そうまでして才能が欲しかったんでしょ?」
「はぁ? 何が言いたいんだ?」
「それは才能だよ」
「は?」
「それが、日向クンの才能」
 彼の頭を、義手の人差し指でトントン、と叩く。不快そうに細められた目の一方は、今にも光りだしそうなほど、化け物じみた赤をしている。
「才能への執着。誇れる自分への執着、かな」
「…………それこそ、『つまらない』よ」
 ふっと、日向が笑ったので、狛枝はなんとなく安堵した。怒られても仕方がないことを言った自覚はあった。
「ま、今のキミには関係ない話かな? 憧れのたくさんの才能を持った気分はどうなの? 実際」
「もう今じゃいろいろと頭から抜け落ちたけどな…………俺に絶望が目をつけて、あんなことにならなければ、素直に喜んだんだけど」
 狛枝の頭に、かつてのクラスメイトの姿が浮かんだ。日向も予備学科の学生ながら、七海と親交があったらしい。翳る表情がいたわしい。もう何を言っても彼女は帰ってこないけれど。
「……そろそろ、行くか。七海に、今日の仕事の報告しないと」
「え、日向クンそんなことしてるの?」
「別に、しなくちゃいけないわけじゃない。俺が勝手にやってるだけ」
 ここで言う七海とは、アルターエゴのことを指している。様子を見ていると、苗木たちとの意思疎通には不二咲千尋という姿をとっていて、新世界プログラムに関する業務の際は七海の姿が映る。なんだかそれらが気持ち悪くて、狛枝はあまり自分からアルターエゴには近寄らないようにしている。死んだ友人に会えるのは嬉しいけれど、そんなの、死んだ本人への冒涜なんじゃないかって、そんな気がしてしまう。苗木には、もちろん日向にも、こんなことは言わない。七海に会いたい気持ちは狛枝も同じで、その気持ち自体を否定するつもりは毛頭ないからだ。
「そう、なんだ……ボクも、七海さんに会いたいな」
「じゃあ、一緒に行くか」
 コツコツと、革靴の音を一緒に鳴らして、廊下を進んでいく。
 狛枝と日向の未来機関での役割は大幅に違うから、あまり会うことはない。久々に会うと、なんだか嬉しいもんだな、と取り留めのないことを考えながら、ふと思った。
「なんで日向クンは、そんなにがんばれるのかな? 脳をいじくられて、記憶も消されて、今はなんとか普通に生活してるとはいえ、身体にガタも来てそうだし……休んでてもいいんじゃないの?」
「お前なぁ……こんなときに俺だけ休んでらんないだろ。それに、お前ならわかってくれると思ったけどな」
「なにが」
 横から、音もなく日向の顔が近づいて、赤と金の瞳にのぞき込まれた。その深い色たちの中で、ゆらりと、炎のように瞳の水分が揺れた気がした。
 きれいだ、と思った。
「……希望のため、だろ?」
 その表情を見て、胸がはりさけそうになって、それが何故だかわからなくて、まるで発作が起きたように、胸を手で押さえた。先に歩いていってしまう日向の背中を見つめて立ち止まる。心臓の音が、どくどくと、鳴り止まなかった。









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