鞠る人々



くっ、と小さな呻き声が喉をついて出る。悔しい、悔しくて仕方がないのだ。

「まだ勝負するかの?の?」

両膝と両手を地について俯いている白装束の男――直江兼続は唇を噛み締めた。

彼の前には、奇妙としか言いようのない出で立ちをした男が立っていた。この男の名は、今川義元という。何よりも蹴鞠を愛して止まない、少々変わった貴人だ。その姿からは想像できない軽快な動きで、愛用の毬をポンポンと蹴っている。

よろよろと脱力したように立ち上がった兼続は、ゆっくりと目の前の変人を見据えた。

「……今日の所は負けを認めよう。しかし、義は決して屈しはしない!後日再び勝負だ!」

「の?また今度遊ぶのかの?楽しみだの!」

びし、と義元を指差して、兼続は高らかに再戦を宣言した。その瞳は何時になく真剣である。一方、当の奇人は毬を胸の前で抱えて無邪気に喜んでいた。その瞳は小動物のような純粋さを湛えている。

二人の間を、一陣の生暖かい風が吹き抜けた。

大層機嫌が良さそうに帰途へと着く義元を、兼続はじっと見つめている。その背が遠ざかると、おもむろに天を見上げた。次は絶対に勝つ、と心の中で叫んだ彼は、拳を力強く握り締める。

その背後では、夕日が赤々と輝いていた。


* * * * *


「という訳で、共に義を磨こうではないか!」

「何が『という訳で』なんだ。勝手に話を進めるな、ば兼続。意味が分からんぞ」

時は夕刻、場所は佐和山。城より大分離れた林の中に、兼続はいた。友人の三成らと共に。

突然連絡もなしにやってきて意味の分からない事をのたまい始めたこの友人に対し、三成は一欠けらの遠慮もなく毒づく。心底不機嫌な彼の意見などお構いなく、兼続は一人で納得して一人で話を進めていく。

この暴走気味な男の言う事が分からない。遊びにやってきたかと思えば、共に義を磨こうなどと言い始める。まずは訪問の理由を聞かねばなるまい、と三成は目の前で愉しそうに義について語り始めた友人に説明を求めた。だが、更に混乱する羽目になった。

兼続が遠路遙々この地までやってきたのは、今川義元との蹴鞠対決再戦に向けて特訓をするためだという。この時点であまり理解出来ないのだが、何故兼続と義元が蹴鞠勝負をしていたのか、という理由については更に理解に苦しむ。

兼続が小田原で義元と再会した時に、彼の事を『蹴鞠解説男』と呼んだところ、『戦解説男』という言葉が返ってきた。その言葉に憤慨した兼続が、勝負を申し込んだらしい。何故か義元の得意とする蹴鞠勝負を。

普通に考えるならば、自分の得意分野で勝負をした方が勝つ確率も上がる筈なのだが、兼続は敢えて相手の土俵で勝負を申し込んだらしい。理解できんな、と三成は心の中で呟いた。理解出来ないのではなく、理解したくないといった方が正しいかもしれない。

常人には理解し難い言動で周囲の人間を翻弄する兼続に、友人である三成は常々悩まされている。ただ、三成自身も兼続の事をとやかく言えるような常識人かと言えば、そうでもない。

周囲の人間――特に友人らが個性的過ぎるので霞んでしまっているが、この人物もしばしば突拍子のない行動を起こすのだ。友人らと違って三成は自身を至ってまともな部類だと思っているが、他の者から見れば兼続とそう大して変わらない。

彼の腹心である島左近がこの場にいたならば、『類は友を呼ぶ』という諺が相応しいな、と胸中で呟いたに違いない。

「それで、私はどうすれば良いのでしょうか?」

おずおずと声を上げるのは、いつも2人の友人の迷惑行為に巻き込まれている幸村だ。
三成や兼続との友情を心の底から信じ切っているこの純朴な青年は、自分が彼らの役に立つことを嬉しく思っている。そのため、この友人らの我儘や迷惑な行動に巻き込まれているとは微塵も思っていない。

今回兼続に請われて、幸村も共に佐和山までやって来たのだ。説明を詳しく聞かずに、友人の頼みだからという理由で。

今までぼんやりと説明を聞いていた幸村は、自分がここで具体的に何をすれば良いか分からないらしい。兼続の要領を得ない説明では、分からないのも無理はない。

戸惑っているような幸村に対し、兼続はどこから湧いてくるのか分からない自信に満ちた表情で答えた。

「幸村!義を極めるために、共に全国行脚に向かうのだ!」

「待て、アホ兼続!どこまで話を飛躍させるつもりだ!?兎に角、蹴鞠の修行をしたいのだろう!ならば、ひたすら毬を蹴れば良いだけの話ではないか」

一寸の迷いもない声で訳の分からない事を宣言する兼続に、三成はうんざりした声音で突っ込みを入れる。早い話が毬を蹴る練習をすれば良いだけなのだ。それを、義だの何だのと兼続本人が分かり難くしていたのである。

