無敵だよ | ナノ


「及川、交代だって。ちょっと休んでこい」
 先輩に声をかけられ、なんとか平常通りの声ではい、と返す。汗が音もなく床に落ちていく。長いラリーだったわけでも、激しいプレーだったわけでもないのに、息が切れている。無駄な動きが多い。それでも、スパイカーからトス修正の要求はない。なんとか合わせてはいる。けれど、合わせているだけだ。ブロックにもついていけていない。そのせいで遅れた及川の手を、相手のスパイカーに使われた。他の誰でもない、Bチームの岩泉に。それが、余計にダメだった。途切れ途切れの思考を頭を振って追い払い、コートを出る。Bチームのセッターが自分の代わりにAチームのコートに入る。あぁ。この光景を、中学の時は絶望と共に見ていた。いや、見ていられなかった。俯いて、自分の手だけ見ていた。今は違う、はずだ。あの時とは、違うのに。
 監督と目が合ったので駆け寄って今の自分のプレーについて訊ねると、「別に悪くはなかったぞ、ただ」彼は言葉を切った。「まだ、時間が必要だな」
 及川が練習に加わってから半年も経っていない。それなのにスタメンにいるのだから、3年などは驚嘆半分恐れ半分といった感じが見て取れた。今年はすごいセッターが入ってきた。他の1年は平々凡々、といったふうな評判だったらしい。その中に岩泉がいることにずいぶん反駁したけれど、当の本人は「余計な期待されない方が力入んなくていいわ」とどこ吹く風だった。平々凡々とはいえ高校レベルでは強いスパイカーばかりなのだが、さすがに大学まで来てバレーを志す者はレベルが高い。最初はうきうきした。どんなスパイカーがいるのだろう、どうやって対応していこう、と。チームのエースのトスはすぐに頭にインプットした。先輩のセッターとのコミュニケーションを大事にし、個人個人の能力もなるべく見て把握した。それらの情報を岩泉はもちろん一年の間で共有するように努めた。とはいえ、まだチームに来て数ヶ月。確かに時間は必要だ。だがもっと必要なのは。
「及川、Bに入れ」
「はい」
 今日のような紅白戦は珍しくない。週に1度は行っている。けれど、岩泉とコンビを組む機会はなかなか訪れなかった。コートに入るとチームメイトがそれぞれ声をかけてくる。その中にはもちろん2、3年もいるし、1年の今後が期待されている選手がBに入れられている。
「ん? なんだ及川か」
 その1人である岩泉が近寄ってきた。かなり汗をかいているけれど、まだ余裕はありそうだ。目は闘志でらんらんと光り輝き、それだけ見ると中学生の頃からなんら変わりがなかった。なにも、こんなときに岩ちゃんと組ませなくてもいいのに、と思う。岩泉はこう見えて聡いので、及川の不調にも気づいているに違いない。
「なんだってなにさ! 久々なんだからちょっとは感激してよね!」
「してるしてる。休憩挟んだからってボケっとすんなよ。今相手3枚だかんな」
「わかってる」
 軽く屈伸をして数回ジャンプした。大丈夫。トスの調子は悪くない。重要なのはメンタルコントロールだ。笛の音に、意識を切り替える。
 サーブ上げるぞ! 3年の声にそれぞれ返事のように声を上げる。相手のサーバーがジャンプする。ジャンプ! と叫びながらセットアップ。次の瞬間には、回転が抑えられた質のいいボールが上がってくる。リベロのカットだ。Bチームでも選手のレベルが高い。及川はなんなくトスを上げた。
「岩ちゃん!」
 ボールが手を離れてから、しまった、と思った。意識をしないうちに、自分のエースへと上げてしまっていた。
 ボールが頂点へ届く瞬間。
 岩泉が、笑ったような気がした。
 及川と岩泉が高校でもコンビだったことは誰もが知っている。相手にも完全に読まれていた。綺麗に揃ったブロックが岩泉の目の前に現れる。
 鋭く振り落とされる腕が、空気を裂いた。
 ピッ、と短い笛の音。岩泉のスパイクがサイドラインギリギリに決まった。見事なストレート。
「い、いわちゃ……」
「ナイストス! なんだ、お前やっぱり調子悪いわけじゃねーじゃん。なんだ? 腹でも壊したんか?」
「壊してないし! てか、ナイスキー!」
「早く戻れよな、あっちに」
 相手コートを顎で示してにっと笑った岩泉に、及川はたまらない気持ちになった。
 俺のエースがここにいる。俺は1人じゃない。
「岩ちゃんこそ、早く来てよ。あんまり遅いと、追いつけなくなっちゃっても知らないからね」
「抜かせ」
 他のチームメイトとハイタッチをして笑う岩泉に、及川は身体の力が抜けていくのを感じた。
 大丈夫だ、中学の時とは違う。そして、高校の時とも。俺は俺が1人じゃないことを知っているし、どんなスパイカーも使える、使おうと思う度胸が備わっていることも自負している。これまで培ってきたゲームメイクしていくための頭脳も局面を読む力も、考えを絶やさなければ十分に通用する。
 俺にはエースがいる。俺のトスを決めてくれる、どんな時も――高校最後の試合、コート外からのイレギュラーなトスにさえ――跳んでくれるエースが。いつも、いるんだ。
「よし、この調子でもう1本、お願いします!!」
 及川は声を張り上げて、チームメイトにサインを伝える。岩泉の視線を感じ、振り向いて、及川徹は笑った。無敵だ、とでも言うように。











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