冷たい手と手 | ナノ

 昔から、他人に興味が持てなかった。

 必要以上に関わりたくなかったし、関わって欲しくなかった。そんな性格は誰に咎められることもなく、気づけば高校生になっていた。周りを見ると、色恋沙汰やら何やらで他人に入れこんだり、感情をぶつけたり、彼にはできないことばかりが繰り広げられていて、それらを遠巻きに眺めながら初めて、ああ、自分がマイノリティだったのか、と認識したのだった。
「おーい松川、着替えんの遅くね」
 部室の外からひょいと顔を出した花巻の声に、松川はようやく我に返る。
「あ、ごめん。すぐ行く」
 急いで着替えをエナメルバッグに押し込み、部室の電気を消す。今日は松川が鍵当番であるため、戸締りをして職員室まで鍵を返しに行かなければならない。そこまで終えて正門まで辿り着くと、スマホをいじる手を止めて花巻が顔を上げた。
「終わったか。帰ろうぜ」
 先に帰っていいと言ったのに、律儀に待っていたようだ。
「ったく、コンビニのピザまんはいつも1個しかあっためられてないんだぞ。誰かに取られてたら松川のせいだからな」
「んーでも俺がロスした時間に取られた可能性は低いでしょ」
「またそうやって屁理屈言う〜〜」
 呆れたように吐いたため息は白く、夜の空気によく映えた。花巻はその白さに身体を犬のようにぶるりと震わせ、ネックウォーマーに首から口元にかけてうずめると、すっかり猫背になってしまった。松川も姿勢に関しては同じようなもので、人のことは言えない。ジャージのポケットに手を突っ込み、マフラーを首に巻きつけている。今日は特別冷えこんでいた。
「手が冷える……」
「何、松川冷え性?」
「うーんそんなんじゃないけど。手袋持ってくればよかったな」
「オレは冷え性」
「聞いてないけど」
「聞いてくれてもいいだろ」
 ふてくされたような花巻の返事にふふ、と笑ってしまう。何笑ってんだ、と文句をつけられて軽く足先で蹴られた。
 結局、ピザまんは売り切れてしまっていた。花巻はあからさまにしょんぼりして、その姿に少しだけ松川は罪悪感を覚えるのだった。
「ピザまんの気分だったのにな」
「今度奢るから勘弁してよ」
「えっやっっっった!!」
 現金なことに急にガッツポーズをして騒ぎ始めた彼は、しかし寒さに耐えきれずまた手をポケットに引っ込めた。
「約束だかんな」
「うん」
「今このポケットの中のボイスレコーダーで録音したからな」
「そこまで言わなくたって反故にしたりしないってば」
 言いながら、ふざけて花巻の手首を掴み、ポケットから引っこ抜いた。花巻がきょとんとした顔をする。架空のボイスレコーダーが握られている手は、氷に触れているかのように冷たかった。人の手に触っているとは思えない冷たさに、松川はうわ、と声を上げた。
「本当に冷え性なんだな」
「だから言ったじゃん」
「いや聞いたけど」
「松川の手あったかいなー」
「うん」
 花巻がふざけて恋人繋ぎにして、にへ、と笑う。
「あっためて、一静クン」
 気色悪い冗談を聞きながら、松川はその手をぎゅっと握り込む。体温が奪われていく感覚。こちら側にじわじわと浸透してくる冷たさが、妙に愛しかった。手が冷たくなっていくのに、何故か離したくなくなってしまう。これでは気色悪いのは自分の方だな、と一瞬、長めに目を閉じる。
「松川?」
 次に開けた時には、眠たげな目つきの花巻の顔がこちらを覗き込んでいた。体を引きながらなに? と応じる。
「いや、妙に真面目な顔しちゃってどうしたのかなと」
「あ、いや」
「ピザまんのこと、本気で怒ってないぞ!」
「それはわかったって」
 手を離す。手が、先ほどよりも冷たくなっていた。これが花巻の体温。とても冷たいけれど、確かに少しだけ分け与えられた他人の体温だった。松川は一人で微笑んだ。
「花巻は、変わってるね」
「え。松川に言われるのはちょっと心外」
「……そんなふうに言われちゃう俺と仲良くしてるから、変わってるんだよ」
「なるほどなぁ。でも、俺はそんなに松川のこと変わってるって思ったことはねぇけど」
 花巻は笑った。
「だって松川ってちょっと表情に出にくいだけで、ちょっと抜けてるいいやつだもんな。あ、まあ頭はキレるからちょい怖いけども」
「おい」
 きゃー、怒ったぁ? 悪ふざけで逃げていく花巻を見ながら彼は思った。
 明日、また花巻と帰るとする。そしてコンビニでピザまんを買う。半分分けて、と言ったら彼は応じてくれるだろうか。「えーひとりで全部食べたいのにー」とごねるかもしれない。「いいよー」と言って一口分しか割ってくれないかもしれない。案外、あっさり半分こしてくれるだろうか。それを考えただけで、なんだか愉快な気持ちになった。どれでもいいな、と思う。
「松川? さっきからぼーっとしてるぞ?」
「花巻のこと考えてたからね」
「はぁ?」
 首を傾げるこの目の前の男に、松川は生まれて初めて思ったのだった。他人のものが欲しいと。花巻と同じものを共有し、あわよくば、花巻のものを奪いたい。
 こんな身勝手な感情を、皆が抱えているのだろうか。そうだとしたら、驚きだ。こんなふうに他人に求めることは、松川のなかでは許されない。他人を侵食する行為は、松川にとっては未知の領域だった。
「じゃ、また明日な」
「うん」
 分かれ道で花巻は去っていった。その後ろ姿を見送った後も、しばらく彼のことを考えた。淡い髪の色の、ふわふわと掴みどころのない男のことを。
 この感情が、松川の世界ではとてつもなく珍しいものなのだと、花巻は知らない。

 知ることは、きっと一生ないだろう。








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