面倒な事に巻き込まれた、と三成は溜息を吐いた。そんな友の様子などお構いなしに、兼続は滔々と持論を展開し始めた。

「甘いな、三成。ただ一心不乱に毬を蹴るだけでは駄目なのだ!そこに義と愛がなければ……」

「もう黙れ」

「なるほど、蹴鞠の練習をするのですね……私に良い案があります!少しお待ちください!」

二人の不毛な遣り取りを眺めていた幸村は言うが早いか、城の方に向かって駆け出した。

しばらくして戻ってきた幸村は手に何かを持っていた。丁度人の頭くらいの大きさの石である。一瞬でそれが漬物石だと気付いた三成は、幸村に掛ける言葉が思い浮かばなかった。

当の幸村は、興奮したような口調で説明をし始めた。

「漬物石を借りてきたのです。毬の代わりにこれで特訓すれば、技術の向上を図ると同時に足腰の鍛錬にもなると思いませんか?」

「流石だ、幸村!早速これで練習しよう!」

三成が反対意見を言う前に、納得してしまったらしい兼続が嬉しそうに答えた。本当に漬物石で蹴鞠の練習をするようだ。三成は呆れつつも、傍観することにした。何か言ったところで、人の話を聞かない能力に優れている兼続には無意味だろう。

幸村からずっしりとした漬物石を受け取った兼続は、早速石をヒョイと放り投げる。それに合わせて右足を振り上げたと同時に、ぐぎ、という妙な音が足首辺りから聞こえた。ゴロン、と漬物石が地に転がる。

そのまま右足を押さえて蹲ってしまった兼続を、幸村が慌てて抱え起こす。どうやら、漬物石の重量に勝てなかったらしい。

「まぁ、普通に考えれば無理だな。普通に蹴り合って練習すれば良いのではないか?」

冷静に事の成り行きを見守っていた三成は、辛辣な感想を述べた。痛がっていた筈の兼続が不服そうな声を上げる。立ち直りの早さが尋常ではない。

「いや、普通に練習をしただけではあの男に勝てまい!三成、何か良い考えはないか?」

自分に話を振られた三成は腕を組んで悩んでいたが、暫くして、おぉ、と小さく手を打った。そして、ちょっと待ってろ、と言った三成は先程の幸村と同じように城の方へと向かっていった。ただ駆けるのではなく、ゆっくり歩いていったが。

しばらく経ってから戻ってきた三成が手に持っていたのは、普通の毬であった。
至って普通のものと変わらない毬を見て首を傾げる兼続と幸村に対し、三成は誇らしげに説明を始めた。

「俺が特別に作った毬だ。衝撃を与えると爆発する仕様になっている」

「流石です、三成殿!」

「流石だな、三成!有難く使わせてもらおう!」

自慢顔で途轍もなく物騒な事を言う三成を、幸村が増長させる。心の底から尊敬しているのか、はたまた何も考えていないのか、よく分からないところである。

兼続も喜んで礼を述べた。蹴鞠勝負の相手を爆発させる事が不義であるとは思っていないようだ。

実を言うと、この毬は左近に対して使われる予定のものだった。蹴鞠をしようと三成は何回か左近を誘ったが、ずっと断られ続けていた。勘付かれていたのかもしれない。

三成から毬を受け取った兼続は暫くまじまじとそれを見つめていたが、唐突に口を開いた。その口から発せられた言葉に、三成は凍りついた。

「よし、まずは蹴り具合を確かめなくてはな!」

「か、兼続、ちょっ、ま……」

何を勘違いしたか、特製の毬を試し蹴りしようとする兼続を、三成は慌てて止めようとする。幸村も必死の形相の三成につられて、兼続を止めに入ろうとした。

しかし、間に合わなかった。後少しで二人の腕が届くというところで、兼続は毬を高く投げると同時に右足を振り上げたのだ。

一瞬の後、凄まじい爆音が周囲に響き渡ったのであった。


* * * * *


荒れ果てた地に仰向けに倒れている三人。爆発に巻き込まれたせいで、衣服はぼろぼろになっている。どれくらいの時間をこのような状態で過ごしてきたのか、三成には分からなかった。

まだ気を失っているのか、それとも気力も体力もないのか、皆一言たりとも話さない。少し離れた所で足音が聞こえた。何者かが近づいてきているようだ。

「随分と探しましたよ、殿。何してたんですか?派手にやりましたねぇ」

探してたなんて、多分嘘だ。あの爆発音に気付かないわけがない。直感的に三成たちの仕業だと気付いて、敢えて遅く迎えに来たのだろう。日常的に左近に行われている、三成の嫌がらせに対する仕返しに違いない。声がいやに愉しそうなのだ。

そんな主君の心中など知る由もない左近は、兼続と幸村の方に近づいて行った。

「夕食の準備出来てるらしいんですけど、お二人とも食べてかれますかい?」

「……た、食べ、る」

「ぜひ、とも……」

左近の問い掛けに対し、兼続と幸村は息も絶え絶えに答えた。どんな惨事に見舞われようとも、腹は空く。欲求には逆らえないのだ。

取り敢えず、後で兼続を殴ろう。星が白々と輝いている夜空を見上げながら、三成は固く誓ったのであった。



―終―


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